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​Bloody Divine(血塗られた神聖)【第4話】埃を被った祈り

城の生活は、奇妙な静謐せいひつの中にあった。

アルヴィスは、エルゼーラが眠りにつくことも、食事を摂ることもないことを知っていた。

彼女はただ、時が止まった玉座や中庭で、存在しない風を感じているだけだった。

そんな彼女を独りにして、アルヴィスは城のさらに深い場所へと足を運んだ。

​重い石扉を開けた先、廊下の突き当たりにその場所はあった。

小さな、だがかつては精緻せいちな装飾が施されていたであろう礼拝堂だ。

教会の騎士団に身を置いていたアルヴィスにとって、その構造は見慣れたものだった。

しかし、そこに漂う空気は、地上のどの聖堂よりも重く、そして悲しい。

 

祭壇は、厚い埃と蜘蛛の巣に覆われていた。

かつては金箔が貼られていたであろう装飾は剥げ落ち、捧げられた花は数千年の時を経て、判別もつかないほど黒く干からびている。

「……これは」

アルヴィスは、祭壇の奥に据えられたレリーフに目を留めた。それは以前廊下の壁面で見つけた、あの美しい女の姿だった。

人々がひざまずき、その慈悲を求めた証。

だが、今のこの場所は、誰かをうやまう場所というより、その存在を閉じ込め、忘れ去るための檻のように見えた。

アルヴィスは、無意識のうちに腰の剣を置き、袖をまくり上げた。

教会の騎士見習いだった頃、最初に教え込まれたのは祈りの言葉ではなく、聖域を清める作法だった。染み付いた習慣が、彼の手を動かす。

枯れた花を片付け、ボロボロになった布を取り払う。近くの湧き水から汲んできた水で、石の表面を丁寧に拭っていく。

埃の下から現れたのは、淡い翡翠ひすい色の美しい石材だった。

「……何をしている」

背後から、槍を刺すような鋭い声が響いた。

振り返ると、入り口にエルゼーラが立っていた。彼女の紅い瞳は、見たこともないほどの激しい不快感……あるいは、何かを恐れるような動揺で揺れていた。

「何の真似だ、アルヴィス。そんな無意味な石の塊、壊して捨てるが良い。埃と一緒に、忌々しい記憶ごと」

「……壊すには、勿体ない程美しいじゃないか。俺の好きにして構わんだろう? それともあんたの城だから、勝手に磨いては駄目なのか?」

「美しい? 笑わせるな。それは、人間たちが、創造しただけの石の塊に過ぎない。
女神という存在を飾り立て、その裏で、自分たちの欲望を満たしていただけに過ぎぬ……。そんな汚らわしい記憶、触れる価値さえない」

エルゼーラは一歩踏み込み、その白い指先で祭壇をなぞろうとして、途中で止めた。

清められたばかりの石の冷たさが、今の彼女には耐え難い拒絶の感触に思えたのかもしれない。

「俺は、あんたの過去は知らない。あんたがかつて、どんな名で呼ばれ、どんな立場にいたのかもな。……だが、この祭壇を彫った職人や、ここに花を供えた者の手つきが、すべて欺瞞ぎまんだったとは思えないんだ。

少なくとも、その瞬間だけは、あんたも平穏を願っていたはずだ」

アルヴィスは、掃除を終えた祭壇のかたわらに、城の中庭で見つけた白い小花を置いた。

それは、名もなき野草に近いものだったが、暗い礼拝堂の中で、そこだけが呼吸をしているかのような鮮烈な存在感を放った。

「あんたを……今の姿になる前のあんたを、大切に思っていた奴がいたはずだ。この掃除は、その奴への、俺なりの敬意だよ」

エルゼーラは、絶句したようにその花を見つめた。

激しい怒りが去り、後に残ったのは、数千年の間、彼女が心の奥底に封じ込めていた痛切な悲哀だった。

「……馬鹿な男。貴様も、かつての彼と同じことを言うのか」

彼女の唇から、小さな、壊れそうな呟きが漏れた。

「彼?」

「……一人の、愚かな人間だ。私がすべてを捨ててまで、守りたかった、たった一人の男。彼は最後まで、私を畏怖すべき対象としてではなく、ただ一人の女として扱ってくれた。その男を……私が彼を救うために手を差し伸べた時、私はこの呪われた渇きを手に入れたのだ。」

エルゼーラの瞳から、一筋の光が零れ落ちる。それは涙の形をしていたが、頬を伝う前に霧となって消えた。


「その男は、どうなったんだ」

「死んだ。既に彼は呪われた者となっており、……私の力は及ばなかったのだ」

エルゼーラは、花びらをいつくしむように撫でた。

アルヴィスは、彼女がなぜ「血を吸うこと」をこれほどまでに拒むのか、その理由の一端を悟った。

だが、彼女が何者であるかという確信までは持てない。ただ、彼女がかつて、自分と同じように「誰かを必死に守ろうとした人間臭い過去」を持っていることだけが、胸に刺さった。

「アルヴィス。……貴様……、いや貴方のその不器用な手は、私の中の、捨て去ったはずの記憶を呼び起こすわ」

彼女はそう言いながらも、彼を追い出そうとはしなかった。

むしろ、礼拝堂を満たした清廉な空気の中に、彼女の凍てついた心がわずかに溶け出していくような、そんな静かな気配があった。

暗い洞窟の城に、アルヴィスの供えた花が、微かな香りを振りまいている。

二人は、沈黙の中でその小さな命を見つめていた。

それは数千年ぶりにこの場所で捧げられた、偽りのない「誰かを想う」形だった。


本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
著作権は著者に帰属します。無断転載・複製を禁じます。


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