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小学3年の娘が、英語でプレゼン。“自己肯定感”が育つオーストラリアの教室で見たこと



カンペは持たない。
スライドはすべて自分でつくる。
小学3年生の娘が、英語でのプレゼンに挑みました。


プレゼン当日。
教室で私が見たのは、娘の頑張りだけではありませんでした。

「スライドをめくるのは、自分がやりたい」と手を挙げる子ども。
「それでいいですか?」とプレゼンをする本人に確認する先生。
一人ひとりが、“どうしたいか”を自然に問われている空間が、そこにはありました。

ただのスピーチ発表会ではありませんでした。

“自己肯定感が育つ教室”のあり方が、そこにありました。もう、母、衝撃です。

娘が選んだ”カンペなし”という挑戦

プレゼンの準備は、1ヶ月ほど前から始まりました。
テーマは「Dolphins(イルカ)」。好きなテーマを選び、自分でリサーチして発表するという課題です。

スライドはすべて、娘がひとりで作りました。
画像を入れる場所も、文字の大きさや色も、自分の感覚で工夫していたのが印象的でした。
「ここは質問っぽくしたほうが、みんな聞いてくれるかも」と言いながら、話し方も自分なりに考えていました。

プレゼンの途中で「クイズ」を入れて、みんなが飽きないように工夫した次女。

そのクイズを答える人をオンラインのルーレットで決めようと思いついたようで、クラスメイトの名前を全員書き出して、時間をかけてルーレットを完成させました。

さらに、彼女はカンペを使わないと決めていました。
これは、長女が聞き役になって家で練習していたときに、長女からアドバイスをもらってそうしたようでした。

私はとても驚きました。

小3でカンペなしか!と。

さらに、時間をかけて作ったルーレットでしたが、練習していくうちに彼女なりに考え、

「ルーレットを使うのはかえってプレゼン自体がだれそう」と思ったようでばっさりカット。
手を挙げてくれた人から選んで答えてもらうスタイルにかえていました。

当日。
クラスメイトたちが前のカーペットに座り、目の前で見守るなか、彼女はスライドの前に立ちました。
緊張しているのが伝わってきましたが、それ以上に「伝えたい」という気持ちが強く見えました。

ひとつひとつ、スライドに合わせて話を進めていく娘。
家では前を向いて堂々と話せていましたが、やはり緊張して、目線がスライドに行きがちになりながらも、大きな声で堂々とやりきることができました。

母としては、ものすごい至近距離からクラスメイトたちに凝視されながら最後までやりきっただけで感動でした。

カンペなしのプレゼンはむしろ特別なことではない

さて。ここでさらに驚かされたのが、カンペがないのはもちろん、ものすごく自然なハンドアクションをつけてプレゼンする子もいるのです。

ほとんどの子がスライドを準備しています。

で、これもものすごいオシャレなスライドを用意してる子もいて!!
スライドは家で作るので、親がどこまで手伝っているかというのはわからないのでなんとも言えないのですが。

子供本人が作っているとしたら、ものすごいクオリティの高いスライドを作ってくる子もいます。

家庭に丸投げされているわりに、やっつけ的にやっている子はほとんどいないのです。


欧米人だって自信がある子ばかりじゃなかった

これまで、「欧米の子どもたちは人前で話すのに慣れていて、堂々としている」というイメージが、私の中にはありました。

でも実際に教室でクラスメイトたちの発表を見て、そのイメージは大きく変わりました。

紙を持ったまま、ずっと下を向いて読み続ける子。
緊張で声が小さくなってしまい、内容がよく聞き取れなかった子。
途中で言葉が詰まり、しばらく沈黙が続いた子。

発表スタイルも反応も、本当にさまざまでした。
でも驚いたのは、どの発表にもクラスの子たちがちゃんと耳を傾けていたこと

誰かがうまく話せなくても、それが「その子らしさ」として自然に受け入れられている空気。
そこには、“うまくやる”ことよりも、“その子がやる”ことを大切にする姿勢がありました。

子どもに”決めさせる”という当たり前

プレゼン中、印象的だったのは、先生の“関わり方”でした。

ある子が、「スライドをめくる係をやりたい」と自ら手を挙げました。
スライドを操作しているのは先生のパソコン。
「それは先生がやるもの」と言ってしまえば、それで終わる場面かもしれません。

でも先生は、その場でプレゼン者にこう聞きました。
「発表するあなたは、それでも大丈夫ですか?」

もうひとつ、別の場面でも同じようなことがありました。
ポスターを使って発表していた子が、紙が大きすぎて少し持ちづらそうにしていたときのことです。
クラスの別の子が「僕が持ってあげようか?」と声をかけました。

そのときも、先生は発表者本人にこう確認していました。
「手伝ってもらいたいですか?」と。

すべての決定権が、発表している本人にある。
それが、この教室では私が滞在していた、たった30分程度の間に、ごく自然に繰り返されていました。

子どもたちは、「自分がどうしたいか」を尋ねられ、
それに「はい」「いいえ」と自分の言葉で答えていきます。

それは大人にとっては小さな問いかけに思えるかもしれません。
でも、その“問い続けられる環境”こそが、自分の意志を持つことを当たり前にする土壌なのだと学びました。

これは、オーストラリアのすごいところの一つだと思います。

いろんなところで感じるのですが、子供が下手に子供扱いされることがありません。

お店やカフェでも、店員さんに子供が話しかけたら、その人は親に目配せすることなく子どもと会話するのです。
子供の年齢は関係ありません。

当たり前のことのようで、日本ではほとんど起こらないことだと思います。

任せているつもりになっていなかったか

日本でも、近年は「自己肯定感を育てる教育」が少しずつ取り入れられ始めています。
私自身も、子育てや学校生活の中で、「子どもの気持ちを尊重することの大切さ」を感じる場面は多くなりました。

けれど、あの教室でのプレゼンを見て、ふと立ち止まりました。

子どもが自分の気持ちを伝える前に、大人が「これでいいよね?」と先回りしてしまうこと。
「こうしたほうがスムーズだから」と、判断を代わりにしてしまうこと。

そういうことが、私にもたくさんあったなと感じたのです。

本当に“本人に決めさせる機会”って、どれくらいあるんだろう?
自分でYes/Noを言える経験って、日常の中にどれだけ用意されているんだろう?

「うまくできたかどうか」より、「どうしたいかを聞かれたかどうか」
──それが、自己肯定感の出発点なのかもしれません。

私たちが当たり前だと思っている「教育のかたち」は、
もう一度、根本から問い直す時期に来ているのかもしれない。
そんなことを、娘のプレゼンを通して考えさせられました。

小学3年生の教室で私が教えてもらったこと

英語でプレゼンをやりきった娘の姿を見て、
私は「うまく話せたかどうか」よりも、

“自分の言葉で伝えようとする姿勢”の大切さに、改めて気付かされました。

そして、そのプレゼンを支えていた教室の空気。
誰かに決められるのではなく、「自分はどうしたいか」と問いかけられる毎日。
それが、子どもたちの“自己肯定感”を根っこから育てているのだと思います。

8歳の背中に、私は多くのことを学ばせてもらいました。
「できること」や「得意なこと」ではなく、

“自分の意思で立っていること”そのものに価値がある。

そんな当たり前を、忘れずにいたいと思います。


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Ellaのバイリンガル育児研究所 正直ずっと悩みながら子育てしてます。でも、同じ気持ちの人に届いたら嬉しいなと思って書いてます。応援してもらえたら、また言葉をつなぐ力になります。