中銀独立性の「静かなる侵食」
告知が事後報告になってしまい恐縮ですが、一昨日は楽天証券さんのオンラインセミナーに登壇させて頂きました。今年度もいくつかリアルイベントに登壇する予定ですので、遊びに来て頂けると幸いです。今度からちゃんと事前に宣伝するように気をつけます。まだ下記で視聴可能のようです:
さて、米中首脳会談が終わりました。この辺りの考察はもう少し情報を整理してから議論したいと思いますが、どことなく、米国と中国は殴り合いを続けることの意味をトーンダウンさせており、冷戦の雪解けモード(?)にあるのかな・・・と感じます。
その際、互いの勢力圏をしっかり線引きした上で仲良くやろう、ということであれば中国としても得るものが多そうですから、台湾についてトランプ政権が踏み込んだ対応をしなければ当分、米中摩擦は穏便に抑制された状態が続くのではないか…と期待したいものです。
ついでに両国の利害が一致するであろうホルムズ航行の安全性も一致協力してイランを封じ込めて貰えれば、という点も期待します。
中銀独立性、静かな侵食
さて、、、今回は少し趣向を変えまして、先週5月7日に行われたシュナーベルECB理事の講演に着目してみたいと思います。日本語報道では殆ど拾われていませんが、非常に真っすぐな内容で、私としては好きな内容だったので、市場参加者や政策担当者の方々に広く読んで貰いたいと感じました:
講演の演題はズバリ「The quiet erosion of central bank independence(中銀独立性の静かな侵食)」です。「The quiet erosion」…気になる表現です。今回のテーマ選択は相場情勢とは無縁の完全に私の趣味ですが、こうした中央銀行にまつわるソリッドな議論は、難しい数式や理論が出てくることもなく、腰を据えればどなたでも読めるものかと思います。定期的に読んでおくと血肉になる内容であり、文字通り、「腐らない議論」です。
近年、中銀独立性への疑義は米国や日本でしばしば話題に上がるテーマですが、各国寄り合い所帯の国際機関であるECBは相対的な健全性(独立性)の高さが意識されやすい状況です。事実、ユーロが堅調を維持できているのは、そうした政治的な干渉に晒されにくく、また、EU政治自体が対米依存度を下げようとする中で域内の経済・金融情勢を中長期的に評価する向きがあるからではないかと私は考えてきました:
今回のシュナーベル講演では中央銀行を取り巻く現代の危うい状況、独立性が脅かされるメカニズム、それを守るための処方箋などが議論されています。時折垣間見られる「ドイツ人っぽさ」は割引いて咀嚼する必要がありそうですが、現代の中銀が置かれている環境を的確に言語化しており、欧州に限らず、「今、セントラルバンキングはどういった立ち位置なのか」と知りたい読者にはお勧めです。趣味性の高いテーマですが、時間が経てば、こういう議論を押さえていることの重要性は感じられるでしょう。
なお、この手の講演やブログは一昔前までは翻訳にコストがかかっていましたが、今はAIに投げ込めば良いだけです。良い時代になりました。
「静かな浸食」=「財政支配」+「金融支配」
今回の講演が興味深いのは、あくまで政治的な圧力が中銀独立性を直接的に侵害しているというわけではなく(米国ではそれも起きていますが)、より巧妙で静かな形態でそれが進んでいるという指摘です。
講演を総括すると、「静かな浸食(the quiet erosion)」としては2つの形態で確認されています。1つが財政支配(Fiscal Dominance)、もう1つが金融支配(Financial Dominance)です。これらの論点が世界の中銀情勢にとって争点化しているという問題意識が示されています。
前者に関しては、中銀独立性の論点と絡めて頻繁に議論される論点ですので、「聞いたことがある」という読者の方は多いと思いますし、聞いたことが無くても「ああ、それね」と理解する読者も多いでしょう。
政府債務残高が高い水準にある場合、中銀がインフレ抑制のために金利を引き上げると、政府の利払い負担が急増し、財政の持続可能性が危うくなります。そのため、この状況下に置かれた中銀は財政破綻を回避するために本来必要とされる水準まで金利を引き上げることが難しくなります。
つまり、金融政策が「物価の安定」という本来の目的ではなく、事実上、「政府の資金繰り」を支えるために利用されるという構図であり、中銀の独立性を徐々に、静かに奪っていく流れに繋がります。これが「財政支配」の定義です。こうした点にまつわる猜疑心は近年の円安を説明する理由にも持ち出されることが増えているのは周知の通りです。
