"幸せで不満は自然"弁証法的幸福論*幸福と満足は異なる-その2
本記事は「幸福」と「満足」は異なる-その1-"満足だから幸せになるのではない"の続編である。先の記事では「幸福」と「満足」は異なることを簡単な質問や弊社調査データで示した。幸せで不満足なのはいたって普通の事である。本記事では既に偉大な先人や現代の研究者の一部にもそれを指摘する意見があることを紹介し、「幸福」と創造的不満が両立するばかりか、相乗効果のスパイラルアップによって、より高い次元の「幸福」へと昇華し得ることを「弁証法的幸福論」と概念化する。
「幸せ」と「不満」の共生
「不満」を称揚する先人たち
前の記事、
「幸福」と「満足」は異なる-その1-"満足だから幸せになるのではない"の続編です。
先の記事では「幸福」と「満足」は異なることを
自己分析質問や私(弊社)の調査データ
で示しました。
「幸せ」で「不満足」な人は約25%も存在します。
幸せで不満足なのはいたって普通の事です。
先人たちもそれを指摘しています。
例えばJ.S.ミルの下記の言葉は有名です。
"「幸福」と「満足」という二つの非常に違う観念を混同している人は多い。(中略) 満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。(J.S.ミル)
また、P.F.ドラッカーは不満は必要と言っています。
"他の者が行うことについては満足もありうる。しかし、自らが行うことについては、つねに不満がなければならず、つねによりよく行おうとする欲求がなければならない。"(P.F.ドラッカー)
幸福学の研究者、心理学者の
ロバート・ビスワス・ディーナーは、こうも言っています。
ネガティブな感情は、使いようによってはとても「実用的」なのです。社会にうしろめたさや怒り、不満を感じたとき、そのネガティブな感情がよりよい社会を求めることに役立ちます。この場合のネガティブな感情は、いつまでも続くわけではありません。つまり、幸福な人間はポジティブな感情をたくさん持ちながら、一方で、ある程度はネガティブな感情も持っている。
誰しもある程度不満を持つのは自然なことであり
先人も指摘する通り、むしろ
「不満足」を積極的な思考として評価
するということです。
良い不満と好ましくない不満
さりとて「不満であれば何でも構わない」
ということではないでしょう。
身勝手な利己的な不満を膨らませること
は倫理的、社会的に許されないでしょうし
他責の不満は自己理解をゆがめ
自己成長の機会を逆に閉ざすものでしょう
自分の足らざるところ、改革すべき社会問題等
自己成長や社会の進歩に資する不満等
健全で建設的なものでなければなりません。
創造的不満と受動的不満
違った角度から不満の種類を分析してみましょう。
一口に不満と言っても、
実は不満(満足度)には二つあるんです。
それは
与えられた基準に対する受動的不満(満足度)
自分で主体的に作り出した能動的不満(満足度)
の二つです。
下の図をご覧ください。

受動的不満は、暑い寒い等客観的な事象や
会社の賃金、労働時間時間等です。
自分で主体的に作り出した能動的不満は
○○ができないから勉強して能力を高め
できるようになりたい等自ら基準を立て
創出する不満です。
暑い寒い等受動的不満も「仕方ない」と
諦めたままでは単なるぼやきですが
いつでも快適なように解消したい
という目標を基準として立てれば
能動的不満となります。
向上心や変革意欲の高い人は、
自分の成長とか目標、会社の変革に対して
本人が主体的、 能動的に作り出す不満、
すなわち問題意識としての基準が高いのです。
だから周りから見るとよくやっている
じゃないという人でも
本人は「いやまだまだこんなもんじゃダメだ」
と言う創造的な不満を持っているのが普通です。
さて皆さんの周りでこういう人はどんな人ですか?
素晴らしい人財ではないですか?
決して不満だらけの人間とは見ないでしょう。
このような人に「幸せですか?」と聞くと
「幸せに働いている」という人が多いです。
自分は幸せだと人生を肯定しながら
自分の能力や仕事に対しては
問題意識、創造的な不満を持っている。
だから「幸せ」と「不満」は矛盾しないんです。
下の図をご覧ください。

