【葛藤】聖徳太子 vs 蘇我氏 —— 歴史上最大の危機と、日本人へ残した「祈り」
こんにちは。えめです。
世の中には、いろんな人がいます。
いろんな特性もあって、中には、
莫大な情報の中から、大きいスケールで物事を判断する人がいます。
その特性を、
イメージしやすい単語で説明するなら、
IQ系ギフテッドと EQ系ギフテッド。
雑に言うと、
計算が得意な「頭いい人」と、
空気や流れに気づく「勘のいい人」です。
今回は、
IQ系ギフテッドと EQ系ギフテッドの戦い
の話になります。
それも、日本史上、おそらく最も高度で、
そして、最もやっかいだったであろう戦い。
——聖徳太子 vs 蘇我氏。
今回のテーマは、
聖徳太子と蘇我氏はなぜ対立したのか
飛鳥時代に起こった危機と、そこで聖徳太子に起こった葛藤を、周辺人物の分析もしながら考察していきたいと思います。
今回は勤勉タイム。精神科看護師という枠に縛られず、自由に勉強・考察する過程をお楽しみください。
序章 聖徳太子vs蘇我氏は「史上最大の危機」だった
前置きになりますが、この記事を書くきっかけとなったのは、あいうえお表です。
以前4記事使って考察しましたが、
あいうえお表には精神発達を表す構造がありました。
そこで疑問に思ったのが、
そもそもこれはなんで作られたんだろう?
ということ。
ひらがなが使われ出したのは平安時代。
ということは、
その前の飛鳥時代になにかあったのか?
飛鳥時代はどうやら人口の増加が見られていたようなので、精神教育を強化したかったという見方もできます。
でも、全体精神性を上げたかったにしては、大掛かりです。
そもそも、ひらがなはあったけど、
表はまだこの時代に普及していません。
あいうえお表は十七条憲法と関連していました。つまり、ルールを決める必要があった。
ならば、もっとインパクトのあること。
つまり、飛鳥時代に、
何か妄想に関連した事件があったのでは?
『金子堅太郎が語る大日本帝国憲法の精神』
という本でも、飛鳥時代は、
「我が国の歴史上、明治維新と並んで最も危険な時代でした。」と記載があります。
…何があった?
教科書に書かれているのは、年表に起こすとたった数行。そんなインパクトのあった歴史だとは、習っていません。
この時代、中国が珍しく安定していたらしいので、中国と何かあった可能性も?
しかし、年表の違和感で見ると、
仏教伝来から大化の改新までの、蘇我氏の盛衰の動きの方が、なにかあった気配があります。
さて、
今回の記事は、歴史考察ではありません。
どこに「精神教育をしないとヤバい」と思わせた妄想の匂いがあって、どんな事故があって、
聖徳太子は何を考えたのか。
一緒に、歴史に起こった出来事を検証してみたいと思います。
章1 蘇我馬子の"不穏な行動"
時は西暦600年より少し前。
飛鳥時代。
この頃の日本は、
稲作や技術の広がりによって、少しずつ “社会の規模” が大きくなっていく時代でした。
人も増え、物も増え、
これまでより政治で管理しないといけないものも増えていた時期だと思います。
この時、政治の中心にいたのは、「氏族」と呼ばれる血縁集団。
まだ明確なルールや中央集権的な仕組みは整っておらず、それぞれの一族が、自分たちの論理で国の運営に関わっていました。
その中でも、特に土地や人、富や力を多く持っていた一族は、
「豪族」と呼ばれる存在になります。
豪族とは、簡単に言えば、
“金持ちの有力者”を表す言葉です。
その豪族の中でも、
目立った存在だったのが、蘇我氏。
蘇我氏は、代々、中央の政治に深く関わってきた一族でした。
系譜で見ると、
蘇我系は、稲目、馬子、蝦夷、入鹿へ、
大臣(おおおみ)のポジションを引き継いでいます。
今でいう内閣総理大臣みたいなものです。
この中で、聖徳太子との関わりが最も深かったのが、蘇我馬子です。
飛鳥時代といえば、仏教伝来。
蘇我氏は仏教を強く推し進め、
物部守屋の側は、それに強く反発していました。
この頃、渡来人によって天然痘が流行していたとも言われ、人々の心は、あまり穏やかではなかったと思います。
