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房総の旅はこうして妄想から抜け出した。じぃじたちの修学旅行その弐(3)

 翌朝は、6時頃起床。
夜中にカシャカシャと異様な音がしていたのは、夢かと思ったらどうやらあられが舞ったようである。


 しかしながら、2階ラウンジスペースから覗くと、ご覧のように快晴だ。

ところが、我が家から雪が降っているとのメール怪情報が届く。

E「なに~、こんなに晴れてるのに雪だってさ、そんなに離れてないのにわからんもんだね。ケンちゃんとこは大丈夫?」

ケン「うそだろ?そりゃ、不味いな。」

そうこうするうち、長野の留守を預かる奥さんより画像が届く。

長野は雪。
リアル画像です。

うわ、凄い雪だ。

なにやら、農作業の仕事の段取りのことで奥さんと電話連絡が始まった。

ケン「だいじょぶ、だいじょぶ。」

内容はわからんが、事無きを得たようである。

朝食を取り、会計を済ませた。
さて、予定通りに2日目の出発の時が来た。

この旅のこれまではこちら。



宿から30分も走っただろうか、第一目的地に到着。

🔶誕生寺

千葉県鴨川市小湊にある、日蓮宗大本山の仏教寺院。
山号は小湊山。
鎌倉時代の1276年(建治2年)10月、日蓮の弟子日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立したのが始まりである。

室町時代の1498年(明応7年)に起きた明応地震、江戸時代の1703年(元禄16年)に起きた元禄地震と2度の大地震、大津波により、小湊漁港近くの現在地に移転された。生家跡伝承地は沖合いの海中に没している。

江戸時代、第26代日孝が水戸光圀の外護を得て七堂伽藍を再興して小湊山誕生寺と改称したが、1758年(宝暦8年)に、仁王門を残して焼失。
1842年(天保13年)に第49代目闡が現存する祖師堂を再建した。

近代に入り、大正天皇の病気平癒の廟所が建立された。
その後、昭和から平成にかけて、50万人講を発願して諸堂を復興、1992年(平成4年)5月に落慶法要が行われた。
2001年(平成13年)10月には「誕生寺の線香と磯風」が、かおり風景100選に選定されている。

江戸時代、不受不施派(悲田宗)禁制の幕命により天台宗に宗旨替えするところだったが、身延山久遠寺が日蓮誕生地の由緒で貰い受け、一本山に格下げとなった。1946年(昭和21年)、大本山に復帰した。

現住は84世石川日命貫首(本山水戸久昌寺より晋山)。潮師法縁。

出典:Wikipediaより引用


日蓮さんの生家跡に建立されたお寺だけど、元々の場所は大地震や津波で海中に没してしまい、現在のこの地に移転した経緯があるのだ。


仁王門

両サイドには、金剛力士が立ちはだかる。

阿 (あ)


吽 (うん)


仁王門 裏側


灯籠がずらっと並び壮観だ

さっきまで閑散としていたのに、画像に収めようとしたら、お年寄りの団体さんがどどど〜と押し寄せた。
それが中々切れない。
雨はおさまらんし、早くして~という心境。(まあ、焦らない、焦らない)

ようやく本堂に皆さん入られたようなので、任務遂行した次第。



日蓮大聖人ご幼像
1935年造立
鯛塚

何故に鯛の塚がここにあるのか?
それは、こういうことなんです。

「日蓮聖人誕生の際の不思議な出来事」
その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、 時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、 海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇端」が伝えられています。

まさしくこの時の鯛の群れが「神秘の鯛」 の初まりだったのです。

鎌倉時代から村人はずっと鯛を「日蓮聖人の化身」と神聖し守ってきました。
鯛がなぜ鯛の浦の浅瀬に生息しているのか、数々の困難を乗り越えながら住み続けている「神秘の鯛」大海原で鯛が見れるのは世界で唯一、鯛の浦だけ。

