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私が書くのは、思想の地図ではない。

「何を書いているんですか?」と訊かれたとき、うまく答えられない。
正確に言えば、答えたくない。
答えた瞬間に、それは「そういうもの」になるから。
支援の構造、自由という言葉の欺瞞、「選んだ」はずの選択が最初から設計されていたという感覚。私が書くのはそういうことだけど、それを「テーマ」と呼ぶと何かが死ぬ。
ここは、違和感を整理する場所じゃない。
違和感を、もう少し鋭くするための場所だ。
読んで安心できる文章は、ここにはない。
それでもいい人だけ、続きを読んでほしい。


このnoteは、新しい記事が増えるたびに更新されます。
🧭 迷ったときは、「感じた違和感」から入ってみてください。
以下のような気持ちのどれかに触れたとき、いま読むべきnoteが見つかるかもしれません。


🔸「“正しいこと”のはずなのに、どこか息苦しい」

→ 『「もったいない」は誰に向けられているのか――メガ盛りと“正義”の構造』

🔸「自由って、ほんとうに選べることだったっけ」

→ 『「安全」の名で選択肢が消えていく――CBN規制と“自由”の設計』

🔸「“配慮”って、誰のためのものなんだろう」

→ 『「子どもの前で祈るな」と言われたとき、何が“危険”だったのか』



🧵 このnoteは、更新され続ける“思想の地図”のような場所です。
新しい違和感を見つけたとき、またここに戻ってきてください。

  • 🏛「制度や“正しさ”に、違和感を抱いたことがある」 → 『子育てケアマネって、ズレてない?』その『当たり前』は、誰のものだったのか


  • 🧠「自由って、なんだか苦しかった経験がある」 → 『“好きにすれば”のあとで、私は黙った』『「自由にしていいよ」と言われて、私は迷ったまま黙っていた』


  • 🤝「考えたつもりの、その先」をもう一度見つけ直すシリーズ → 『問いの先にある、「考えなかったこと」』

それでも答えが見つからなければ、この場所に戻ってきてください。


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Cenaku 考える手が止まらないように支えてくれたら。