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​Bloody Divine(血塗られた神聖)【第5話】土の香り

礼拝堂での出来事を境に、城の空気がわずかに変わった。

エルゼーラは相変わらず、玉座や中庭で物思いにふけっていることが多かったが、アルヴィスが近くを通る際、その視線が彼を拒絶し、射抜くような鋭さに変わることはなくなった。

むしろ、彼女の紅い瞳には、彼の気配を探るような、あるいは彼の行動そのものを観察するような、静かな好奇心が芽生えていた。

​ある日、アルヴィスは城の裏手、深い地層が露出し、わずかに外気が入り込む岩の隙間を見つけた。

そこは地底湖の湿気がよどむ場所であったが、同時に、地上のものとは異なる独自の進化を遂げた植物たちが、息を潜めるように自生していた。

アルヴィスは、湿った土の中から、地上のセリに似た野草や、香りの強い実をつけた植物を慎重に摘み取った。

古い石鍋を探し出すと、地底湖の水で汚れを洗い流し、城の広間の隅で、小さな焚き火を囲むように煮炊きを始めた。

​やがて、冷たい石の広間に、独特な匂いが漂い始める。

土の香りと、瑞々しい青臭さ。

そして彼が肌身離さず持っていた数粒の岩塩が混ざり合った、飾り気のない、しかし剣士が戦の中で自らの栄養と気力を湧き立たせる、力強い「食事」の匂いだ。

​「……また、妙なことをしているな……」

いつの間にか、エルゼーラが背後に立っていた。漆黒のドレスの裾を石床いしだたみに引きずり、鼻先をわずかに動かしている。

彼女のかたちは美しい彫像のようだったが、その鼻腔が湯気の香りに微かに反応したのを、アルヴィスは見逃さなかった。

​「食事の準備だ。吸血鬼のあんたには不要だろうが、俺は生身の人間だからな。何かを食わないことには、あんたの退屈を殺す前に、俺の体が朽ちちまう」

​「泥を煮ているような匂いだ。人間は、そんなものを喜んで口にするのか?」

​「泥じゃない、スープだ。あんたには分からない『温かい味』ってやつだよ」

​アルヴィスは木製のスプーンで一口すすり、ふうと息を吐いた。熱い液体が食道を通るたび、彼の内側に人間としての活力が灯っていく。

エルゼーラはその様子をじっと見つめていたが、やがて、吸い寄せられるように彼のかたわらへ腰を下ろした。漆黒のドレスが、すすけた石の床に広がる。

​「……温かい味。私は、もうそれを忘れてしまった。血を欲する衝動以外、私の舌は何も感じない。甘みも、苦みも、すべては遠い過去のものだ」

​「試してみるか? 毒にはならないはずだ」

​アルヴィスは湯気の立つ匙を差し出した。

エルゼーラは一瞬、眉をひそめて躊躇ちゅうちょしたが、アルヴィスの真っ直ぐな瞳に押されるように、そっと口を開いた。

木製のスプーンが、彼女の冷たい唇に触れる。温かい液体が、彼女の喉を通り抜けた。

それは、数世紀にわたって氷結していた彼女の体内を、無理やり押し開くような衝撃だった。

​「……熱い」

​それが彼女の最初の感想だった。

血のような濃密な甘美かんびさはない。

ただ、野草のえぐみと、岩塩の鋭い塩気、そして何より、火によってもたらされた「熱」が、彼女の冷え切った身体の内側を通過し、凍りついた臓腑ぞうふでていった。

​「どうだ。泥の味か?」

​「……いいや。土と、雨と、それから……。何だ、この胸の奥がざわつくような感覚は」

​エルゼーラは胸元を軽く押さえた。

それは単なる味覚の刺激ではなかった。彼女の止まっていた生命の歯車が、錆を落とし、無理やり一刻ひときざみだけ動かされたようなうずき。

彼女の紅い瞳が、火影ほかげを反射して、わずかに潤みを帯びたように揺れた。

​「味ってのは、ただの栄養じゃない。それを食べた時の記憶や、一緒にいる相手の体温を思い出すためのものなんだ。あんたがさっき感じたのは、たぶん……生きてるっていう、実感が漏れた音だよ」

​エルゼーラは黙って、鍋の中に揺れ映る自分の顔を見つめた。

彼女は、かつて自分が愛した男と共に囲んだ食卓を、思い出していたのかもしれない。

​「……お前は、本当に変な男だ、アルヴィス。私に殺されかけたと言うのに、私を恐れることもなく、今、こうして寄り添うなんて」

​「賭けをしたんだろ。あんたの心が動くのが先か、俺が死ぬのが先か。だったら……どっちにしても、俺が死ぬまで、あんたのそばにいるってことじゃないか」

​焚き火の爆ぜる音が、静かな広間に響く。

二人の間に流れる時間は、もはや獲物と捕食者のそれではなくなっていた。

城を包む永遠の静寂の中に、小さな、だが確かな火が灯った。

​アルヴィスは、懐から銀の滴のような形をした古い懐中時計を取り出した。

壊れて動かないはずのその針が、彼の目には、ほんのわずかだけ震えたように見えた。

​神に見捨てられた地底の底で、停滞していた物語が、ゆっくりと、確実に動き始めていた。


本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
著作権は著者に帰属します。無断転載・複製を禁じます。


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