約束仕掛けのハートビート|【狸の掌編】
私の胸には小さな心臓が埋め込まれている。
歯車とゼンマイでできた、
精巧な機械仕掛けの心臓。
だが、ただの機械ではない。
遠い昔、ひとりの少女と交わした「契り」を動力に、
今もか細い脈を打ち続けている。
私は『契律人形』。
人との約束によって生命のリズムを得る、
ただの人形。
「ずっと、ずーっと、一緒だよ」
埃っぽい屋根裏部屋。
窓から差し込む夕陽が彼女の髪を金色に染めていた。
小さな指で私の手を握りしめ、囁かれた言葉。
その瞬間、私の胸で初めて、
カチリ、と小さな鼓動が生まれた。
あの日から、幾つの季節が流れただろう。
アンティークドールの店のショーウィンドウに座り、
ガラス越しに通りを眺める。
店主は「もう忘れろ」と、何度も私に言い聞かせた。
契りが忘れ去られれば脈は止まる。
記憶が薄れれば鼓動も弱まる。
新しい持ち主と新しい契りを結べば、
また力強く脈打ち始めるのだ、と。
しかし私には、
あの夕陽の色と彼女の言葉だけが世界の全てだった。
近頃、胸の奥の脈動が、ひどくおぼつかない。
チク、タク…チク……タク……。
時を刻む音が、少しずつ間延びしていく。
それに連れて大切な彼女の記憶も、
水に滲むインクのように輪郭を失っていく。
彼女はどんな声で笑う子だったか。
好きな花の名前は何だったか。
思い出そうとすればするほど、
記憶は砂のように指の間からこぼれ落ちていった。
「もう限界だろう」
店主がため息をつき、私の身体をそっと持ち上げる。
新しい買い手が見つかったのだという。
裕福そうな婦人が、
私を品定めするように見つめている。
「この子と、新しい契りを」
婦人が優しく手を伸ばしてくる。
その指が私に触れれば、
少女との契りは上書きされ、
記憶は完全に消え失せるだろう。
私は最後の力を振り絞り、小さく首を横に振った。
婦人は怪訝な顔をし、
店主は諦めたように私を元の場所へ戻した。
タク………チク……………。
鼓動が、さらに弱くなる。
視界がぼやけ、ガラスの外の景色が滲んで見える。
ああ、もうすぐ、私はただのガラクタに戻るんだ。
少女の顔が完全に思い出せなくなる。
そのことが、死ぬことよりも恐ろしかった。
意識が途切れかけた、その時。
カラン、と店のドアベルが鳴った。
入ってきたのは、黒いワンピースを着た若い女性。
彼女はまっすぐに私の前まで来ると、
ショーウィンドウのガラスにそっと指を触れた。
「いました。おばあちゃんの人形」
その声に、なぜか胸の奥の歯車が、
きしむような音を立てた。
女性は店主に向き直り震える声で語り始める。
一冊の古びた日記を胸に抱きながら。
「
祖母が、亡くなる直前まで、
この人形の話をしていたんです。
『屋根裏部屋の約束を、
まだ守ってくれているだろうか』って。
ずっと会いに来たがっていたのですが、
叶いませんでした
」
――おばあちゃん。
その言葉が、雷のように私を撃った。
目の前の女性が、
日記のあるページを開いて見せてくれる。
そこには、幼い文字でこう書かれていた。
『
きょう、わたしだけのともだちができた。
やくそくしたんだ。ずーっと、いっしょだって
』
最後のページには震える老婆の筆跡で。
『ありがとう。私の、最初で最後のお友達』
脈が止まりかけていた。もう動かないはずだった。
なのに、彼女は忘れていなかった。
あの屋根裏部屋の約束を。
生涯、胸に抱き続けてくれていた。
会いに来られなかっただけ。
忘れ去られたのではなかった。
その事実が、乾ききったゼンマイに、
油を注ぐように染み渡っていく。
若い女性、少女の孫が私に向かって微笑んだ。
「
祖母からの言伝です。『ありがとう』って。
『これからは、この子があなたの家族よ』とも
」
彼女がそっと私を抱き上げる。
その瞬間、止まりかけていた私の心臓が、
カチリ、と力強い音を立てた。
そして、今までにないほどに確かなリズムで、
再び脈打ち始める。
チクタク、チクタク、チクタク。
それはもう、いつか止まるかもしれない、
か弱い鼓動ではない。
世代を超えて受け継がれた、
愛という名の記憶に裏打ちされた、
永遠を約束された脈拍。
私の新しい時間が、今始まる。
ガラスの瞳に映るのは、
あの日の夕陽にも似た、温かい光だった。

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