実際、
物部氏は仏塔を破壊し、
蘇我氏は天皇崩御に際して仏式の葬儀を行うなど、どちらも、少々パワープレイのぶつかり合いで物事を動かしていた印象です。
この時代は、
人口増加や疫病で物事が煩雑になる中、
落ち着いてまとまるための「正解」も見えず、
自分の論理を力で押しつけ合っていた状態だったのかもしれません。
この、仏教受容をめぐる蘇我氏と物部氏の戦い――いわゆる「丁未の乱」で、勝利を収めたのは、蘇我馬子でした。
この流れで気を大きくしたのか、
馬子は、発言も、態度も、少しずつ大きくなっていきます。
大王家との関係を自分の側に引き寄せようと画策し、国の信仰のあり方にまで、大きく踏み込んでいく――
そして、事件は起こります。
馬子は、用明天皇が崩御すると、
自分の娘を嫁がせた崇峻天皇を擁立します。
しかし、天皇へ猪が献上された際、
猪を指して崇峻天皇が口にした一言が、
馬子のスイッチを入れてしまいました。
「いつか猪の首を切るように、
朕が憎いと思う者を切りたいものだ」
馬子は、崇峻天皇が自分に良い感情を抱いていないと考え、あろうことか、崇峻天皇は暗殺されてしまいます。
この後、
592年に推古天皇が即位し、蘇我馬子が実権を握ります。
593年には聖徳太子が摂政となり、
603年冠位十二階、604年十七条の憲法の制定。
そして、
645年に大化の改新。
乙巳の変で蘇我氏は暗殺されることになります。
歴史の教科書を見ると、あっという間の出来事です。
ですが、
聖徳太子の立場を想像して意識を考察してみると、この時の状況を一言でいうなら、地獄。
状況を深掘りしてみると、そこには、とてつもない葛藤があったと想像されます。
章2 国家危機と、聖徳太子の"詰み"
ここからは聖徳太子にフォーカスを当てて、
当時の意識を分析してみたいと思います。
蘇我馬子は、見えているだけでも、
2つの境界線を犯しはじめていました。
①仏教推進による国家信仰への浸食
当時は、人が増え、疫病も流行っていたので、
人々の精神は混乱しやすい状況にありました。
人口が急増すると、精神教育が不足するため、
仏教の「悟り」の概念などは、扱いやすいツールではあります。
この点では、聖徳太子も仏教を取り入れ、
「一つのツールとして使用する」という考えでは、明確な反対はなかったと思います。
ですが、
仏教を国家信仰に「上書きする」となると話は別。
この国のアイデンティティは神道にあります。
神道は「理想の姿になる方法」が体系化されてますが、
教は、「この考えが正しい」と教える方法を取ります。
つまり、
神道は「それぞれが成長」しますが、
教には「正しいかを判断する偉い人」が必要なのです。
蘇我氏は、
この「一番偉い人」に立ちたかったのでは。
このような、
ピラミッド型支配構造へシフトする動きは、
EQ型の思考タイプを持つ人は、最も嫌います。
だから、国の信仰の軸を仏教にするのはNO。
ここが聖徳太子の判断の境界線だったと思います。
②「大臣家」による「大王家」への浸食
蘇我馬子は「大臣家」の血族であり、
武内宿禰から代々継承される「大臣」の立場です。
この時代、連携強化のためか、
天皇の血筋である「大王家」が
婚姻により「大臣家」の血筋と交わっています。
おそらく、「大王家」にとって、
「大臣家」の血が混ざるまではOKだったのだと思います。
ですが、
「大臣家」が「大王家」を取り込む形になるのは話が別。
ここは予想ですが、
古代日本では、「統治王」と「祭祀王」の
二柱でやってきていたシステムがあったので、
そこから考察するに、
蘇我稲目までは、
「祭祀王」→「大王家」=国家を守る柱
「統治王」→「大臣家」=国家を動かすリーダー
として、
混ぜずに保存・機能させる考えがあったと思います。
現に、「乙巳の変」の時期に、稲目の他の息子(境部摩理勢)が聖徳太子側についているとの記録があります。
これは、大王家の機能を保存していく構造を、尊重している態度だと考察できます。
一方で、
大臣:蘇我馬子がやっていることは、
天皇家の人間に暗殺するまでの介入をし、