出典:鯛の浦遊覧船HPより引用

毎月6日に鯛供養が行われています。


朝あれだけ晴れていたのに油断していたら、雨模様から今度はみぞれまで降り出した。

雨宿りも兼ねて本堂に入ろう。

本堂





たくさんの鯛が祀られていて、かわいいでしょ?
ところが、単なる置き物ではないんですよ。

誕生寺には、鯛を模した授与品「願満の鯛」があり、病気平癒などの願いを叶える縁起物として知られています。
ダルマのように片目を開けて願掛けをするため、まん丸な右目と違って左目は点のみです。

鯛の群れが集まった「妙の浦」では、鯛は日蓮聖人の聖なる化身としており、地元の漁師さんも鯛を捕ることはありません。
妙の浦の真鯛は、地元の人は誰一人食べません。
エビ網やその他の漁で鯛が上がってしまったときには、火葬し誕生寺境内の鯛塚に埋葬しています。
毎月6日に鯛供養が行われており、鯛塚に埋葬されています。

AIによる情報

何気なくおめでたいものだと思って眺めていたけど、地元では鯛をあがめて願を掛け、奉納してるんですよ。









晴れ間が覗いたかと思ったら、途中、みぞれまじりの雨となったり、変わり易い天気だったが何とか無事拝観を終えた。



🔶和匠わしょうかまた

 昨晩の宴席で、誕生寺に寄るのであれば小湊の地元名産品である「鯛せんべい」を買って帰ろうという事で意見統合が出来ていた。
そこで、どうせなら知ったお店で買って帰りたいというのが人情ってもんだね。

実は、20年以上も前になるが、現役時に当時あった木更津営業所の所長に連れられて来たお店。
ここは、OGが嫁いだ先なのだ。
古い記憶を頼りにネット検索して辿り着いたら、店構えが記憶と一致した。
E「間違いない、ここ、ここ。」

クルマを止め、そそくさと店内に入った。

E「こんにちわー。」
開き戸を開け、大きな声を掛けると間もなく店奥から女性が現れた。

E「◯◯だけど。」

店主嫁A「あんた、誰?知らない。



と言われると困ってしまうが、あにはからんや、甲高い声で口を押えながら。

店主嫁A「え〜、やだー。」

良かった~、覚えていてくれた。
ほっと胸をなでおろす。

店主嫁A「このあいだは、Hさんが連絡くれたんですよ。」

E「そうなんだ。先日OBの人たちが大挙して集まる会で久々Hさんにも会ったばかりだけどね。」

店主嫁A「ところで、今日はどうしたんですか?」

E「昔の学生時代の仲間と上総一宮から入って南下して御宿に泊まって、さっき誕生寺に寄ってきたところ。」
「こちらが長野から、そして群馬の高崎から、もうひとりは前橋出身で千葉在住」とひとりずつを軽く紹介した。

店主嫁A「へ~、良い旅してますね。」

このあと、元社員の話題についての応酬となった。
誰それはどうしてる、あの人はたまに寄ってくれる、あの人亡くなっちゃったんだよねー、彼は病気してお母さんの介護が大変、などなど、正にかっぱえびせん状態。(笑)

若かりし現役の頃の気持ちがまったくせていない。
いや、当時に戻ってしまった。
終わりの見えない懐かしい昔話に花が咲いた。

因みに彼女は、当時秘書課に所属していた。
現役当時は、直接的には知らなかったが、当時の秘書室長Hさんが元私の上司だったことで時期ズレで共有の上司に就いたことが後で分かり、木更津営業所の訪店の際はこちらに2度程お邪魔したことがあったのだ。

我々4人は、すでにお土産の買い込みも終わっていたが、昔話が尽きない。
気がつけば、途中からご主人で社長の鎌田茂明さんも現れ、客対応に加わっていた。そして、私を残して3人はそそくさと先にクルマに戻っていた。

