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生徒が操縦した船、乗らなかった教員〜百六十二頁が明かした、あの日の海〜 辺野古転覆事故・第48稿

七月三十一日、学校法人同志社の特別調査委員会が、調査報告書を公表した。本文百六十二頁に別紙十三点、全体で二百十八頁。弁護士三人の委員に二十人の補助弁護士、デジタルフォレンジックでメール二十五万件を精査し、四十八人への聴き取りを行った。聴き取りを拒んだ者は、いなかったという。

法人は公表にあたり、報告書を「真摯に受け止め」というコメントを出した。第四十三稿で、姉の投稿を引いた。学校はきっと、真摯に受け止める、と言うのだと思います。予測は、そのとおりになった。委員会自身は公表当日の午後に記者会見を開くが、法人自身の記者会見は、対応の検討後速やかに開催するとされ、日程は決まっていない。認定した側の説明は今日あり、認定された側の説明は、まだない。だから、言葉の側ではなく、報告書が認定した事実の側を読む。この稿は事実編である。組織の話は、次の稿に譲る。

始まりは、船長の提案だった

報告書によれば、辺野古ボートコースは、二〇二二年七月二十二日、金井創船長の側から学校に提案されたものだった。ホテルでの面談で、旅行会社の同席はなかった。担当した教諭らは、船が抗議船であるとの認識を持たないまま、確認したのは、船長が船舶免許を持っていること、定員が十名程度であること、人数分の救命胴衣があること——それだけだった。ボートの実物は見ず、乗船場所の漁港を訪れることすらしなかった。

同じ年、学校は一つの記憶を失っていた。二〇一八年度まで実施されていた辺野古テント村を訪れるコースは、安全確保の観点から廃止されていた。だがその経緯は、二〇二二年の担任会では共有されなかった。安全を理由に一度やめた場所へ、今度は船で出る企画が、誰の異論もなく通った。導入を決めた二〇二二年度、その四月には知床で観光船が沈み、船の安全が社会の関心事になっていたが、報告書は、これを踏まえた議論も一切行われなかったと認定している。

兆候は毎年、記録されていた。二〇二二年度の参加生徒の感想文には、ボートが想像より小さく、波で揺れ方が大きく変わったことへの驚きが書かれ、複数の教員がそれを確認していた。二〇二三年度の実施後には、海保の船が並走していたことが担任団に共有された。二〇二四年度の開会礼拝では、金井船長自身が、抗議活動に大きな危険が伴うことを生徒の前で語った。それでも、コースの継続に疑問を呈した教員は、一人もいなかった。

危険を最も繰り返し告げていたのは、船長本人だった。第四十七稿で書いたとおり、遺族側の弁護士は会見で、金井船長が著書と学校での講演会で海域の危険を明言し、その講演会には教員も出席していたと指摘した。報告書はこれを裏書きする。船長は著書で航行の難しさを書き、開会礼拝で危険を語り、そして、その船に生徒を乗せる提案をした人でもあった。告知と提案が同じ人から出て、学校は提案だけを受け取った。

前日までに、止まる機会はあった

二〇二五年度の準備でも、内部から声は上がっていた。学年主任のa5教諭は、下見の前に二度、辺野古には行かなくていいのか、と問うている。答えは、去年と同じやり方なら行かないこともあり得る、だった。辺野古は下見の対象から外れた。八月、金井船長との面談で確認されたのは、全てを例年どおり、ということだけだった。

両親は会見で、四層の防止機会を挙げた。下見をしてやめる。安全の打ち合わせをする。十分な計画を立てる。教員が同乗する。報告書を読むと、その第一層は、外からの仮定ではなかったことが分かる。内部で実際に、一度ならず二度、言葉になっていた。問いは発せられ、前例踏襲が答え、そして消えた。止められる機会は、あった、のではない。あって、見送られた。

五十一人の変更希望

コースが決まるまでの経緯も、報告書は日付で追っている。二〇二五年十月末の希望調査で、辺野古ボートコースは定員を超えた。十一月八日、担当教諭はGoogle Classroomに投稿した。このコースの主たる目的は、きれいな海を見ることではなく、基地建設と、それに反対する人が対峙する現場を見ることです。そんなコースだとは思わなかったという人は、申し出てくれれば変更を認めます。期限の十一日までに、変更を申し出た生徒は、一人もいなかった。

十三日、定員超過を解消するため、条件が変わった。空いているコースへの、グループ単位での変更を認める。この再募集に、当初辺野古ボートコースを選んでいた五十一名が、変更を希望した。武石知華さんも、その一人だった。友人と二名のグループで、変更用紙を提出している。

各コースを定員内に収めるため、変更を認める生徒は抽選で決められた。コースを移れたのは、十四名だった。十一月十九日、辺野古ボートコースの参加者は三十七名に決まった。三十七に十四を足すと、五十一になる。そして報告書は、一行で記す。武石さんは、抽選に外れたため、当初の申込内容のとおり、辺野古ボートコースへ参加することとなった。

