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【創作大賞2026 お仕事小説部門】転職したサクラは働き直すことにした|第1話

Project MOON No.06-2

仕事との距離を置き直す人の話



-あらすじ-


「いいから早くしろ!!」

築三十五年の家のトイレ工事で、
転職したばかりの
新人営業・サクラは大きな失敗をする。

自分で発注した便器が取り付けられない。

現場は止まり、
職人からは怒鳴られ、
お客様の生活にも影響が出てしまう。

何が悪かったのかも分からず戸惑うサクラ。
そんな彼女に、
職人の代田は厳しい言葉で問いかける。

「俺たちは設備を付けてるんじゃない。
お客さんの生活を預かってるんだ」

失敗。
責任。
信頼。

初めての現場でサクラが知ったのは、
リフォームが“モノを売る仕事”ではなく、
“人の暮らしを支える仕事”だということだった。

自分に向いているのかはまだ分からない。
それでもサクラは、
翌日も現場へ向かうことを決める。



「これじゃトイレ付かんぞ」

その一言で、
サクラの頭の中は真っ白になった。

ほんの数分前まで、
今日の工事は問題なく終わると思っていた。
でも今は、
何が起きているのかすらよく分からない。

築三十五年の戸建住宅。

狭いトイレの中には、
外したばかりの便器の跡が残り、
古い床材の匂いと埃っぽい空気が漂っていた。

小さな窓から差し込む昼の光が、
床の排水口を白く照らしている。

設備職人の代田は、
その排水口の前に
しゃがみ込んだまま動かなかった。

分厚い腕を膝に乗せ、
指先で排水口の周りをなぞる。
何かを確認している。

サクラは
玄関脇に置かれた新品の便器の箱を見た。

TOTO ネオレストAS1。

二週間前、
自分で発注した商品だった。

「……え?」

思わず声が漏れる。
代田は顔を上げない。

「これじゃ付かない。」

低い声だった。
怒鳴ってはいない。
でも、
腹の底へ響くような重たい声だった。

「排水の位置が違う。」

そう言って床を指差す。

「便器と家の寸法が合ってない。」

サクラは意味が分からなかった。

付かない?