昔話は、楽しい。
しかし、ご主人をほったらかしで話し込んでるのも不味いし、終わらない話にどこかで終止符を打たねばならない。

そうだ、ご主人に改めてここでご挨拶して終わりにしよう。
改めて名刺を差し出して、「それじゃあ、また!」といさぎよく別れを告げた。

こうして、後ろ髪を引かれる思いで、ようやく鯛の浦の渦潮のように渦巻く昔話(笑)に終わりを告げ、次の目的地へ向かうこととなった。

我が家のお土産
甘味ほんのりでパリッ
としていて
とても食べ易い。

実はこちらのお店、そもそもは大正時代に鯛煎餅を観光地の名産品として売り出された天津小湊町(当時の地名)の「廣木堂」さん(現在は廃業)で修行された先々代がのれん分けを許されて昭和4年創業された、鯛煎餅の源流を汲むお店さんなのである。

お近くにお出かけの際は、是非こちらの鯛煎餅をお求めくださいね。



 当初最短の山道に進む予定であったが、崖崩れなどリスクが高いので舗装された一般道で迂回して目指すこととなった。

🔶チバニアン

雨が降ったりやんだりの中、ようやく目的地に辿りついた。
観光名所ではないので、誰もおらず、ビジターセンターもお休み状態。

再度、おさらいとなるが今から5年半ほど前、世界的に認められた地層がここにあるのです。

それにしても地層学を学んだわけでもなく、何ら知識も持ち合わせてないのによく来たものだ。

【チバニアン】
誕生から46億年という長い歴史を持つ地球は、いくつもの時代に分けられています。
恐竜がいたジュラ紀白亜紀などが有名です。
ほとんどの時代はすでに名前が決まっていますが、まだ決まっていない時代もあります。

地球の時代を分けるとき、生物の出現や絶滅など地球規模の大きな出来事を示す化石が使われてきました。
最近では地磁気の逆転が起こった時期もあわせて使われています。

千葉県市原市田淵にある地層は、一番新しい地磁気逆転の記録が世界で最もよく残っているため、令和2年1月、時代を分ける境界がよくわかる地層として、世界的に認められました。

このことにより、いままで名前がなかった約77万4千年前から12万9千年前までの時代がラテン語で「千葉の時代」を意味する「チバニアン」と呼ばれることになりました。
日本の地名にちなんだ名前が地質年代につけられることは初めての快挙です。

出典:千葉県HPより引用


出典:千葉県HPより引用





雨がそぼ降る中、足場も良くはないが、ひたすらゆっくりと山道を下っていく。

着いたー。

ん?

これだけ見たらただの普通の川原。
そうではないんです。

壁面にはこのような表示がそこかしこに。

そして、一点だけ燦然と輝くゴールドメダル?!

ゴールデンスパイク
GSSP

そうではなく、ゴールドスパイクと呼ばれています。

GSSPとは組織の名称ではなく、各地質時代を区切る境界を示すものとして、国際的同意の下に定められた層序断面および境界の位置のことなのである。

GSSPとなったポイントには、「ゴールデンスパイク」と呼ばれる金色の鋲やモニュメント等が設置されることが慣例となっています。
この度、本市においてもGSSPとなった白尾(びゃくび)火山灰層が位置する場所に、地層への影響が最低限となるよう設置しました。
このゴールデンスパイクは、市内に工場を有する不二サッシ株式会社が制作し、寄贈いただいたものです。
◆材質、大きさ
真鍮製、直径20cm

出典:市原市HPより引用
川原方面から見るとこんな感じです。

とはいっても、見ても何のことやらさっぱりわからんですよね?
そうなんです。

地質学からすれば、とんでもない発見、しかもその地層に日本の地名がつくという快挙なのはわかるのですが、我々ど素人が理解するにはハードルが高かったですね。

やはり近い将来、整備されて学芸員のような方の説明があると納得いくと思いましたね。

さて、来た道を戻ろうとしたら一組のご夫婦らしきお二人が降りてきた。

E「こんにちわ。足すべるから気をつけて行った方がいいですよー。」

女性「あっ、ありがとうございます。」

雨模様で足元の悪い中、こんなところまで我々と同じように来る人がいると知って、嬉しくもあり思わず声を掛けた。

※心の声:
それにしても、我々も物好きだけど、夫婦で雨模様の中、こんなところまで来るなんて、なんと物好きなんだろう!)

