第10回:データは答えではない― 判断の責任をどう教えるか
第9回のおさらい
『なぜPoCは量産され、成果は出ないのか― 教育から変えなければ、DXは動かない』と題して、PoCという名の単純作業が量産されやすい状況について、学校教育とDXに必要な教育との違いの面から整理してきました。
データドリブンの誤解
DXの文脈で「データドリブン」という言葉はよく使われます。
・データを見て意思決定する
・勘や経験に頼らない
・客観的に判断する
一見すると正しい考え方です。
しかし現場では、次のような状況が起きています。
「データはあるのに、意思決定が進まない」
「データを見ているのに、誰も決めない」
なぜでしょうか。
データを“答え”だと思っているからではないかと思います。
データは判断を代替しない
重要な前提があります。
データは意思決定を代替しません。
データが示すのはあくまで「観測結果」です。
何が起きているか、どのような傾向があるかは分かりますが、
何をすべきか、どこに介入すべきかは決めてくれません。
にもかかわらず、
「データを見れば正解が分かる」
という前提で動いてしまう。
その結果、
判断が先送りされるという状態が生まれます。
非線形な世界では「正解」は存在しない
この問題の背景には、現実の性質があります。
現実は、単純な因果関係では動きません。
数学や物理で登場する、いわゆる「非線形」です。
小さな施策が大きな影響を生んだり、
合理的な施策が逆効果になったりする。
例えば、
・KPIを導入したら、数字だけが改善して本質が悪化した
・効率化したら、現場のモチベーションが下がった
・AI導入で逆に業務が増えた
これはすべて、
原因と結果が比例しない世界で起きています。
この世界では、
唯一の正解は存在しません。
仮説なしにデータは読めない
ここで重要になるのが、これまでの議論です。
・モデルを描く(第6回テーマ)
・レバレッジポイントを見つける(第8回テーマ)
・仮説を置く(第8回テーマ)
この前提があって初めて、データは意味を持ちます。
なぜなら、
データは「何を見たいか」が決まって初めて解釈できるからです。
仮説がなければ、
・どの指標を見るべきか分からない
・変化が意味することが分からない
・次に何をすべきか決められない
結果として、
データはあるが、何も変わらない
という状態になります。
理系的思考の重要性が各所に登場しています。
というか、理系的思考そのものと言ってもいい良いぐらい。
データドリブンとは「責任を持って決めること」
では、データドリブンとは何でしょうか。
それは、
データに従うことではありません。
データを踏まえて、自分で決めることです。
仮説を置き、データを見て、仮説とズレていれば修正する。
このサイクルの中で、
最終的な意思決定は常に人が行います。
つまり、
判断の責任は人に残る。
ここが抜け落ちると、
「データがこう言っているので…」という
責任回避の意思決定になります。
教育で抜け落ちている「判断の責任」
この問題は、教育とも強く関係しています。
これまでの教育では、正解が存在し
それを当てるという構造が中心でした。
この環境では、
自分で決めて責任を持つ経験がほとんどありません。
そのまま社会に出ると、
・データを見ているが決められない
・判断の責任を持ちたくない
・「正解」を探し続ける
という行動になります。
生成AIにデータを解析やアクション検討をさせると、
考えもしなかった”答えらしきもの”が得られます。
ですが、何を信じて何を採用するかは
自分で決めなければいけません。
DX人材に必要なのは「決める力」
DX人材というと、
「データ分析力」や「AI活用力」が注目されがちです。
しかし本質は違います。
不確実な中で、仮説を置き、決める力。
そして、
その結果に責任を持つ覚悟。
これがなければ、
どれだけデータがあってもDXは進まないと思います。
データは「問い」を深めるためのもの
データの正しい位置づけはこうです。
データは答えではない。問いを深めるための材料である。
・なぜこの結果になったのか
・仮説とどこがズレているのか
・次はどこを試すべきか
こうした問いを生み出すために、データを使う。
この姿勢が重要だと思います。
第11回に向けて
第10回では、DXの現場で起きている多くの問題は、「仮説がない」「レバレッジを見ていない」「非線形を前提にしていない」ことに加え、『判断の責任を引き受けていない』ことに起因しているのではないか、と整理してきました。
第11回は『不確実性』をどう取り扱うか、文化をどう育てるかという点を、教育の面から考えてみたいと思います。
不確実性に耐えられない文化がDXを阻む。教育段階で不確実性耐性をどう育てるか。