トイレを外して、
新しいトイレを付ける。
ただそれだけの工事だと思っていた。
付かないなんてことがあるのか。
サクラは一歩だけ近づいた。

「でも商品は間違ってません。」

代田がゆっくり顔を上げる。
怒っているというより、
呆れている顔だった。

「商品の話じゃない。」

そう言って立ち上がる。
大きな身体が、
ただ立ち上がっただけで、
狭いトイレがさらに狭くなった気がした。

「家に合ってないんだよ。」

代田は再びしゃがみ込み、
排水口を指差した。

「この排水の位置と便器のサイズが合わない。」
「…だから付かない。」

そして顔を上げる。
「確認したのか?」

サクラは黙った。
何を確認するのかも、
よく分かっていなかった。

代田は小さくため息を吐く。
「図面もない。」
「現場確認もない。」
「これじゃ誰も気付けない。」

そして便器の箱へ視線を向けた。
「本当に確認して発注したのか?」

サクラは答えられなかった。

聞いたことはある。
でも、
ちゃんと理解していなかった。
何を間違えたのかすら、
まだ分かっていなかったのだ。

代田はサクラを見つめる。
「……お前、本当に分かってないのか。」

低い声だった。
「何も確認せずに工事の約束したのか?」

サクラは戸惑う。

なぜここまで責められているのかも、
まだ理解できなかった。

「私はお客様と決めた商品を発注しました。」
そう言いながら、
便器の箱の角を指で押さえる。
自分でも気付かないうちに、
指先へ力が入っていた。

「トイレはトイレでしょ。」

代田は大きく息を吐いた。
肩が少し落ちる。
「見ない顔だと思ったら新人か。」

首を傾ける。
「入社何か月だ。」
「上司は誰だ。」

サクラは答えなかった。

代田はしばらく黙ったあと、
もう一度床を指差した。
その先には、
不安そうな顔でこちらを見ている奥様がいた。
代田は奥様を一瞬だけ見て言った。

「お前が確認しなかった結果。」

床を指差す。
「今、お客様の家にトイレが付かないんだ。」

その言葉で、
サクラは初めて少しだけ怯んだ。

代田が怒っている理由は、
商品を間違えたことではなかった。
お客様が
今日からトイレを
使えなくなるかもしれないことだった。

「毎日使うもんなんだぞ。」

低い声だった。
でも、
その言葉は重たかった。

喉の奥が詰まる。
「でも、そのトイレは……」

言い終わる前に、
代田が遮った。
「いいから調べろ。」
「会社でも商社でもいい。」
「代わりの商品があるか今すぐ確認しろ。」

サクラは動けなかった。

頭の中が真っ白だった。
何を調べればいいのかも、
どこへ
電話すればいいのかも分からない。

すると代田は、
今度は地鳴りみたいな声で言った。
「いいから早くしろ!!」

サクラは慌ててスマホを取り出した。
指先が少し震えている。

代田はもうサクラを見ていなかった。

再びしゃがみ込み、
排水口の位置を確認している。
大きな背中だけが、
狭いトイレの中に残っていた。

その背中は、
サクラが今まで見てきた先輩よりも、
ずっと仕事の重さを知っているように見えた。

サクラは、はっと振り返った。

廊下の向こうで奥様が、
不安そうにこちらを見ていた。
両手を胸の前でそっと重ね、
何か言いかけてやめたような表情だった。

サクラは深くお辞儀をした。

「驚かせてしまって申し訳ありません。
確認してすぐに状況をご報告します」

言い終えたあとも、
しばらく顔を上げられなかった。
背中の奥で、
自分の失敗がようやく胸に強く刺さり、
そして重く沈みはじめていた。

すぐに会社の先輩に電話をかけた。
サクラは玄関先に出て、
少し離れた場所でスマートフォンを耳に当てた。
手のひらにじっとり汗がにじんでいた。

そして、
サクラはようやく理解した。
配管の位置を正確に把握していなかった。
このままでは、
この便器は取り付けができないらしい。

「おまえ、その話、
二週間前に説明しただろうが!」

今度は電話口で先輩が怒鳴った。
サクラは一度目を閉じて、
短く息を吐いた。

「いやいや先輩、説明が足りませんよ」
声を抑えながら言った。

「最後にこれでいいですかって、
現場の写真も見ながら確認しましたよね」

「俺は正しい品番で指示を出した!」

話はかみ合わなかった。
打合せ議事録などに
お互いの決め事が記載されてない場合、
必ず言った言わないの水掛け論になる。

いわゆる責任のなすりつけあいである。
当然どちらも引かなかった。

サクラが小さな声で、
お客様に聞こえないよう
電話でやり取りを続けているあいだに、
背後では
代田が別の職人に電話をかけていた。

「おう、久しぶり。
急ぎで悪いんだが、トイレの在庫品あるか」

少し間を置いて続けた。

「仮設置用で使いたい。
一台でいい。
排水芯、
床で200。
戸建てだ。
品番は何でもいい。
できる限りきれいなやつで。」

電話を切ると、
代田はサクラの方を見た。
顎だけで軽く外を示した。

「あるってよ。取りに行けるな」

サクラは反射的に頭を下げた。
「……どこに行けばいいですか」

代田は短く場所を告げた。

そこからの展開は早かった。

運び込まれた仮設便器は、
観葉植物が2か所飾られた
落ち着いた内装の中に、
静かに据え付けられた。

本来設置の予定だった
ネオレストとは明らかに質感が違ったが、
とりあえず使える状態にはなった。

サクラは奥様に状況を説明した。
奥様は何度も頷きながら
話を聞いてくれたが、
その表情には不安が残っていた。

そこへ先輩の新垣も駆けつけてきた。
さっき電話をかけてきた本人だった。

背が高く、
体格もいい。
現場へ入るなり状況をひと通り確認すると、
奥様の前へ出て深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。」
額には大粒の汗が浮かんでいる。

サクラは少し後ろに立ち、
同じように頭を下げた。

ひと通り説明が終わり、
二人で外へ出る。

すると新垣が振り返った。
周囲に聞こえないよう声を落としながらも、
口調は強かった。

「担当はサクラ、お前だろ。」
腕を組む。

「顧客を持ったら、
新人とか関係ないんだぞ。」
少し間を置いて続ける。

「最終的に確認するのはお前だ。」
「会社の損失だぞ。」
「お前、弁償できるのか?」
「あの便器、一台三十万するんだぞ。」

サクラは何も言わなかった。

(いや、入社してまだ二か月だぞ。)
(そもそも最後に確認するのは
先輩の仕事じゃないのか。)
(何が私の責任だよ。)

喉元まで言葉が出かかった。
でも、
ぐっと飲み込む。

そのときだった。

「おい、新垣。」
後ろから声が飛んできた。

代田だった。
腕を腰に当てたまま立っている。

「新人の教育は先輩の仕事じゃねえのか。」

低い声だった。
でも空気が一瞬で変わる。

「なんだ今の言い方は。」

新垣は黙った。
何か言い返そうとして口を開く。
でも言葉が続かない。

しばらく沈黙が流れた。

サクラは思う。
(だっさ……。)
(代田さんには何も言えないんだ。)