ゆっくりと来た道を戻り、クルマを停車した場所に近づいたが雨足が強くなって来た。
行きにはまったく気がつかなかったが、今年初めて目にする菜の花が咲いていた。

菜の花が一面に(2025.3.19)
しかし、雨が強くなってきた


チバニアン、今は殺風景な感じであるが、いずれは行政が入って、整備される予定なので、もしかしたら、観光地化されてしまうかもしれない。
そう言う意味では、まだ荒らされてない状態の場所に一歩をしるし、記事に出来たのは良かったのかも知れない。

それでも、口には出さねど、観光で来る場所ではないんじゃない?
仲間の心の声  天の声が聞こえた気がした。クククク悲しい。(笑)

🔸手打ちそば、うどん「一久美ひくみ

さあ、旅を締めくくるシメのそばの時間となった。
お店は高滝湖のダム脇にあって、この雨の中でも中々の客入りだ。

しかし、ここではかなりの雨になっていた。
しかもかなり冷え込んでいる。

皆、身体が温まる山菜そばや山かけそばなどを頼んだが、ここは蕎麦食推進クラブ主宰の身としては、蕎麦の風味がわかる「もり」しか選択肢はない。
どうせならと、大もりを選んだ。

皆、湯気がたつ温かいそばを美味しそうにすすっている。
く~、悔しい~。
変な意地を張らずに温かいものにすれば良かったと後悔。

それでも、ストーブが近かったので少しは助かった。

聞きそびれたが、二八そばだと思う。
そして、濃い目のタレに麺をそそっとつけて食べたと記憶する。

全身冷え切っているところでの冷たいおそばは、我慢くらべのようなもので、麺を啜って舌と喉越しでしっかり美味しさを楽しんだという印象はまったくなく、頼んでしまったから、仕方なく食べたという印象だ。
それでも、麺自体は蕎麦の風味がしっかりあって悪くはなかった。

実のところ、蕎麦湯まで辿り着いてはじめて、温かいものを口にすることが出来、安堵したのであった。(笑)


こうして、旅の行程はすべて終了。
あとは、東京駅に向かう一番都合の良い駅、姉ヶ崎までクルマで送ってもらって、そこでお開きの予定だった。

ところが、Tくんが気を遣ってくれて新浦安まで送ってくれた。
これは、助かった。
東京駅まで頻繁にダイヤはあるし、所要時間もさほどかからずに帰宅の途に着くことが出来たので大感謝である。
3人それぞれにTくんにお礼と労いを告げ、次の再会を誓った。

こうして電車組3人は難なく東京駅に着いて解散し、この旅は終わった。


さあ〜て、次回は何処にまいろうかのぅ?
前橋、鹿児島、岡山、岐阜、、、皆の出身地で残されているのはこんなところか?それとも大学を訪ね、周辺を訪ねるのもありかな?等々。
はてさて、どうなりますやら?

今回は、笑い袋に「古酒」と「タンタンメン」という新たなネタおたからが収納された。
次回、再会時には笑い袋から取り出して皆で笑い倒そうと思う。(笑)


これにて、「房総の旅はこうして妄想から抜け出した。じぃじたちの修学旅行その弐」は閉幕です。

ようやく妄想の旅から解き放たれて、気分も爽快です。

だらだらと長~い記事にお付き合い頂きありがとうございました。


尚、この記事は日々樹さんのカタリ記事コンテストに応募しています。
日々樹さん、ようやくだべり終わりました。参加させていただきありがとうございました。😂





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