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​Bloody Divine(血塗られた神聖)【第7話】銀の誇り、泥の靴

城の東側、崩落したテラスの片付けを終えたアルヴィスは、ひどく汚れた自分の手を眺めていた。

かつて、この手は剣を振るうためだけに磨かれていた。王都の騎士団の中でも、名門のほまれ高き血筋。没落の憂き目にうまでは、指先に泥がつくことさえ、耐え難い屈辱だと教えられてきた。

​「……もう意味などない……か」

​軽く鼻で笑い、彼は近くに置いた水桶みずおけで手を洗う。

没落した家門を再興する力も、あるいは復讐する気力さえ、今の彼には残っていない。この城へ辿り着いたのは、「不老不死の秘宝」を求めた強欲ゆえではなく、ただ、この世界のどこにも自分の居場所がないと悟ったからだった。

​「貴方のその手……。戦いを知る者の手だと思っていたけれど、今はただの職人のようね」

​いつのまにか、エルゼーラがテラスの入り口に立っていた。

彼女は、アルヴィスが城のいたるところで働いている姿を、まるで見慣れない生き物の習性を観察するように眺めている。

​「生活をするには、剣よりも金槌かなづちの方が役に立つ。……あんたにゃ分からないだろうが、城を整えるってのは、自分の居場所を作るってことなんだ」

​「居場所? ここは神すら忌み嫌う呪われし屍人の墓場……貴方はそんな場所を自分の居場所にしようと言うの?」

​エルゼーラの問いは鋭かったが、アルヴィスは動揺しなかった。

彼は濡れた手を拭い、埃を被った古い革のポーチから、一本の小さなナイフを取り出した。それは武器というよりは、繊細な細工を施すための道具に見えた。

​「これは、俺の家に伝わる、そして俺の手元に残った唯一の代物だ。銀細工の飾りがついた、名ばかりの誇り。……家が潰れたとき、俺はこれ以外のすべてを捨てた。
だが、これだけは捨てられなかった」

​「……執着、かしら。あるいは、呪い?」

​「どっちもだろうな。これを持っている限り俺は自分がかつて誰であったかを忘れられない。……でも、この城でこうして泥にまみれている間だけは、それを忘れていられるのさ」

​アルヴィスはナイフの銀のつかをじっと見つめ、それからエルゼーラの方へと視線を移した。

「あんたも、そうなんだろう? この城を墓場だと言いながら、壊しもせずに守り続けている。……かつての自分を捨てきれずに、ずっとここで立ち止まっている」

​エルゼーラの瞳が、一瞬だけ揺れた。

彼女はゆっくりと歩み寄り、アルヴィスが座る石段のすぐそばまで来た。

「一緒にしないで。私は……忘れ去られるのを待っているだけよ。誰からも、私自身からも」

​「嘘だな。本当に忘れられたいなら、なぜ祭壇をそのままにしている。彫像の顔は壊したが、本や財宝、使いもしない癖に思い出の品は残したままじゃないか」

​アルヴィスは、ナイフをさやに収めると、エルゼーラに向き直った。

「あんたは、自分が犯した過ちである男を死なせた……多分愛していたんだろう……。だから、その男に呪いをかけた奴と、助けられなかった自分を、許せないでいるんじゃないか?」

​その言葉が、静かなテラスに波紋のように広がった。

エルゼーラは、反論しようと唇を動かしたが、声にはならなかった。彼女の指先が、ドレスの胸元をぎゅっと握りしめる。

​アルヴィスの中に、自分と同じ「空虚」がある。

過去という名の重荷を背負いながら、行き場を失い、死を望むような顔をして、それでも今日という一日を必死に生きようとしている、矛盾した存在。

​「……不遜ふそんな人間ね、本当に」

​エルゼーラはそう呟くと、アルヴィスの隣に腰を下ろした。

二人の影が、西陽にしのぼる魔導の光を受けて、長く重なり合う。

​「アルヴィス。貴方の家に伝わるそのナイフ……それで、何かを彫ってみなさい。かつての貴方の誇りを、この城のどこかに刻み込みなさい」

​「何のために?」

​「私が忘れないためよ。……この城に、自分と同じくらい愚かな男がいたことを」

​それは、彼女なりの親愛の情だったのかもしれない。

アルヴィスは少しだけ呆れたように笑い、ナイフを握り直した。

​城の片隅。

かつて「女神アルテミア」に捧げられていた白亜の柱に、アルヴィスは小さな紋章を刻み始めた。それは力強い騎士の紋章ではなく、どこか繊細で、寄り添うような木の枝の模様だった。

​その刻む音だけが、城の静寂を優しく埋めていった。

​しかし、その音の届かない遠い地上では、一つの決断が下されていた。

​「調査団からの報告は?」

「……禁域にて、微かな『生命の拍動はくどう』を確認。間違いありません、堕ちた城に、招かれざる『客』が入り込んでいます」

​冷徹な司祭の言葉と共に、銀色の重厚な甲冑が、教会の広間にずらりと並んだ。

「このままでは、さらなる異端を生み出すであろう。屍人の城を、そして不浄なる吸血鬼を排除するのだ。聖域を清めよ。」

​エルゼーラとアルヴィス、動き始めたばかりの歯車が、一段と重く回転を始めた。


本作品はフィクションです。登場人物・団体名等はすべて架空のものです。
著作権は著者に帰属します。無断転載・複製を禁じます。


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