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【創作大賞2026 お仕事小説部門】転職したサクラは働き直すことにした|第2話 

Project MOON No.06-2

覚悟をもって、
お客様の家を背負う話



-ここまでのサクラ、そしてこの先の話-


サクラは、はじめて仕事が怖いと思った。

自分が担当した仕事が、
お客様の生活を壊しかけていた。
水道設備の職人である代田に言われた言葉が、
ずっと頭から離れなかった。

「俺たちはお客さんの信頼のもと、
生活まで預かってんだ」

静かで、逃げ場のない言い方だった。
住宅リフォームとは何なのか。
自分はなぜ、この仕事を選んだのか。
答えを持たないまま、
湯気の立ちのぼる浴槽に肩まで沈みながら、
サクラは、
ある日のことを思い返していた。


帰りの車に乗り込む前、
サクラは少しだけ肩の力が抜けた気がしていた。

けれど車が走り出すころには、
その軽さはもう消えていた。
車の中で、
サクラはほとんど話さなかった。
助手席の窓の外を見ながら、
先輩の説明にも

「はい、わかりました」

と短く答えるだけだった。
視界が、また少しだけぼやける。

そのとき、
代田に言われた言葉が頭に浮かんだ。

「俺たちはお客さんの信頼のもと、
生活まで預かってんだ」

責めている声ではなかった。
でも、
軽く受け取っていい言葉では、
当然なかった。

運転席に座る先輩社員の新垣は、
片手でハンドルを握りながら、
もう片方の手で
エアコンの風向きを調整していた。
少し焼けた首筋に、
安全帯の跡が残っていた。

「ほら、元気出せよ。
気にしてたってしょうがないからさ」

信号待ちでブレーキを踏みながら言った。

「今回は俺がしっかり謝罪して、
会社にも報告して丸く収めたから。
サクラ、
おまえにとっても
ちゃんとした学びの機会になっただろ?」

そんな気休めのような軽い言葉は、
サクラの聞きたいものではなかった。

「はい、わかりました」

口から出た自分の声が、
少し遅れて耳に届く。
自分の声ではないみたいだった。
新垣はサクラのそんな様子には気づくことなく、
話し続けている。

「入社一年目なんてさ、
確認も段取りも全然できなくてさ。
職人さんにも怒られるし、
お客さんにも謝ってばっかだったし。
でもそのうち慣れるから。
だから大丈夫。気にすんなって」

さっきまで、
無責任でどうしようもない人間だと思っていたが、どうやらサクラを励ましてくれているらしい。

ただ、
その言葉はサクラには一切届かなかった。

窓の外をぼんやりと見つめながら、
「はい、そうですね」
「はい、わかりました」
と、
形だけの相槌を繰り返していた。

ずっと、
自分の声が自分のものではないみたいだった。

新垣はそんな気配に気づくこともなく、
静かな車内でひとり話し続けていた。
どこか、
自分の励ましの言葉に
酔っているようにも見えた。

(帰ったら、写真と図面を見直そう。)

そう思ったのは、
言い訳を探すためではなかった。

何が起きたのかを、
ちゃんと理解したかった。

近くの駅まで送ってくれた新垣に会釈をして、
そのまま電車に乗った。

住宅リフォームの仕事って、
思っていたよりずっと細かくて、
思っていたよりずっと
重い責任を背負わなきゃいけないんだな。

そう思ったとき、
胸の奥で、
もうひとつ別の感覚が動いていた。

お客様には期待されていた。
でも、
その期待に応えられるだけの準備が、
自分の中にできていたのか。
これから先、
その準備を
本当に自分に積み重ねていけるのかは、
まだサクラにはわからなかった。

帰り道の電車の中で、
ふとガラス越しにビルの灯りが
目に差し込んできた。
その光を見ながら、少しだけ思った。

(ふう。
入る会社、また間違えたかもしれないな。)

入社して二か月。
そう思うのは、
これが初めてではなかった。

はじめての工事を終えて間もないのに、
そんな考えが浮かんでしまったことに、
自分でも少し驚いていた。
いや、
はじめての工事だからこそか。

サクラは、
いつも周囲から期待されていることに
気づいていた。
それは前の会社でもそうだったし、
この会社に入ってからも同じだった。

「仕事を覚えるのが早いね」
「気が利くね、助かるよ」

そんな言葉をよくかけられてきた。

最初は嬉しかった。
期待されることは、
必要とされていることだと思っていた。

サクラは自分でも、
気が利くほうだと思っている。
相手の気持ちを汲み取って
話をすることが得意だったし、
何を言おうとしているのかを、
言葉になる前に察することも多かった。