「幸福」だが「不満」というのは矛盾ではなく
活き活きとした個人、健全な職場やコミュニティでは
「幸福」と「不満」が共存することは
ごくありふれた日常なのです。
現代の幸福学の主流は「満足=幸福」
満足=幸福という単純な一次元の幸福尺度が主流
ところが現代の幸福学の研究者、コンサルタントの
大半は「幸福度」と「満足度」を同義、
あるいは類義の概念と判断しています。
(エド・ディーナー、セリグマン、R.B.ディーナー、前野隆司ら)
彼らの大半は「幸福度」の指標として
エド・ディーナー(心理学者)の
「人生の満足度」(注1*)尺度を用いているからです。
この人は心理学、幸福学の大家で
先に述べた
ロバート・ビスワス・ディーナーの父親です 。
「幸福度」と「満足度」は別の概念であり、
人々の反応も明確に異なるとしているのは
ごく一部です(注2*)。今まで述べた通り、
私は「幸福度」と「満足度」は違うと考えます。
先人もそのことを指摘し、
弊社の調査結果でも
働く人々の反応は明らかに異なるのは、
「幸福」と「満足」は異なる-その1-"満足だから幸せになるのではない"
でも示した通りです。
私(イーハピネス社)の調査結果を下に
再掲します。
【「幸福度」「満足度」マトリクス】

幸福だけど不満だという人は 1/4 も存在するのに、
現代主流の幸福学者の
「幸福度調査」(=実は満足度調査)では
幸福だけど不満だという人は「お前ら不満分子だ」
と一面的にレッテル貼りしてしまう。
こういう従業員が多い会社だと
幸福度が高く、かつ活性化している会社なのに、
ES(従業員満足度)調査や
「従業員幸福度調査」と称する、実は満足度調査
では不満が多い悪い会社になってしまう。
ES 調査ではしばしば、
問題意識がないぬるま湯集団の会社
が ES が高い良い会社と出てしまう。
こんな会社は危ない!今後衰退すると
長年のコンサルタント経験で断言できます。
幸福度、活性度では高い会社の 真の実態と
逆の結果が出てしまう
この現象を私は
満足度のパラドックスと呼んでいます。
「幸せ」の高みを目指す幸福の弁証法
「足るを知る」満足は良い心がけ
「満足」自体は悪いことでは無く、
ないものねだりや不健康な他人との比較で
不満を募らせず「足るを知る」
ことは良い心がけと言えるでしょう。
しかしあまりに問題意識が希薄で
安易な「満足」に陥ることは、むしろ
自己成長や社会変革の障害となります。
「幸福」と「不満」が共存し得ることは
これまで示した通りですが、
「幸福」と「不満」は矛盾する側面もあります。
弁証法とは
これをすっきり統合するためには
ヘーゲルの弁証法という考え方が役に立ちます。
ドイツの哲学者、ヘーゲルは
弁証法という考え方で
対立するものが「否定」を通じて、
より高次のモノやコトへと
総合、再生成されるプロセスを、
「正(テーゼ)」
↓
「反(アンチテーゼ)」
↓
「合(ジンテーゼ)」
と定式化しました。
幸福の弁証法
これを「幸福」と「不満」の関係に当てはめると
対立する概念(幸福と不満)の矛盾を否定せず、
「幸福」(テーゼ)とそれを
否定する「不満」(アンチテーゼ)
の原因である問題を解決し
さらに大きな「幸福」に発展する
(これをアウフヘーベンと言う)
と表すことができます。
これを私は、
「幸福の弁証法」と名付けました。
ヘーゲルの弁証法 でいうと
「満足」はテーゼ(肯定)であり
「不満足」がアンチテーゼ(否定)、
「幸福」はジンテーゼ(否定の否定=総合)
に相当します。

自ら「幸せ」と全体として肯定し
満ち足りた人生の肯定的感情から出発しつつも、
現状を否定する「不満」をあえて創出し
成長と変革というアウフヘーベンされた幸福
を目指す螺旋階段を昇るような道程は
まさに幸福な人生だと思います。
まとめ
「幸せ」だが「不満」という人は多く存在し、それが自然であることは調査データでも証明され、先人の指摘でもむしろ推奨されている。
しかし現代の幸福学の主流は「満足=幸福」という単純な一次元の幸福尺度が主流で「創造的不満」を持つ有為の人財を「不幸な人」とレッテル貼りしてしまう。
この矛盾を解決するのは「幸せ」だが建設的「不満」を創出し、それを解決することで、より大きな「幸せ」の高みを目指す幸福の弁証法である。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
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イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男*プロフィール*
*【注】*
(注1*)Diener, E., Emmons, R. A., Larsen, R. J., & Griffin, S. (1985). The Satisfaction With Life Scale. Journal of Personality Assessment, 49(1), 71-75.
(注2*)(小林・ホメリヒ・見田『なぜ幸福と満足は一致しないのか』2015、松島『従業員幸福度(EH)の研究』2019)
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