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Bobby Shmurdaが7年で学んだ自由の値段

2014年、Bobby Shmurdaは"Hot N****"で一夜にして世界の注目を浴びた。帽子を投げ、体をスライドさせるあのダンスが爆発的に拡散し、Brooklynブルックリンから世界へその名が轟いた。だが、その栄光は信じがたいほど短命だった。レーベル契約からGS9の一斉逮捕まで、わずか5ヶ月。Bobby Shmurda自身が「セレブでいられたのは4ヶ月だった」と振り返る、ヒップホップ史上最も短い全盛期の一つを経験した男は、7年の収監を経て全く別の人間として戻ってきた。Tony YayoとUncle Murdaが司会を務める番組「The Real Report」に出演したBobby Shmurdaは、獄中で人生を変えた一言、50 Centから受けたビジネスの教え、そしてインディペンデントとして築き上げた事業帝国について語った。


"Hot N****"と4ヶ月の閃光

"Hot N****"のビートは、もともとLloyd Banksが使用していたものだった。Bobby Shmurda自身はインストゥルメンタルを先に耳にし、Lloyd Banksの楽曲の存在を知らないまま2013年にレコーディングした。翌2014年にミュージックビデオを撮影。あの象徴的な帽子投げとスライドダンスとともに曲は爆発的に拡散した。Parisパリではファンが帽子を投げて踊り、吹雪の日に車の上を滑る映像にまで使われ、何年経っても色褪せない。

しかし、Bobby Shmurdaに与えられた時間は残酷だった。レーベルとの契約は2014年7月17日。GS9メンバーの一斉逮捕は同年12月17日。通常なら刑務所の独房で過ごす程度の期間しか、スターとしての活動は許されなかった。出所した今でこそ、Korea韓国DubaiドバイPolandポーランドGermanyドイツRomaniaルーマニアJamaicaジャマイカLondonロンドン、Paris、BelgiumベルギーNorwayノルウェーHondurasホンジュラスと世界中をツアーで回っているが、当時はその機会すら掴めないまま消えた。

逮捕の夜、Bobby Shmurdaはスタジオにはいなかった。仲間から「外に大量の警察がいる」と告げられ、車で脱出を図った。だが私服刑事に尾行されており、車を止められた瞬間、車内から銃が見つかった。スタジオには10丁以上の銃があり、合計で14もの銃器関連の容疑がかけられた。注目すべきは、この事件を担当したのがFBIではなくニューヨーク市警の刑事だったことだ。Bobby Shmurdaによれば、FBIは「もっと確実な証拠がなければ引き受けられない」として事件を拒んだ。Brooklynサウスの刑事たちは、"Hot N****"の歌詞に登場する仲間の実名を手がかりにしていた。Bobby ShmurdaはNYニューヨークドリルシーンが確立する以前に、楽曲内で仲間の名前を出す手法をヒットに乗せた先駆者でもある。だがその先駆性が、捜査の素材にもなったのだ。

"Hot N****"は世界的ヒットだった。だが4ヶ月の栄光の代償は、7年の自由だった。

「お前は最も賢いバカだ」

収監当初のBobby Shmurdaは怒りに支配されていた。5つの小学校を退学処分になった少年時代から、11歳で始まった少年院と刑務所の出入り。収監そのものは未知の体験ではなかったが、"Hot N****"で掴んだはずのすべてを失った喪失感は別格だった。銃器関連では初の有罪判決で7年。「12人を撃った」と自ら認める過去と比べれば軽いのかもしれない。だが「汚い事件だった」とBobby Shmurda自身が語るように、刑の重さに対する納得はなかった。

転機が訪れたのは25歳のときだ。刑務所内でウェイトを手に別の受刑者の上に立っていたBobby Shmurdaに、Fat Catという人物が声をかけた。

お前は俺が会った中で最も賢くて、最もバカな人間だ

Fat Catの指摘はこう続いた。お前は完璧な計画を立てる。仲間を動かし、金を回し、すべてを組み立てる能力がある。だがバカな連中のそばに行って、バカなことをやらされて、積み上げたものを全部台無しにする。お前が動かしていたもの、仲間にやらせていたこと、全部が消える。そしてお前は懲罰房に送られる。

Bobby Shmurdaはそれまで、仲間がいる場所には必ず顔を出していた。「ホーミーがあそこにいるなら俺も行かなきゃ」。だがFat Catに指摘されて気づいた。それは忠誠心ではなくプライドだった。フッドの人間だから行かなければならないという思い込みが、繰り返し彼を危険に引き戻していたのだ。「誰も銃を突きつけて『行け』とは言っていない。行くかどうかを決めているのは自分自身だ」。Bobby Shmurdaはそう悟った。

その判断を変えた途端、周囲の環境が変わり始めた。問題のある場所に近づかなくなると、良いえんが向こうからやってくるようになった。「もし刑務所に行かなかったら、25年の懲役を食らっていただろう。神が俺をあそこに置いた理由がある」。Bobby Shmurdaは収監という経験を、自分に与えられた最後の救済として受け入れた。Fat Catの一言が、怒りと衝動に支配されていた青年を「環境を選ぶ」人間に変えたのである。