「実務も握ってる。血縁も繋いでる。」
「だったら、実質こっちが主導でいいよね?」
とでも言うような振る舞いで、
立場を浸食していました。
これは先人が作った国家のシステムを
根幹から破壊するおそれのある動き。
だから「大臣」が「大王家」に、
吸収の目的で介入するのはNO。
ここが境界線だったと思います。
聖徳太子が置かれていた立場
聖徳太子の意見は、神道と大王家の機能を保存するところで線引きがされている、「大王家」側の考え方だったと思います。
しかし、おそらく、
蘇我馬子が聖徳太子に期待したのは、
「大臣家」というか、「馬子側」のポジション。
なぜなら、
聖徳太子の妻=馬子の娘・刀自古郎女
という形で婚姻関係があったからです。

そして不穏なのが、
暗殺された崇峻天皇も、馬子の娘が嫁いでいた、という構図。
つまり、聖徳太子は、
馬子が「大王家」を取り込むための、次のターゲット。
崇峻天皇暗殺の件で、
最も早く、鋭く、この国家の危機に気がついたのは、聖徳太子だったのであろうと思います。
崇峻天皇は、馬子が気に入らない行動をとって暗殺されました。
つまり、馬子は、気に入らない行動を取れば、
"そういうこと"をします。
しかし、聖徳太子は、仏教も自分なりに咀嚼するような人です。
本能的に、自分が納得できないことに従うのは嫌うタイプと予想されます。
ここで従う・従わないで葛藤が起こります。
馬子を好きにさせる→国家を根幹から破壊
馬子に逆らう→自分、妻、子の命の危険
聖徳太子は摂政です。
異例での女性天皇となった推古天皇の心配や、後継の天皇の心配もあります。
ならば、対話案。
馬子は「線引き」を理解してくれるか?
蘇我馬子はどういう状態だったのか
蘇我馬子は、結論から言うと、
「大臣」地位の"毒"に侵されていると予想します。
• お金の欲
• 権力の欲
• 血統への誇り
これに加え、
• 「自分を上位補正する」認知の歪み
この意識構造が発生しているように思えます。
①「自分はわかってる。自分のやり方が正しい」
というマインドと
②仏教の推進での成功体験
そして厄介な
③「選ばれた」「特別」「武内宿禰の系譜」
血統・肩書きのアイデンティティ
これはもう、高確率で、
「自分たちは特別である」という物語で、
ブレーキが効かなくなっているパターン。
よく見る、成長課程の罠です。
この状態だと、
周囲の抵抗や違和感を「理解が足りない」で切り捨てたり、
人間的実力で戦わず、肩書きで正当性を証明して持論を押し付けたり、
周りのレベルが低いと考えるが、自分も大して変わらない動きになってることに気がついてなかったり、します。
要は、自分の物語に夢中で、話を聞かない。
馬子を好きにさせる→国家を根幹から破壊
馬子に逆らう→自分、妻、子の命の危険
馬子と対話する→馬子は止まらない
ならば、対処案
どうにか馬子を止める方法はないか?
蘇我馬子を止める方法はあったのか
蘇我馬子は大臣、
内閣総理大臣級のポジションです。
当時、
「大臣」は大臣が次の継承者を決めるシステム。
解任・ブレーキの仕組みは存在しません。
…勝手に自滅してくれないかな?
と願いたくなりますが、
その間にも、馬子の気分で
何が起こるかわかりません。
大王家の子孫が減るリスクがあります。
大王家と男系の継承を守らなければ。
つまり、「自滅待ち」もできません。
もう、殺すしかないのか?
残念ながら、
それも採用できない理由があります。
暗殺返しなどすれば、
・人徳を語る立場の人間として不適切。
・大臣家への介入となり立場が逆転(悪になる)
馬子を好きにさせる→国家を根幹から破壊
馬子に逆らう→自分、妻、子の命の危険
馬子と対話する→馬子は止まらない
馬子を止める方法→なし、立場が壊れる
つまり、聖徳太子は、
どの選択肢も詰んでいる、地獄の状況。
…国を背負う立場で、
このような状況に置かれた聖徳太子。
この時、彼は何を思ったのでしょうか。
聖徳太子の祈り
選択肢が見えない中、聖徳太子の思考は、以下のような事を思ったのではないでしょうか。
あー…どうやったら止まる…?