酒は飲めないが、ノリは悪くない。
場の空気に合わせることもできる。
お客様の不安に寄り添う会話も得意だった。

だからこそ、
それだけでは足りない仕事なのだということを、
今日、
はじめて身体で理解した気がした。

これまで通用していたやり方が、
通用しなかった。

この仕事は、
お客様が暮らしを選び直す
節目に向き合う仕事だった。

その節目に向けて
必要十分な準備を積み重ね、
そのすべてに責任を持つ仕事だった。

何よりそれは、
お客様の大切な「家」を扱う仕事だったのだ。

そう、
お客様の「家」である。

サクラの所属するリフォーム会社は、
この地域では一番問い合わせが多い会社だった。

問い合わせてくるお客様には、
はっきりとした二つの層があった。

ひとつは、
子育て世代のファミリー層。
小さな子どもがいる三十代から四十代の家庭で、
賃貸住宅から持ち家へ移るタイミングや、
新生活の節目として
リフォームを必要としている人たちだった。

もうひとつは、
子育てを終えたシルバー層。
五十代後半から七十代前半くらいの世代で、
子どもが独立したあと、
これからの生活に合わせて
家を整え直そうとしている人たちだった。

どちらの層にも共通している特徴があった。
世帯年収が、
おおよそ
450万円から1,500万円のあいだに
収まっているという点だった。

世帯年収が450万円を下回ると、
家にお金をかける余裕が生まれにくい。

一方で
年収が1,500万円を超えてくると、
サクラの勤めているような
地域密着型の工務店では、
設計自由度の高いプランや特殊な素材、
高度な施工品質への要望を
十分に担保することが難しくなる。

そして、
この年収帯のお客様に
共通している価値観があった。

自分の家を、
モノや資産価値としてではなく、
一生涯添い遂げるための
「家族の一員」
として扱っているという点だった。

家族が病気になったら
病院に連れて行くのが当たり前のように、
家族が窮屈なら環境を整え直す。
それと同じように、
家にも手を入れる。

そしてサクラの働く工務店は、
その「家族」に対して、
リフォーム工事という
「手術」を行う側の人間だった。

体にメスを入れ、
傷んでいるところを見つけ出し、
必要な部分をやり替え、
健康な状態に戻す作業を手伝う。

「家」は「家族」だとすれば、
家族の手術の準備を怠る医者が
信頼されないのは当然だった。
むしろ、
非難されるべきだし、
刺されてもおかしくない――
……いや、
刺されるのはおかしいか。
いつかのトレンディドラマみたいだ、
と 思わず苦笑した。

そのとき、
ふいに頭の奥に浮かんできた言葉があった。

“俺たちは顧客の家族の命を預かっているんだ。
君はそういう覚悟でこの会社に入ってこれるか?”

「ん?……」

これは、
誰の言葉だったか。

サクラは家に着いた。
玄関を開け、
玄関収納の上にあるスイッチに手を伸ばし、
指先で軽く押した。

白い光が、
ワンルームの奥まで静かに広がった。

床はまだきれいに使われている
フローリングだったが、
新築の頃の匂いはもう残っていなかった。
壁際に置いた観葉植物の影が、
細く長く伸びていた。

(とにかく、お風呂に入ってコーヒーを飲みたい)

バッグを床に置き、
ジャケットを椅子の背もたれにかけながら、
無意識に
ノートパソコンをテーブルの中央へ寄せた。
図面を開きやすい位置だった。

お湯をためながら、
コーヒーメーカーの電源を入れる。
スマートフォンから
少し大きめの音量でYouTubeを流した。

最近よく耳だけで聞いている、
五人組の男たちが
楽しそうに企画をやっている動画だった。
人の声がしていないと、
部屋が静かすぎた。

サクラは
地方から出て前の会社に就職したが、
住む場所にはこだわった。
社会人になるなら、
ちゃんと大人の生活を始めたいと思っていた。
だからどうしても
新築マンションに住みたかった。

キッチンも、
浴室も、
洗面台も、
まだ誰も使っていない新品だった。

家賃は安くはなかったが、
帰ってくるたびに
少しだけ気持ちが整う気がしていた。
それなら十分だった。
結果的に転職することになったが、
まだ築浅。
設備機器は新しいままだった。

