『その刀の煌めきは』二章:夢の中。#1
幕間
その男は多くのモノを切った。
命じられたために、何度も切った。
切った。斬った。伐った。剪った。
それは刀の良し悪しを図るために。それは天の願いを叶えるために。
だが、それと同様に迫る悪意から民を守るために行ったことでもあった。
それが間違いだと微塵も思っていなかった。主の命であり、これこそが正義だと。
しかし偶然にもその光景を見た民は、その男の姿に怯えた。
そして、その一つの怯えは一瞬にして、民衆に伝播した。
罪のない獣を。罪のある人を。容赦なく切り殺したと。
それは残虐であり、民の上に立つ者、さらには帝に仕える者のやることではないと。
恐れられ、畏れられた。
最後には、男に仕えた友や家臣、そして男自身を切った。
それを知った人々は、獣の所業だと男を嘲笑う。
そして、多くのモノを切り殺したその男を人々は、こう呼んだ。
畜生に堕ちた者、「殺生■■」と。
正しさとは何か。あのとき何を成せばよかったのか。
私は今も答が出せぬままでいる。
二章:夢の中。
図書館棟四階東側。窓際にならんだ一人用の席に座り、しばらく誰もいないこの空間の静けさを堪能する。
時間は、さっき三限始まりのチャイムが鳴ったぐらいである。昼休みはいつも通り、田後らと過ごした。
田後は教職課程の授業。猪上は部室に顔を出して先輩と月食の交渉。小塔は午前で授業が終わりなため一旦下宿先に戻るということでそれぞれ昼休みに解散した。三限が空きコマだった俺は今図書館に来て涼んでいる。
特に図書館に用事があったわけではなく、時間を潰すためだけに来た。
二限終わりの蔵橋さんとの会話を思い出す。
なぜさっき俺自身はああ口走ったのか。昼休みを過ごして考えてもわからなかった。
田後らにも相談した。「別にええんちゃう」の一言だった。
(月食見るだけやしなあ。そりゃ何の問題もないか。みんなでわいわい行きゃええわけやし)
「蔵橋さん、なあ……」
周囲に誰もいない状況で、思わず言葉が口から漏れる。
高校のころから、普段あまり関わりのない人に対して興味を持てなかった俺が、クラスメイト以外で唯一名前を覚えている女子。
隔離された進学クラスでもその名前を知っている人は多かった。それほど彼女はあの学校で有名人だったわけである。容姿端麗で、勉強もスポーツもできる万能人間。それから、家が大きな屋敷だとか、金持ちのご令嬢だとか、親戚が大きな神社の神主だとか、いろいろな噂を聞いた。そんな感じの人というイメージで、うちのクラスでも時たま話題になっていた。
たぶん彼女に憧れた人は多くいたのだろう。恋愛沙汰に疎かった俺はあまり詳しくないが、うちのクラスにも彼女に魅せられた人はたくさんいたんじゃないだろうか。たぶん。きっと。知らんけど。
そして俺が関わることのない類の人だろうと思う。
一度二度話した気もするが、あまり覚えていない。覚えていないからたぶん大した話はしていないだろう。
大学に入ってから初めて、同じ学部に蔵橋さんがいることを知った。
それでも、まあ話せるタイプの人じゃないだろうと思って、こちらから話しかけることはあまりなかった。向こうから話しかけてくることは何度かあったが、それでも世間話か授業の内容についての話ぐらいか。彼女にとって、暇つぶしに同じ高校出身の知り合いと話そうとしただけだろうと思う。
今回もきっとそうだろう。そう起こることのない自然現象を見に行こうという俺らの話を聞いて、彼女自身も行きたくなっただけだろう。うん、きっと暇つぶしだ。
あんまり蔵橋さんのことを考えていても仕方がない。ずっと蔵橋さんのことを考えている自分自身が気持ち悪く思えてきた。これ以上考えても不毛なだけだろう。
「なにぼーっとしてんの、川のっち君。君も探しもん?」
ふいに声を掛けられてびくっとする。
聞き覚えのある声と呼び方。だが声の主の名前が思い出せない。
ふと一瞬襲った眠気を押して顔を上げ、相手の顔を見る。
隣には、田後と同じくらいの長身で細身の男が立っていた。
(ああ、思い出した)
茶色く明るめに染まった髪と、両耳たぶにはまった銀色のピアス。それから目を引くのは背に負われたスポーツメーカーのロゴの入った黒いバットケース。