変更を希望した理由は、報告書に書かれていない。コースの趣旨を確認した八日の投稿では誰も動かず、グループでの移動が認められた十三日に五十一名が動いた経緯からは、仲の良い友人と同じコースにいたいという、修学旅行のごく普通の力学を読み取るのが自然だろう。危険を察していた、という物語をここに読み込むことはできない。ただ、事実だけが残る。この船に乗らない可能性は、一度、抽選箱の中にあった。

年が明けて二月三日、引率者が決まった。引率に決まったa11教諭は、船酔いをする体質だった。入職二年目の立場から交代は言い出さず、a8教諭に体質を伝えた。返ってきた言葉は、しんどかったら無理せんでいいよ。a11教諭はこれを、当日の体調次第で乗船しない選択肢もある、と受け取った。a8教諭は後の調査に、自分が代わりに乗るという趣旨だった、はっきりとは伝えていなかったので誤解されたのではないか、と供述している。二人の理解は、すれ違ったまま当日を迎えた。

あの日の海

三月十六日。名護市には波浪注意報が発令されていた。a8教諭は、警報が出ればスマートフォンに通知される設定にしており、警報がないことを確認した。注意報を確認するという発想は、教員間で一度も議論されていなかった。別の引率教員は日課の天気アプリで何らかの注意報が出ていることに気づいたが、詳細は確認せず、共有もしなかった。船長ら三人の側にも、出航可否の打ち合わせはなかった。金井船長の、今日は海が穏やかだから大丈夫、という一言に、二人が従った。

乗船場所は、漁港の船着場ではなく、防波堤の脇の浅瀬だった。名護市から漁港への係留許可を得ていなかったためである。生徒たちは幅五、六十センチの防波堤の上を歩いて船に向かい、教員の補助はなく、一部は生徒同士で支え合って乗り込んだ。遊覧船を想像していた生徒は、目の前の船の小ささに不安を覚えた。そして、引率教員は二人とも、乗らなかった。

九時二十分、出航。生徒が船上で撮った動画には、めっちゃ海綺麗、風気持ちいい、という声が残っている。九時半、平島の手前で船は止まり、金井船長が拡声器でサンゴ礁と埋立ての説明をした。このとき一人の生徒が、船の操縦って難しそうですね、と尋ねた。船長は答えた。じゃあ操縦してみる?

九時四十八分頃、水深の深い大浦湾に出たところで、航行中の船を現認した海上保安官が、拡声器で、本日は波が高いので十分気を付けてください、と何度か声をかけた。金井船長は手を挙げて了解を示した。その後、大浦湾で、生徒数名が不屈を操縦した。スロットルもハンドルも、生徒が握った。船長は横に立って見守っていた。それを見た平和丸の船長も、希望する生徒に操縦をさせた——ただしこちらは、過去に乗客のハンドル操作で危険を感じた経験から、ハンドルには自分も常に手を添えていた。操縦体験は、二隻あわせて約十分間。海保の安全指導の、直後のことである。

一つ、正確を期して書いておく。報告書は脚注で、船舶免許を持つ船長が監督している場面での操縦であり、この行為が直ちに具体的な法令に違反するものではないと整理している。問題は違法かどうかではない。波が高いと警告された直後の海で、修学旅行の生徒にハンドルを渡すことが、学校が計画すべき安全管理の中にあり得たのか、である。学校は、航路も、当日の運航のあり方も、何一つ船長と協議していなかった。

帰路、金井船長は平和丸に、帰りは外洋を回って帰ろう、と声をかけ、速度を上げて白波の立つ海域へ船首を向けた。不屈の船上では、生徒たちが、これやばいんちゃうん、船掴まなきゃ、沈没するかも、と声を上げ、手すりを強く掴んだ。報告書は記す。金井船長は、生徒らの不安な声には何ら反応することなく、白波に船首を向けて、真っ直ぐボートを進めた。

十時十分頃、大きな波が不屈を襲い、二度目の波で転覆した。後方百メートルにいた平和丸では、乗組員が生徒に海保の電話番号を伝えたが、番号は誤っていた。平和丸は救助に向かおうと船を進め、十時十二分頃、同じく転覆した。生徒たちは繰り返し波に飲まれた。死ぬかもしれないと思った、今まで生きてきた中で一番怖かった、大きな洗濯機でグルグル回されている感じだった——報告書は、生徒たちの言葉をそのまま収めている。この転覆で、武石知華さんとともに、不屈を操縦していた金井船長自身も亡くなった。船長は、自らが告げ続けた危険の中で命を落とした一人でもある。

安全指導をしていた海保の艇が転覆を現認し、直ちに急行した。十時二十四分頃から二十名が救助され、人数が一人足りないことが分かった。十時四十六分頃、転覆した平和丸の船内に、武石知華さんが取り残されているのが確認された。救命胴衣が船体に引っかかり、消防の潜水士による救助を経て、十一時十五分、海上へ運び出された。

