安いスーパーへ行く妻
妻は、少しでも安さを求めて、わざわざ遠くのスーパーへ出掛ける。
そして帰宅すると、買ってきた食材を満足そうに冷蔵庫へ詰めていく。
確かに、安かったのだろう。
広告には他店より「数十円安い」表示がされている。
けれど、私はいつも考えてしまう。
それは本当に「安い」のだろうか?
本来、食材のコストは単純な価格ではないはずだ。
そこには、移動にかかった燃料代があり、費やした時間があり、そして目に見えない疲労がある。
たとえば卵一パックを数十円安く買うために、あちこち店を回る。
その間に消費されるガソリン。
失われる時間。
それらを合算すれば、むしろ高くついている可能性もある。
さらに言えば、時間には本来、価値がある。
一時間という単位で見れば、その移動は“労働”に近い。
にもかかわらず、それは節約という名のもとに、無償で消費されていく。
私は「時間を買う」という考え方をしている。
高速道路や新幹線は、その典型だ。
お金を払って、時間と労力を節約する。
家庭であれば、家事サービスも同じ延長線上にある。
もちろん、見合わないなら払わない。
だが、見合うのであれば、時間を買うことは合理的な選択だと思っている。
その視点で見たとき、遠くの安いスーパーはどうだろうか。
節約しているようで、実は時間と燃料を余計に支払っているだけではないか?
私は時折、口にしてしまう。
「それ、時間とガソリン代を入れたら高くない?」
と。
そして、だいたい喧嘩になる。
おそらく問題は、計算の正しさではない。
人は「安く買えた」という実感に満足する。
その達成感は、数字には換算されない。
節約とは、単なる経済行動ではなく、
自分はちゃんとやっている、という確認でもあるのだ。
だからこそ、トータルコストの話は、正しくても受け入れられにくい。
それでも私は思う。
本当に大切なのは、いくら安く買えたかではなく、何に時間と労力を使ったのか、ではないかと。
見えないコストを含めて考えること。
それが、ほんとうの意味での「安さ」なのだと思う。
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