蘇我氏よ、お願いだから我に返ってくれ。
だれか、周りの人、精神性を見て味方して。
これ以上、混乱や犠牲を増やしたくない。
こんなパワープレイうんざりだ。
争いのない世の中にしたい。
神道の軸が崩れたら、
先人達が積み重ねた悠久の知識の土台も、
作ってきたシステムも、
国のアイデンティティも、
誰かに支配されないみんなで作る国も、
全部なくなる。
未来の子どもたちを、守りたい。
選択肢が重い。
てか、お願い。
疫病とか外交とか政策とか、
忙しい時にこれ以上仕事増やさないで…。
ーー火事場の馬鹿力とはよく言ったもの。
追い詰められるほど、人の思考はシャープになることがあります。
聖徳太子は諦めませんでした。
彼は、この祈りを"制度"に落とし込み、正攻法で戦うことを決意します。
章3 聖徳太子vs蘇我氏ーー精神成長"可視化"する試み
どんな聖人君子でも人間。
チラリと、「暗殺」の選択肢がよぎった瞬間はあったかもしれません。
ですが、聖徳太子の仕事は「政(まつりごと)」。
聖徳太子は、正々堂々と、
「政治」で勝負を仕掛けたのだと思います。
馬子を好きにさせる→国家を根幹から破壊
馬子に逆らう→自分、妻、子の命の危険
馬子と対話する→馬子は止まらない
馬子を止める方法→なし、立場が壊れる
こんな地獄の選択肢の中、
聖徳太子が選んだのは、「馬子と協力する」。
これは従属ではありません。
おそらく、バックにいたであろう、
10歳年上の推古天皇や、秦河勝(年齢不詳)など、
さまざまな専門家と相談しながら、
表面上では“不穏な様子”は見せずに、
『本来の目的』へ、馬子に前を向かせる。
そのような選択肢を取ったのではないでしょうか。
前を向かせて協調する、
もしかして「和」の原型なのかもしれません。
と、カッコよく言いましたが、簡単に言えば、
馬子の気を乗せて、
政治でこちらの希望する方向へ促す作戦。
これで、蘇我馬子の軌道を変えようと
思ったのではないかと私は分析します。
聖徳太子(29歳) VS 蘇我馬子(52歳)
試合開始。
聖徳太子は、
例えば、初手、こう提案したと想像します。
「社会の規模が大きくなり、
人口が増え、疫病も流行し、
価値観が混乱し、人の心は荒れやすい。
こんな時は、
国を安定させる施策が必要ですね。
仏教神道の知識を活かして、
精神教育の強化をするのはどうでしょう。」
ーー建前上の話は、まっとうな政治の話。
しかし、内心はこう。
蘇我氏に関する根本的な問題は、
徳が下がっている自覚がないこと。
自覚がないから、ズレたまま、
自信満々に「正しさ」を語る。
自覚がないのは、“見えない”から。
ならば、“可視化”してしまえばいい。
本人に当たらずとも、
同調圧力(仲間)は発生するはず。
これで馬子を抑制する。
つまり、
この非常事態に考え出した超神策。
『人徳のシステム化』。
これが、
冠位十二階 と 十七条の憲法
だったのではないでしょうか。
ここから、
それぞれのシステムの狙いを考察します。
603年 冠位十二階=徳の可視化
最初の一手が、冠位十二階。
帽子の色を見れば、今どのレベルか分かる。
上の人を見れば、「こうなればいいんだな」が分かる。
真似すれば、育つ方向が分かる。
“徳の可視化”。
徳の程度を色分けし、冠でわかるようにした。
現代では人により右翼的な解釈もされている制度ですが、
大徳・小徳・大仁・小仁・大義・小義・
大礼・小礼・大智・小智・大信・小信の12階で、
仁義礼智信という五常に従っていることから、
徳の可視化を狙っている、
本来の目的としては綺麗な制度だと思います。
これは、私の感想、
初手として、かなり画期的。
──ただ。
ここで、残念な事態が発生します。
蘇我馬子が、参加しない。
馬子は一人だけ“色なし”の、宿禰帽(大臣の冠)。
制度の中に入らず、制度の外に立つ。
自分は対象者に入らない。判定側に回る。
「俺はもう“わかってる側”だよね?」
「じゃあ、みんながちゃんと出来てるか見てあげるよ♪」
とでも言うような“神様目線”のポジション。
そして、
「大王家の臣下には下らない。」
という無言の圧。
※第73世武内宿禰、竹内 睦泰氏の動画参照。
(一応、彼は竹田 恒泰氏と交流があったとのことで、口伝資料として扱えると判断しました。)
確かに、
祭祀王と統治王からの流れがあって、