一方、後者の「金融支配」は今後、懸念されそうな動きとして紹介されています。シュナーベル理事は近年、金融システムに関して規制緩和の動きが再燃していると指摘した上で、これにより脆弱性が増してしまうと、中銀が金融引き締めを行おうとしても、それが市場のパニックや銀行破綻を招くリスクが心配されることから、躊躇されやすくなるとの懸念が示されています。
つまり、「物価安定」よりも「金融システムの維持」を優先せざるを得なくなり、金融政策の自由度が失われるというのが「金融支配」の定義です。近年、リーマンショック後の規制強化について揺り戻しの動きが見られ始めていますから、その動きをけん制する意味でシュナーベル理事は「金融支配」の視点から注意喚起を図っているわけです。
まとめると、「財政支配」は「政府の資金繰り」を優先して中銀の自由度が奪われる議論でしたが、「金融支配」は「金融システムの維持」が優先され中銀の自由度が奪われるという議論です。いずれも「無意識に中銀の独立性を奪っている」という構図に繋がるため、「静かな浸食(the quiet erosion)」であると表現されています。
財政支配は着々と進んでいる
講演の中では、特に「財政支配」に関しては、「NATO加盟国全体で国防費が急増しており、グリーン移行とデジタル移行への投資ニーズが財政にさらなる圧力をかけ、利子負担の増加によってその圧力は増幅されている」と直近のテーマに絡めた指摘も見られています。
例えば、米中の政府債務残高に関し、中国が2025年のGDP比99%から2031年には127%に上昇し、米国も同期間に124%から142%へ上昇するとのIMF予測が紹介されています。問題はそれだけの発行量を吸収する市場の構造的な能力が一定ではないという点です。講演では「2025年初頭までに、ヘッジファンドの二次市場取引におけるシェアは、米国債市場では約3分の1にまで増加し、ユーロ圏の国債市場ではさらに高い水準に達している」との指摘が行われていますが、当然、そのような価格に敏感な投資家の保有割合が増えるほど、国債利回りは不安定化します。
ファイナンス理論を勉強された方は分かるように、長い年限の国債ほど価格の感応度は大きくなるため、価格に厳しい投資家が増えるほど、長期金利が不安定化することになります。事実、多くの国が金利環境の変化に対応するため、国債償還構造を短期化させています。ECBから図表を拝借します:

しかし、保有国債の短期化が進むほど、満期がいちはやく訪れるようになるわけですから、金融引き締めの財政的影響がより速く顕在化するようになります。当然、中銀の利上げに対して財政支配(≒政治)の圧力が強まりやすくなります。「財政支配」そのものです。
日本の場合、30年間にも及ぶ低金利政策によって、こうした短期化の度合いは依然小さいものの、残高は極めて大きいという問題を抱えます。「財政支配の懸念は直ぐには到来しないものの、長期的には甚大」といった基本認識が必要な状況と診断されます。
今後、不安視される金融支配
「金融支配」に関しては、リーマンショック後の金融機関への資本規制強化が極めて厳格であり、一部過剰であるとも言われる状況が続いてきました。ゆえに、近年ではそうした保守的な資本政策がデレバレッジ(信用収縮)を促す可能性も心配されているところです。
シュナーベル理事も「10年以上運用されている枠組みにおいて、何がうまくいき、何がうまくいかなかったのかを定期的に見直すことは、正当かつ必要不可欠である」と緩和の流れには一定の理解を示しています。実際、多くの銀行は、健全性規制要件を上回る質の高い流動資産を保有していますが、脆弱性の露呈を恐れる結果、「ストレスがかかった時にこれらの資産を取り崩すことに消極的である可能性がある。利用できない緩衝材は、その目的を十分に果たしていない」と述べ、それは「駅を出発することのない最後のタクシーのようだ」と揶揄しています。
ECBも規制の正当性を確保しながら、規制が過度に複雑になったりする動きについては排除する方向で動いているともシュナーベル理事は述べています。とはいえ、そうした動きが行き過ぎた場合、2008年(リーマンショック)以降がそうであったように、システミックリスクは増大しますから、将来的に中銀が引き締めに動きづらい状況、いわゆる「金融支配」に直面しやすくなります。総じて、「財政支配」に比べれば、「金融支配」は現在というよりも、今後不安視される危機といった指摘です。
中銀使命の範囲をどう考えるか?
