声の縫い跡|【狸の短編小説】
息を吸うと、胸の裏側で乾いた葉が擦れる音がする。
肋骨の隙間を冷たい空気が通り抜けて、背中へと抜けていく感覚。
指の間からは、絶えず何かがこぼれ落ちているようで、かつて彼がいた場所は、彼の分だけ空気の温度を下げていた。
忘れさられた通りの湿気に、文字と消毒の溶剤が混ざり合う場所で、息を潜める錆びた鉄扉。
私は噂を頼りに、この場所を訪ねた。
中から現れた男の指先はインクで黒く変色し、その瞳は水面の張ったように静かだった。
部屋の中央に置かれた小綺麗な椅子に腰かけると、男は私の胸に手をかざす。
「語ってください」
低い声が、埃の舞う室内に落ちた。
私は促されるままに、彼との思い出を唇に乗せる。
初めて手を繋いだ公園の冷えた鉄のベンチは、触れた指先の熱を際立たせていた。
喧嘩した夜、逃走経路の上で雨が跳ねて、言えなかった言葉たちが静かに溶けていった。
彼の笑顔は、少し遅れて咲く花のように不器用で、まっすぐ輝いていた。
これらの言葉は音になる寸前に、淡い燐光を放つ一本の繊維となって、私の唇から引き出されていく。
男はそれに細い針を通して、私の胸の見えない傷へと、ひと針ひと針、静かに刺し込んでいった。
記憶を語り終えて、最後の繊維が胸に縫い込まれると、胸の葉鳴りは止んで、そこには静かな熱だけが残った。
男は針を置き、黙って扉を指し示す。
代金は受け取らないようだった。
帰り道、懐かしさを連れてくる秋の呼吸が目に入った。
その名を呼ぼうとして口を開くが、喉は焼けるように固く締まる。
音にならない息だけが漏れて、代わりに甘い香りが肺を満たす。
言葉は私の内側でその形を失い、この時、彼と彼との思い出は永遠に名を持たない存在となった。
数ヶ月後の夜、カフェの裏手の風の止まる静かな場所で、自分の胸に手を当てて、浅い呼吸を繰り返す男と歩いていた。
シャツの薄い布地を通して、皮膚の下に幾筋もの光の線が網の目のように走っていて、鼓動に合わせて明滅しているのが見える。
私は彼に肩を寄せて、口を開いたまま硬直した。
伝えたいことがあるのに、喉は石のように動かない。
私に気づいた男は、ゆっくりと顔を寄せた。
彼は何も言わず、一度だけ静かに頷いた。
私の瞳は、古い井戸の底のように、何も映さず、ただ暗かった。

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