それが横の関係という文化があったのなら、
「そっちが吸収されたくないなら、こっちも吸収されたくありません。介入するな」
という主張だった場合、
一応、筋が通ってます。
しかも、冠位十二階は、
色を審査する、一番偉い人が必要。
仏教派、蘇我馬子としては、
性質的に親和性が高く、「御しやすい」制度だったかもしれません。
604年 十七条憲法=「和」の宣言
次の一手が、十七条憲法です。
十七条「憲法」と言っても、
今の法律のイメージとは違い、内容は、
“人間のOSを変えるための指示文” に近いです。
たとえば有名なこれ。
「和を以て貴しとなす」
「貴」という漢字の成り立ちは、
通貨を意味する「貝」と、
一本線(境界線)、
その上に、「“どうぞ ”の形をした手」です。
つまり、いわゆるGiver。
貴族=紳士・淑女。
こういうイメージです。
つまり、ここでは、
偉い血筋とか、権力・お金を持った人が偉いのではなく、
日本は、“和の精神を持った人”が偉いんだよ。
というルールを明文化したのでは。
他にも、
独断を戒める。
上下の礼。
合議を重視する。
とありますが、
要するに、
独断・パワープレイ禁止令。
行動指針の明文化で、
蘇我馬子に制約を加えたのではないでしょうか。
これで同調圧力の空気と、
多数決で調整する空気のための、
システムがあることになります。
──ですが、おそらく、
馬子側の受け取り方は、たぶん冠位十二階の時と変わらない態度だったのだと思います。
つまり、制度によって問題が解決したわけではなかった。
だから乙巳の変が起きた。
この戦いは、
良くも悪くも決定的な結末が出ないまま、
本人達が亡くなっても、危ない構造が残った状態で、バトンが次の走者に引き継がれることになります。
章4 「特別な存在」物語の幕引きー藤原氏の"歴史の後処理"
詳しい歴史は省きますが、
聖徳太子は622年に亡くなります。
しかし、意志を継いだ人はいたのでしょう。
645年、乙巳の変が起きます。
中大兄皇子(のちの天智天皇)と
中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が動きました。
宮中で入鹿が討たれ、権力の重心が強制的に移されます。
蘇我馬子は626年に亡くなってます。
そのため、蘇我蝦夷、蘇我入鹿と
構造が引き継がれたのだと思います。
討たれたのは、入鹿でした。
聖徳太子は、構造の暴走を止めたかった人。
殴り合いではなく、祈りを制度に押し込み、正攻法で何とかしたかった。
それ以外の選択肢を選べない立場にあった人。
一方で、中大兄皇子・中臣鎌足は、
歴史の責任を引き受けた人たち。
聖徳太子を思って、少々汚れ役を被った、
国の未来のために動いた人達だったような気がします。
よく「歴史は勝者が書く」という言葉で、
古事記・日本書紀を編纂した藤原氏が
「黒幕」扱いされることがありますが、
私は次の読み方もできると思っています。
『日本書紀』にある、
蘇我入鹿が討たれた後、
父である蝦夷が歴史書を焼いたという記録。
もし、
蝦夷が馬子の精神を継いでいたとすれば。
歴史のコピーがどこかにあるのならば。
「家系の大事な宝である歴史を、
他の一族に渡したくない。」
こう考え、歴史書を燃やすのも、行動として不思議ではありません。
「自分たちは特別だ」という物語への、最後の執着──
そう考えると、古事記・日本書紀編纂も、
「勝者が好き勝手に歴史を書いた」というより、
燃やされて穴だらけになった断片を、
「どうにか国家の記憶として繋ぎ直す作業」だった、という可能性もあります。
藤原氏は、陰謀家というより、
めちゃくちゃ振り回されながら、
それでも国家の記憶と構造をまとめ直そうとした側。
私は、そういう見方の方が自然な気がします。
さて、ここまでお疲れ様でした。
ところで、
あいうえお表には、
この一連の出来事を「む」一文字で表現しているような気配があります。
なので、ここからは、まとめとして、表に隠されたメッセージを紐解いていきたいと思います。
章5 「む」に隠された本音
以前の記事で、あいうえお表の、
「む」が表すのは、人生課題のうちの、
「ストーリーテリング」の項目と考察しました。
ストーリーテリングは、
人生に起こった転機の物語を話しながら、