こうした現状認識を踏まえ、シュナーベル理事は「中銀独立性への静かな浸食」を食い止め、中銀がその使命を果たすためには、以下の3点が必要であると説いています:
①健全な財政枠組みの維持すること
②堅牢な金融規制を維持すること
③使命の厳守と明確な境界線を敷くこと
この中で①や②は言うまでもない話です。③については、与えられた権限の範囲内で行動し、その決定の根拠を透明性と共に説明し続ける必要があるとシュナーベル理事は強調します。時代の変化や経済・金融情勢に応じて、従前の責務から逸脱した挙動が求められることが中銀にはあります。
例えば、大規模な資産購入プログラムはその一例でしょう。この点、シュナーベル理事は「資産購入プログラムの根拠は必ずしも説得力のあるものではなく、政治が配慮すべき資産分配の問題に影響をもたらしている」と批判的な持論を展開しています。「あくまで金融政策は政策金利の調整を主たる手段とした上で、政治家が取り扱うべき領域に踏み込まぬよう、非伝統的な政策からは距離を取るべき」というタカ派の胸中が透けます。伝統的なドイツ出身のメンバーが持つ政策観でもありますから、ある程度はそのユニークな価値観を割引く必要がありそうです。
気候変動に関与するのはアリなのか?
一方、ラガルド体制下のECBは気候変動対策に傾倒し、これは政治領域への越権行為ではないかとの批判がかねて存在してきました。この点に対し、シュナーベル理事は「気候変動は金融の安定性にも重大なリスクをもたらす<中略>気候変動が物価と金融の安定に及ぼす影響を考慮することは、中央銀行と監督当局の責務の中核をなすもの」と抗弁しています。
結論から言えば、私はこの考え方には同意できません。中銀が行う金利調節や資産購入と気候変動問題では議論の時間軸が違い過ぎるからです。
例えば、環境対応に勤しんでいる企業の社債を好条件で購入する…というラガルド体制で始まった制度があります。しかし、この政策が最終的に気候変動問題の解決にどの程度寄与したのかという点に関し、誰が、どうやって検証するのでしょうか。基本的には難しいはずですし、検証できたとしても数万年、いや数百万年先の話になるでしょう。政策対応の因果について責任が取れず、検証も難しい以上、中銀が積極的に関与すべき分野ではないし、そもそもECB以外でここまで気候変動分野に関心を寄せる中銀は存在していません。この辺りは自己弁護の色合いが強いな、苦しいな、と感じました。
もっとも、③の要旨は「任務の境界が曖昧になることは、政治介入の隙を与えることに繋がる」という点にありますから、この点は全くもって同意できます。例えば株価の動揺を危惧して、ETF購入まで踏み込んだ結果、その正常化に100年以上の月日を要する措置が必要になった日銀の例もあります。
当然、株価動向を通じて、資産分配機能への影響も幾分かあったと考えると、シュナーベル理事の危惧する通り、政治が取り扱う分野に踏み込んでしまった可能性はあります。
中銀の独立性は「好みの問題ではない」
今回のシュナーベル講演が強調しているのは中銀にとっては「法律上の独立性(de jure independence)」だけでは不十分であり、「事実上の独立性(de facto independence)」を確保し続ける努力が重要ということです。
講演中には「財政・金融の支配が曖昧な権限の中で金融政策の余地を静かに侵食していくことを許容すれば、独立性は徐々に失われ、最終的にはインフレ率の上昇と経済成長率の低下につながる」との警鐘がありました。
この点、日本では利上げに際して「景気が耐えられるのか」といった空気が蔓延しやすく、実際の政策運営においても少なからぬ影響を与えている印象も受けます(利上げの話をすると、烈火のごとく怒り始めるリフレ思想に染まった論者はその最先端にあると思います)。30年以上、超低金利に浸かってきただけに世論の支持が(恐らく諸外国以上に)得にくい風土があるのは致し方ないのかもしれません。
しかし、支持が得られずとも「正しいこと」を行うために、中銀には独立性が付与されているというのが歴史的経緯でもあります。
講演の最後、シュナーベル理事は「中銀の独立性は、官僚的な好みの問題ではない。それは、すべての人にとっての貨幣価値を守るという責務である」と締め括っています。通貨安に悩みを抱える国ほどこうした主張は響くのではないかと感じました。
長々と今回はお付き合い頂きありがとうございました。深謝です。
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