頭を洗い、
身体を急いで流し、
ためたばかりの浴槽に肩まで沈んだ。
思ったよりも熱かった。
でもその熱さが、ちょうどよかった。

風呂から出たら、
写真と図面を見直そう。
テーブルの上の配置を思い浮かべながら、
そんな段取りを頭の中で並べていた。
今日は疲れたから、
夕飯は
さっきコンビニで買って帰った
サラダとパスタで済ませよう。
YouTubeを流しながら、
カフェオレを飲もう。

そこまで考えたところで、
ふと、
さっき挨拶をした
奥様の目の奥にあった冷たさを思い出した。

そういえば、
あの奥様と打ち解けるきっかけは、
コンビニでよく買う
サラダが同じだったことだった。

大根とレタスがメインのサラダに、
甘辛い小さな唐揚げが入っていて、
マヨネーズと和風ドレッシングを
かけて食べるやつだ。

そんな何気ない会話から距離が縮まり、
工事の契約まで任せてもらえたのだった。

「これじゃあ、かえって高カロリーですよね」

奥様とそう言って笑い合ったのを思い出した。

ふう。

少しだけ顔を水面に沈めながら、
また現場のことを思い返す。
すると、不意にその言葉がよみがえった。

「俺たちは顧客の家族の命を預かっているんだ。
君はそういう覚悟でこの会社に入ってこれるか?」

そうだ。

サクラがこの会社に入社するとき、
面接で言われた言葉だった。

面接で人事部長と名乗るその男は、
名前は何だったか……
忘れてしまった。
ただ、
その男はやけにサクラを面接で脅し倒した。

「この仕事は本当に大変な仕事だぞ。
普通の営業がやりたいなら他に行ったほうがいい」

「ショールームみたいな
エアコンのきいた綺麗なところで、
にっこり笑って済む仕事じゃない。
泥臭い世界だ」

「新人は教育のために
小さい工事ばかりを担当する。
例えばトイレ工事とかだ。
君はずっとトイレと向き合うことができるかい?
汚いトイレだってたくさんある。
それにトイレには排水芯というものがあって……」

サクラはビクッとして、
勢いで少しお湯を飲み込んだ。

(おまえだったか。排水芯の伝道師は……)

回想は続く。

「俺たちは顧客の家族の命を預かっているんだ。
君はそういう覚悟でこの会社に入ってこれるか?」

サクラはこの会社で十社目の面接だった。

営業という軸のみで転職活動をしていたが、
仕事内容はまちまちだったものの
四社の内定をもらっていた。
この工務店を受けたのも、
たまたま予定が空いていたからだった。

そして、この会社の面接を最後に、
すでに内定済みの会社の中から
転職先を吟味しようと思っていたくらいだった。

昨今の売り手市場の採用事情もあり、
面接を受けるたびに
サクラは手厚い歓迎を受けていた。

「ぜひ入社してほしい」

「一緒に働けるのを楽しみにしているよ」

「うちは家族のようなアットホームな会社だ」

どの会社でも、
同じような言葉をかけられた。

それなのに、
この会社の面接官は違った。

(覚悟がないなら入ってくるな?
普通の営業がしたいなら
他の会社に行ったほうがいい?)

負けん気の強いサクラは、
だんだん腹が立ってきた。

ふざけんなよ。
入ってやろうじゃないか。
――そう思ったのだった。

(そうだった……失敗したなぁ……)

ただ、
その面接官は最後にこうも言った。

「俺は、
この業界の苦しいところは全部説明したつもりだ」

「その苦しさを引き受ける覚悟があるのなら、
君のことを歓迎する」

「俺たちと職人さんとお客様はチームだ。
いいものを一緒につくっていこう」

そうだった。
苦しいのは覚悟の上だった。

自分で切った啖呵の落とし前を、
つけなければならない。

サクラは湯船から立ち上がると、
急いで着替えた。
パソコンの前に座り、
図面と写真を見比べながら
サラダを口に放り込む。

(さあ、明日は取り返すぞ)

静かに、
でも確かに、
目の奥に灯りが戻っていた。
建築用語辞典を手に取り、
水道設備のページを開く。

明日はきっと、いい日になるはずだ。

頬張ったレタスは、少しだけ苦かった。
サクラはサラダの味を噛みしめ、
辞典と写真に目を走らせた。


現場での失敗と、「生活まで預かっている」という職人の言葉――転職したサクラの物語の始まりとなった第1話はこちら。

▶︎第3話はこちらです

▶︎「転職したサクラは働き直すことにした」はマガジンにまとめています。


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