「だから自分は何をしたいか」
思いを伝える際に使われる話し方です。
聖徳太子が生まれた飛鳥時代が
「我が国の歴史上、最も危険な時代」
だったと冒頭で紹介しましたが、
まさに転機だったんでしょう。
「む」と「ム」を読み解くと、
聖徳太子が体験した構造がきれいに浮かびあがります。
「ム」牟
「角のある牛」の象形と「牛の鳴き声または、牛の吐く息または、牛の鼻輪」の象形から「牛の鳴き声の擬声語」を意味する会意文字。
むさぼる(貪)、満足することなく欲しがる、欲張る(なんでも欲しがる)、いつまでもある行為を続ける、がつがつ食べる、うばう(奪)、ます(増)
「ム」=欲張る。豊かになっても、さらに欲しがる。
今回の物語で、
この方向へ傾いて見えるのが蘇我馬子です。
意識の方向性が、「自分」向き。
全部が“自分の物語”で都合よく解釈され、
あくなき欲求で、止まれなくなる。
それは、
「大事なもの」を奪う危険な暴力性をも生む。
自分が見えなくなった悲しい構造の、成れの果て。
ここに対応するのが「む」。
「む」武
「矛(ほこ)」の象形と「立ち止まる足」の象形で「矛を持って戦いに行く」を意味する会意文字。
武人として正しく行動する為の守るべき事柄、、つわもの(武器を取って戦う人、非常に強い戦士)、
戦乱をなくすこと、戦術、武道、足跡、事業のあと、死んだ人が成し遂げた事業、しのぐ、越える、継ぐ、冠の下の部分を巻く物、
「む」=戦乱をなくすこと。その武士道。
武は、矛+立ち止まる足の象形。
これは、暗殺の選択肢を選ばず、政策という自分の武器で正攻法で戦った聖徳太子の姿がイメージできます。
衝突を避けられない局面でも、統合のため「和」して対峙する。
意識のベクトルが「国/未来/争いを終わらせる」向き。
殴り合いで勝つのではなく、戦いそのものを終わらせるために、静かに心で戦う。
冠位十二階も、十七条憲法も、彼にとっては“祈り”であり、同時に“武”だったといえます。
蘇我馬子は「ム」のまま進む。
聖徳太子は「む」で調和を取ろうとする。
でも向きが違うから、最後まで噛み合わない。
「む」の、「冠の下に巻く物」。
一見意味のわからない単語ですが、ここが重要だと思います。
古典らしく、意味は2つ。
一つは、冠位十二階。
冠位十二階は、徳を測るものでした。
つまり、意味として、精神性を表している。
もう一つは、今回の物語で言えば、宿禰帽。
冠の下巻いている背景(ストーリー)は何かということ。
何を守るための冠なのか。
血筋だから、偉いから、正しいから、
そこに立つわけではない。
人々が成長する社会では、「正しいを決める偉い人」なんか要らない。支配者など要らない。
パワープレイや、一方的な理論で人を縛る、強欲な支配構造にはNO。
何のためにそこに立っているのか。
理念を持って行動しろ。
今回の物語で生じた「念」を、
パワープレイのない、争いのない世界にしたい
という"武の理念"にして、
全て綺麗に「む」に残しています。
争いがなく、自然と調和して、
先祖から子孫まで、
生きとし生けるものを大事にできる
徳の高い人達が暮らす国を目指してーー
十七条憲法と対応させて、
あいうえお表精神発達の最終フェーズ「わ」、
ここから、
コンセプトは「和」だと、
これも、方向性をものすごくわかりやすく残してくれてると思います。
理念やコンセプトを作るのは、
とても大変な作業です。
それをここまで骨格作って"武器"になるようにしてくれている…。
丁寧に未来を祈ってくれた先人に感謝です。
さらに、先人達は、
何度も繰り返す「ム」の構造に対抗すべく、
我々にミッション(使命)まで残してくれてます。
おそらく、それを示したのは「う」。
「自分の現在地」
脳内の「自分」を大切にするということです。
最終章:「う」――自分の現在地(宇)を失うと、事故が起こる
社会毒、強欲をなくすために、
先人達は、ミッションを「う」に設定したと私は考えています。
伊勢神宮の前に「宇治」町がありますし、
「う」は、表の中でも少し特殊で、いろんな仕掛けが隠されてます。
だから、おそらく、かなり重要。
「宇治」=「宇を治す」
「う(宇)」が意味するのは、現在地です。
つまり、
「自分」が見えてる状態にするということ。
「自分」が脳内にちゃんと把握できていると、人は現実に沿って動けます。