過剰な忠誠が奪った時間

Bobby ShmurdaのGS9での立場は、単なるラッパーのそれではなかった。ブロックの「銀行」と呼ばれた男。仲間が1000ドル、2000ドルを借りに来れば貸し、すべての銃を管理し、何かが起これば真っ先に駆けつけた。クラックの売買で得た資金を常に回転させ、仲間が服や遊びに使い込んでも自分は利益を次の仕入れに回した。さらに仲間の保釈金や弁護士費用にも5万ドル、3万ドルと惜しみなく注ぎ込んだ。14歳で家出し、仲間に引き取られた彼にとって、GS9は家族そのものだった。

その「家族」のために、Bobby Shmurdaは余分な刑期を背負った。番組ホストのTony Yayoはこの事実に驚愕し、率直に言い放つ。「俺だったら絶対にやらない。ヒット曲を持っていたら、ギャングじゃないと言って自分の道を行く。俺がスターだということを忘れたら終わりだ」。Bobby Shmurdaの選択はヒップホップ史上でも前代未聞であり、通常こうした犠牲を払うのはスターの側ではないと語られた。

Tony Yayoはさらに核心を突く。「Chris Lightyがマネジメントにいたら、こうはならなかった」。Violator Managementを率いた伝説的マネージャーChris Lightyであれば、世界的ヒットを持つアーティストを最優先に守り、2年で出所させる道を全力で探っただろう。Tony Yayoの試算では、当時のBobby Shmurdaは1公演10万ドルから25万ドルを稼げるレベルにあった。数百万ドル規模のショーマネーが、逮捕と過剰な忠誠によって丸ごと消えた。ヒップホップにおけるショービジネスの経済構造を知れば、その損失の深刻さがより鮮明になる。

Bobby Shmurda自身はこう振り返る。「当時の俺は完全にのめり込んでいた。すべての銃は俺のものだった。何か起これば最初に俺のところに来る。母親は家から銃を5丁見つけて俺を追い出した」。男として仲間への忠誠を全身で貫いた結果、キャリアの最も貴重な時期が奪われた。Fat Catの言葉を借りれば、まさに「最も賢くて最もバカな選択」だったのだ。

50 Centが渡した「ビジネスという鍵」

出所後のBobby Shmurdaの変貌を支えたのは、50 Centの存在だった。インディペンデントアーティストとして生きるなら、楽曲にもプロジェクトにも予算をつけなければならない。その教えを「100万ドル以上の価値がある」とBobby Shmurdaは断言する。

50 Centの世界は、Bobby Shmurdaに全く異なる景色を見せた。Battery Parkバッテリーパークの高級住宅街に暮らし、自由の女神が見えるエリアで観光客と裕福な住民に囲まれる日々。Hublotウブロのパーティでは50 Centに100万ドルの時計が贈呈され、Bobby ShmurdaとUncle Murdaにも4〜5万ドルの時計が試着用に渡された。パフォーマンス限定であることを念押しされ、書類へのサインまで求められたのはBobby Shmurdaらしいエピソードだ。ビリオネアの邸宅では1500万ドルの絵画が壁に並び、Kim KardashianやSerena Williamsが同じ空間にいた。「トラップからの長い道のりだ」とBobby Shmurdaは笑う。

海外ではConway the Machineから「プルアップの力」という教えを受けた。50 Centのイベントに顔を出すだけで、Dave Chappelle、Andrew Schultz、Master Pがいる。そこで新しいビジネスや仕事が生まれる。この哲学に従い、Bobby ShmurdaはSnoop Doggの人脈を通じて不動産会社SL Greenのパートナーと出会い、投資の世界に足を踏み入れた。現在はTimes Squareタイムズスクエアの7番街にカナビスストアDaily Greenを共同運営し、Texasテキサスでは叔母とともにクリニックへの投資を行っている。DaBabyもまた、逆境の中でインディペンデントにキャリアを再構築しているアーティストだが、Bobby Shmurdaの事業多角化はさらに広範囲に及ぶ。

今夏、Bobby Shmurdaは音楽、アパレル、カナビスブランドを同時に投下する「360」計画を進めている。「全部を一度に、一つのムーブメントとして出す。あちこちバラバラに動くのはもうやらない」。自らを「ハスラーかミュージシャンか」と問われた彼の答えは明快だ。「音楽がハスルだ。知的財産を売っている。結局、俺はクラックを売っていた頃と同じことをしている」。Korea、Dubai、Poland、Germany、Romania、Jamaica、London、Paris、Belgium、Norway、Honduras。「出所後のほうが、最初のレコード契約のときより多く稼いでいる」と語るBobby Shmurdaの言葉は、7年という代償を自らの手で回収しつつある男の静かな自信に満ちている。

自ら「32歳」と語るBobby Shmurdaは今、オフィスに座り、パスポートを持ち、合法的に世界を動いている。Fat Catから「環境を選べ」と学び、50 Centから「ビジネスとして組み立てろ」と教わった男は、自由の値段を知っている。その値段を払い終えた者だけが持つ覚悟かくごで、次の一手を打とうとしている。

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