「ちょっと時間潰しに本でも読もうかと思って。沓木君はなにしてんの? 授業やなかったん?」
沓木緑。普段からあまり関わりはないが、確か外打らとよく絡んでいた気がする。それから教職課程の授業も取っていたから田後らとも仲が良かった……気がする。
自身の記憶が、とてもアバウトに感じる。こんなにも声を掛けてくれる人のことを思い出せないものだろうか。
(本当に普段から関わりのある人間しか興味を持たない癖やめよう)
「今日はちょっと調べものというか探し物があるから授業サボってる」
どこかで聞いたようなセリフだ。今朝会った黒髪の男が脳裏にちらつく。
沓木の顔を見て、なにか違和感を覚える。相手の顔をじーっと見て違和感の原因を探す。
「絶対に欲しいもんがあってさ……なに? なんか俺の顔変?」
あまりにじっと見つめる俺に対して沓木が不思議そうに聞いてくる。
違和感というか普段のイメージとの違いを口にする。
「なんか今日眠そう……というか目、開いてへんくない?」
曖昧な記憶の中から普段の沓木のイメージが見つかる。普段はもっとはっきりと開いた目をしていた気がする。
「! ふーん……うん、そうやねん。今日ちょっと寝不足気味で、あんま目が開かんのよ」
「まあそういう日もあるよな」
適当に返事をする。曖昧な記憶のなかの違和感なんて当てにならなさすぎるし、これ以上の詮索も意味がないのでやめる。
実際眠すぎて目を開けるのが面倒な日もあるだろう。俺にはあんまりわからんけど。
「そういや月食見に行くの楽しみやね」
唐突に沓木がおかしな話題を振ってくる。
「? なんで見に行くん知ってんの?」
この話題は田後らと外打らのあの場にいた者しか知らないはず。外打らが昼休みに話した可能性もあり得るけど——。
「嫌やな、朝秀介らと一緒に見に行こうって言ってたやん」
一瞬の間。再びの違和感。
「……ああ、おったっけ、そういえば。悪い、忘れとったわ」
まったく思い出せないが、気まずくさせないために適当に話を合わせる。
今朝、二限開始前の情景を頭の中で思い浮かべる。
外打と村内に話しかけられたときに、その後ろに誰かいた気がする。その誰かが沓木だったのだろうか。しっかりとは思い出せないが、誰かがいたようなことは思い出せた。
「酷いなあ。俺は結構みんなで山登って月食見に行くの楽しみにしてんのに。これでも友達想いやし」
「そんなに楽しみかあ?」
正直な話、月食は山なんて登らなくとも開けた場所だったら見えるだろう。結局、普通に月を見るのと変わらないわけだし。
(やっぱ山登るん面倒やな……)
つい面倒だと思うことが口に出てしまいそうになる。
「あんまり友達とこういうことしたことなかったから、結構わくわくしてるんよ。いやー、ほんまに楽しみやわー」
純粋に楽しみにしてる沓木に悪いと思い、必死に口から出かかったものを飲み込んでごまかす。
「それ男友達での話やろ。この前も女の子連れてたやつがよく言うわ」
しかし、思わず口が止まらなくて思っていた本音が出てしまう。
「それは関係ないやん。恋愛と友情は話がちゃうやろ? 友達は大切にせんと。会えんくなったらつまらんしね」
「……——」
なにか奇妙な感覚に陥る。だがその感覚の正体が掴めない。
なにがこんなにも引っ掛かっているのかわからないが、頭をひねっている間に再び眠気が襲ってくる。こらえられずに欠伸が漏れる。
(あかん。本格的に眠気が来てる……)
「眠そうやね? 川のっち君」
「あー、なんかすごい眠気が来てるわ」
「夜までにちゃんと寝といてや。川のっち君が欠けたら皆おもろくないと思うし。俺の願いも叶わへんし」
「なんやその意味のない世辞。沓木君もさっさと授業出ぇや」
「うん、そうやね。それじゃあ行くわ。また夜に」
そう言って沓木は下の階へと続く階段へと向かっていった。
(なんやったんや、今のは。普段声なんて掛けて来おへんのに)
(あかん、眠気がマックスや……ちょっと軽く寝よう)
上半身の体重を机に預け、少し椅子を引いて、完全に机にもたれかかって寝やすい体勢になる。
少し傾いてきた日差しが気持ちいい。静かで心地いい環境が、徐々に徐々に意識を奪っていく。