自分の本当の気持ちは何を言っているのか。
自分の責任範囲。立場。できること/できないことの線引きはどこか。
自分の人生の道はどこにあり、何を守る人なのか。
これがわかっていると、
人は自他ともに安心できる暮らしができます。
でも、「う」を失うとどうなるか。
人は、「正しい」とか"神視点"に逃げます。
つまり、
無責任な行動をとってしまいます。
「自分」が抜けると、
自分のために人を動かそうとする。
現実的ではない方向へ物事を動かそうとして、
事故が起きる。
そして、その後処理をしない。
これを放置すると、
国は「成り立たない」状態になります。
蘇我氏は
「選ばれた」「特別」「血統/肩書き」に飲み込まれ、自分の現在地がいつのまにかズレていました。
問題だったのは、それを"補正する"システムがなかったこと。
「自分」が飲み込まれる構造がそこにあったこと。
だから、再び事故が起こらないように。
「う(宇)=自分の現在地」
これを治す構造を作る。
これはつまり、
何かに支配される生き方から抜け出す
ことと同義になる。
これが、我々「日本人」全員のミッションなのではないでしょうか。
我々個人にもそれぞれ理念はあります。
ですが、日本人である限り、
"武の理念"の土台のもと動く道にあり、
ミッションも同じく土台には「う」があるのではないかな、と私は思います。
編集後記
この考察は、実は、ここに至るまでに、一つの情報で解釈が何度も大きく変わりました。
なので、これも一つの見え方であって、情報の捉え方によって解釈は無数にあると思います。
蝦夷や入鹿も、ある意味、事故を継承した被害者かもしれません。
もしかしたら、この後にも長いこと、この事故の影響は残ってるーそんな可能性もなんとなく感じます。
ですが、この事故の責任が馬子一人にある、というわけでもないと思います。
馬子もまた、周りに理解されない環境に置かれて歪んだ、ある種の構造の被害者だった、という見方もあります。
大事なのは、誰が悪かったとかではなく、受け継がれる構造に目を当てることだと思います。
「ム」の内容を見ても、そこにある壁は人間が本来持つ弱さから来るもの。そこにどう向き合うかは、自戒も込めますが、「自分」の現在地をよく把握して、自分の方向性を確認して、いつも心を強く保っていけるかにかかっているのだと思います。
あなたはこの物語から、何を感じますか?
いろんな視点をシェアいただけると嬉しいです。
長文、最後までお読みいただきありがとうございました。
文:えめ 精神科看護師(人生の物語を力に変える分析屋)
精神性の可視化のご提案↓
今回の記事に関連した構造について
解説してる記事達はこちら↓
参考文献・参考資料
・金子堅太郎著『金子堅太郎が語る大日本帝国憲法の精神: もう一人の起草者が見た伊藤博文、明治天皇、そして外国憲法との比較』
・田中 英道著『聖徳太子は暗殺された ユダヤ系蘇我氏の挫折 (扶桑社BOOKS)』
・竹内睦泰氏https://youtu.be/m7PCuO9qiaU?si=NWd6pm98mMWQyS6t
・竹田恒泰氏と竹内睦泰氏https://youtu.be/Um31eV7__0M?si=HmZSmyyjiwVFP6dv
・蘇我氏の系譜https://ja.wikipedia.org/wiki/蘇我入鹿
・天皇系譜https://www.kunaicho.go.jp/learn/about/kosei/keizu.html
・冠位十二階https://ja.wikipedia.org/wiki/冠位十二階
・冠位十二階現代解釈https://www.jiji.com/sp/v8?id=20220909seikaiweb
・乙巳の変https://ja.wikipedia.org/wiki/乙巳の変
・境部摩理勢https://kabeya.amebaownd.com/posts/6144364/
・蘇我倉麻呂https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%80%89%E5%B1%B1%E7%94%B0%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E9%BA%BB%E5%91%82