そして、
もう一つ思った。
(でも、なんで私をかばったんだろう。)

代田はもう話を終えたつもりらしかった。
道路の向こうを見ながら、
次の段取りを考えている。

さっきの言葉も、
特別なことをしたつもりはなさそうだった。
ただ当たり前のことを言っただけ。
そんな背中に見えた。



後日。
今度は正しい便器が現場へ届いた。

排水の位置も問題なく合っている。
据え付け作業は
驚くほどスムーズだった。

前回の騒ぎが嘘みたいに、
工事は静かに進んでいく。
代田は黙々と手を動かし、
便器は予定通り設置された。

「はい、終わりましたよ。」
その声と同時に、
新しいトイレがようやく家の一部になった。

奥様は何度も頷いていた。
白くなった便器を見ながら、
少し安心したように笑う。

「きれいになったね。」

「一時はどうなることかと思ったけど、
本当に良かったわ。」

その笑顔を見て、
サクラもようやく肩の力が抜けた。

でも同時に思った。

あの日まであった信頼と、
今の信頼は少し違う。

奥様は優しかった。
怒鳴ることもなかった。
最後まで笑顔でいてくれた。

それでも、
一度失った信頼は、
元通りには戻っていない気がした。

サクラは玄関先で深く頭を下げた。

「このたびは
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
顔を上げる。

奥様は変わらず穏やかに微笑んでいた。
けれど、
その笑顔の奥にある距離だけは、
前より少し遠くなっている気がした。



玄関を出ると、
門の近くで代田が待っていた。

腕を組み、
白いハイエースに
もたれかかっている。
春の風が作業着の裾を揺らしていた。

「どうだったよ、新人さん。」
軽い調子だった。

サクラはうまく答えられなかった。

代田はその顔を見て、
だいたい察したらしい。
それ以上は何も聞かなかった。

代田は道路の向こうを見ながら言った。
「ひとつ確認を怠るだけでな。」

少し間を置く。

「お客さんの信頼なんて、
一瞬でなくなることもある。」

サクラは黙って聞いていた。
代田は続ける。

「俺たちは設備を付けてるんじゃない。」
「お客さんの生活を預かってるんだ。」


その言葉は、
前回怒鳴られた時よりも、
ずっと重く胸に残った。

代田は腕を組み直した。
「あと、
この仕事は一人じゃできん。」

道路を走る車を眺めながら言う。
「営業がいて。」
「俺たち職人がいて。」
「メーカーがいて。」
「商社がいる。」
「みんなでやってる仕事なんだよ。」

そしてサクラを見る。
「誰か一人が手を抜いたらどうなる。」

サクラはすぐ答えた。
「お客様に迷惑がかかります。」

代田は少しだけ口元を緩めた。
「そういうことだよな。」

サクラは深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」

代田は鼻で笑う。
「次はちゃんとやるんだぞ。」

それだけ言うと、
運転席へ乗り込んだ。

エンジンがかかる。
白いハイエースは
ゆっくり動き出した。

角を曲がる直前、
サクラはもう一度小さく頭を下げる。

代田は気づかなかったかもしれない。
それでも、
サクラはしばらく頭を下げ続けていた。



先輩のせいじゃない。
職人のせいでもない。
自分の責任だった。

新人かどうかも関係ない。

お客様から見れば、
サクラは最初から担当者だった。

その当たり前のことが、
ようやく少し分かった気がした。

遠くから新垣の声が飛んでくる。

「おーい!早く乗れ!」
「置いてくぞ!」

振り返ると、
新垣が
車のドアを開けたまま手を振っていた。

サクラは小さく返事をする。
「今行きます!」
そして小走りで車へ向かった。

この仕事が
自分に向いているのかは、
まだ分からない。
明日も失敗するかもしれない。
また怒られるかもしれない。

それでも、
今は少しだけ違った。

あの日、
トイレの前で
立ち尽くしていた自分よりも、
少しだけ前を向けている気がした。

助手席へ乗り込み、
静かにシートベルトを締める。

車がゆっくり動き出す。

春の午後の光が、
フロントガラスいっぱいに広がった。

流れていく街並みを眺めながら、
サクラは小さく息を吐く。

…そして明日も、
現場へ行こうと思った。


サクラがこの仕事に入る前の話です。
▶ サクラは期待が集まる場所に立っていた

転職したサクラは働き直すことにした
▶︎第2話です。

サクラの記録はマガジンにまとめています
▶ 転職したサクラは働き直すことにした


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