何故こんなにも苦しいことが愛なのか?【第2話】
人は、失いかけて初めて気づく。当たり前だと思っていたものが、有限だったと。
「田中美智恵さんのご家族の方でしょうかー」
訛りのあるら話し方をきいた瞬間、母の顔が浮かんだ。
「駅構内で倒れられ、現在、病院へ搬送されています」

言葉が、耳から頭の中を通り抜けてゆく。
搬送……
警察官の言葉を必死につなぎ合わせながら、何度も「はい」と答えていた。
「師長、母が倒れたらしくて……すみません早退させてください」
看護師だというプライドに支えられ、かろうじて動揺を隠す。
「わかったわ。気をつけて」
その言葉にこみ上げる感情を飲み込み、病院を飛び出した。
何も考えられない。とにかく走ることだけが、今出来ることだった。 電車に駆け込むと、大きく背中で呼吸をする。なのに呼吸は浅く、胸の奥が苦しい。
(お願い。生きていて)
状況はまだわからない。けれど、この職業を選んだ知識がゆえに、様々な不安が呼び起こされた。

持病が影響したのかもしれない。元々血栓が出来やすく薬を飲んでいた。けれど半年前、父が事故で突然この世を去ってからというもの、母は目に見えて元気をなくしていた。
ちゃんと薬を飲んでいたのだろうか。
電話口でいつも「大丈夫よ」と笑う声が、どこか遠くなっていた気がした。
以前よりはまめに実家に帰っていたけれど、特急を乗り継ぎ一時間半かけてまで、そう頻繁に帰ることも出来なかった。今になって思えば、通勤時間に三十分足すだけで通える距離だというのに。
言い訳はいくらでも出てくる。仕事、家庭、疲れ——でも本当は、賢哉と旅行に行ったり、美味しいものを食べに出掛けたりした。
その間、母は何をしていたのだろう。
父の使っていた湯呑みを、まだ棚にしまえずにいると聞いたのは、いつだったか。
大切な人を失うおそれを感じた今になって、母の切なさを理解し、涙が止まらなくなった。
(まだ、生きているよね?)
後悔ばかりが胸を締めつける。突然倒れたと聞いた瞬間脳裏には、いくつもの病名と、その予後が一気に浮かび上がった。
――脳梗塞。
――くも膜下出血。
どれも、一歩間違えれば、命に関わる、何度も叩き込まれた知識。現場で、嫌というほど見てきた現実が、、最悪のシナリオを描く。
「お願い……生きていて……」

誰にともなく、そう呟きながら、ただ病院へと続く道を急いだ。
病院のある駅に着くと、改札の向こうに夕暮れが広がっていた。オレンジ色を濃く残し、ホームの端やビルの輪郭をやさしく染めている。
まだ間に合うかもしれない。
そんな曖昧で頼りない期待を感じながらタクシーに乗り込むと、“村山総合病院”という看板が見えて来た。
木々の向こうに静かに佇む古びてくすむ壁に不安が募るが、窓に映る夕焼けに祈りを込めて見上げると、自動扉が開いた。
人工呼吸器のフローや規則的な電子音が鳴り響く病室。
(しっかりしなきゃ)
資格を活かせばやれる事があるのに、この場所では何も出来ないことがもどかしい。
「……山田さんのご家族の方ですね」
背後から、静かな声がかかり振り向くとそこに、まだ若い看護師の半歩後ろに、その医師は立っていた。
白衣は新しく、折り目だけが妙に整っているが、言葉を探すように一瞬、視線が揺れた。
話し始める前に、小さく息を吸う。その仕草がまだ、このような場に立つことに不慣れなことが、否応なく伝わってくる。
——若い。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。頼りない、と切り捨てるには早すぎて、けれど、すべてを委ねるには心許ない。その不完全さに、目が離せなくなっていた。
ここから、何が始まってしまうのか。
まだ、誰も知らないままに。
もし今、
「こんなはずじゃなかった」と思いながら生きているなら。
この物語のどこかに、あなたの求めている答えがあるかもしれません。
『価値観の崩壊と再生』
第一話はこちら↓
何故こんなにも苦しいことが愛なのか?【第1話】
https://note.com/dreamy_method/n/n03efd18fddf1
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