陸では、テント村で待機していたa8教諭が、駆けつけた警察の声かけで事故を知った。教諭は求めに応じて、乗船の割り振りを書き込んだしおりと引率者マニュアルを警察と海保に提供し、事情聴取に答え、その後、生徒十五名を病院へ引率した。聴取の間、負傷した生徒の一人が保護者との電話を代わるよう求めたが、教諭は応じなかった。事故の状況が把握できておらず、質問に答えられる状態になく、聴取も断続的に続いていた——教諭は調査にそう供述している。当日の現場が、どれほど混乱の中にあったかの記録として、そのまま書き留めておく。

委員会の認定

引率教員がなぜ一人も乗らなかったのかについて、二人の供述は食い違った。a11教諭は、テント村でa8教諭から、体調が優れなければ見送りだけしてよいと言われたと述べ、a8教諭は、そのような声かけはしていない、乗っていないことに気づかなかったと述べた。委員会は、複数の生徒が、二人は並んで手を振って船を見送っていた、と供述していることを踏まえ、こう認定した。両教諭とも、本件ボートに担当引率者がいずれも乗船しなくともよいという判断をしたことが認められる。

もう一つ、船の側にも守られなかった決まりがあった。ヘリ基地反対協議会側では、二〇一四年に抗議船の出航準備中の水難事故で死者が出たことを踏まえ、一隻に船長二名が乗るという申し合わせがあった。金井船長自身、事前のやり取りで、船長が二人いなければもう一隻は出せないという前提の連絡を学校にしている。だが当日、不屈に乗った大人は、金井船長一人だった。自分たちの事故から作った決まりが、生徒を乗せた日に、守られていなかった。

そして報告書は、法的評価に進む。同志社国際高校の設置者である学校法人同志社には、明らかに安全配慮義務違反があった——事前調査の義務、安全性を確保した計画を策定し実施する義務、生徒と保護者への説明義務。その全てに違反した、と。判例と文部省通達を引いた構成は、遺族が会見で示した四層の防止機会の地図と、ほぼ重なる。

説明義務の認定は、具体的である。二〇二二年度から二〇二四年度まで、生徒と保護者への説明資料に、船の写真は一枚も載っていなかった。抗議船であることも、航路も、安全性も、説明されなかった。二〇二五年度の保護者向け資料には、五枚の写真の右下に、船の写真が小さく一枚あっただけだった。委員会は書く。事前に適切な説明がなされていれば、このコース以外を選んだり、選択を取りやめたりした生徒も相応に存在していたと考えられる。第四十三稿で、宛先ごとに違う言葉を数えた。報告書が認定したのは、その前段——そもそも生徒と保護者には、選ぶために必要な言葉が、最初から渡されていなかったことである。

認定の中に、二つの仮定法がある。一つは、導入を決めた教諭自身の供述——仮に導入当時に立ち戻って下見をしていたのであれば、導入を中止するか、別の方法を考えた判断をした可能性はあったかもしれない。もう一つは、委員会の推論——本件ボートに試乗すれば、海上保安庁のボートが並走したり警告を行ったりする場面に遭遇し、実施の相当性を照会するといった対応が行われた可能性が高い。

前日、両親が会見で公開した動画には、過年度の乗船で海保のボートが並走する様子が映っていた。危険は前から見えていた、と父は言った。翌日、委員会は認定した。見に行ってさえいれば、見えたはずだった、と。

結語の言葉

報告書の結語は、原因の根底をこう書いた。多くの教職員において、生徒の身体、生命の安全を確保するために何をなすべきかという観点で大きな想像力の欠如があったものであり、およそ非難を免れず、猛省しなければならない。

委員会は、報道やSNSの発信に安易に依拠せず、生の証拠に直接あたって事実認定したと記した。聴き取りを拒んだ関係者は一人もいなかった。メール二十五万件が精査された。そして、調査の過程で、被害を受けた生徒の保護者と適宜意思疎通し、その意向も踏まえながら調査を進めた、とも記した。学校が遺族への説明を、調査中ですので、という言葉で留め続けた四か月のあいだ、調査そのものは、遺族と連絡を取りながら、この百六十二頁に向かって動いていた。遺族が四か月かけてnoteに積んだ検証と、委員会が認定した事実は、別々の経路を通って、ほぼ同じ場所に着いた。

法人の言葉は、姉の予測どおり、真摯に受け止め、だった。言葉が予測どおりだったからこそ、次に見るべきは言葉ではない。報告書自身が指摘した未対応事項が埋まるのか。九月に発足するという安全管理室は、形骸化したリスク管理本部の轍を踏まないのか。それは、この報告書の百六十二頁ではなく、これからの学校の側にある。

組織の話——なぜ誰も止められなかったのかの構造、法人と学校の距離、そして提言の中身——は、次の稿で書く。

僕は書き続ける。


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