叩くべきは蛇口か水か〜三崎優太氏のキャバクラ論が制度論に変わった日〜
三崎優太氏がXでキャバクラ批判を続けている。5日ほど前から連投していて、今日さらに追い打ちをかけた。発言を時系列に並べると、論点が明らかにシフトしている。このシフト自体が、実は一番見るべきポイントだ。
先に立場を示しておく。僕は「税金さえ納めていれば個人の職業選択は自由」だと考えている。キャバ嬢になるなともホストになるなとも言うつもりはない。以前別の記事で出口の話は書いたが、あれはミクロの話。今回はマクロの話をしたい。個人の選択と制度設計は別レイヤーの議論であって、混ぜると両方とも雑になる。
道徳論から始まった批判
三崎氏の発言は4月16日頃からこんな調子だった。


要するに「水商売を美徳として持ち上げる風潮はおかしい」「真面目に働く人がバカを見る社会は危ない」という主張だ。
言いたいことは分からなくもない。ただ、この論法は弱い。理由は二つある。
一つは、三崎氏自身がキャバクラに相当な額を使っていることが公然の事実になっている点。坂井秀人氏との揉め事の中で「月1000〜2000万キャバに使ってるだろう」という話が出ていた。本人の認否はともかく、この状態で「水商売を美徳とするな」と言っても説得力は削がれる。ブーメランとして返ってくる。
もう一つ、より本質的な問題がある。道徳論は相手の公理系に依存するということだ。価値観の土台が違う相手には、どんな正論も届かない。
「稼げれば偉い」という単一尺度で生きている人間に、「稼ぎ以外の価値も大事だ」という主張は届かない。届かないのは説明が下手だからではなく、受け取る回路がそもそも違うから。この断絶については以前「公理系の断絶」として書いた通りだ。
水商売の世界で生きている人、キャバクラで高額消費を続ける客層、そこで稼ぐキャスト。彼らに「その風潮はおかしい」と言っても刺さらない。刺さる相手は元々その風潮を良いと思っていない人だけ。道徳論が機能するのは、共通の価値観前提が成立する集団内に限られる。SNSはその前提がそもそも崩れた場だ。外野同士で頷き合うだけで、現実は一ミリも動かない。
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