「和の国」とは?|あいうえお表に隠された日本の理念
こんにちは。えめです。
「今の日本、判断軸どれ?」
そう思うことはありませんか。
揉めているというより、噛み合っていない。
それっぽい意見はあるのに、まとまらないし、決め手もない。
正直、何を基準に判断したらいいのか分からない。
「和の国、日本はこうあるべきだ」という話もよく聞きますが、どこかふわふわしていて、実際の判断材料にはなっていない気がします。
…自分軸ならぬ、"日本軸"がない。
前回までの考察から、
「和の国」は道徳スローガンではなく、
国家の判断軸―
つまり、アイデンティティや意思決定基準を定めるための思想設計だったのではないか、と私はみています。
今の混乱はたぶん、
・「和の国」をどういう“仕組み”として使っていたのか?
・そもそも「和」って何?
ここが言語化されていないから、日本軸がなくて散らかってるんだと思います。
ということで、今回は勤勉タイム。
自主学習コーナーであり、私が精神科看護師という枠に縛られずにお話していこうと思います。
今回のテーマは
和の国とは?
今回は、
「和」をあいうえお表とライフサイクルの視点から読み直し、
日本の現在地と、これから取り得る現実的な攻略ルートを整理していきたいと思います。
あいうえお表に隠された“成長法則”
前回までの記事では、
息子の一言をきっかけに「あいうえお表」の法則を分析し、
あいうえお表にはライフサイクルという “成長の法則” が示されている可能性を見つけ、あいうえお表を作った理由など歴史背景まで考察してきました。
(ハイライト不要の方は次の章へ)
・「あ」~「ち」が、20代までの人生課題である「悟り」やアダルトチルドレン脱出までのパターンを表現していると分析
・あいうえおの出現時期から、背景に、仏教伝来や、聖徳太子の十七条憲法があると考察
_______
・「つ」~「ほ」が、30代の人生課題である「NOと言う勇気」やミッドライフクライシスに関連したパターンを表現していると分析
・江戸時代にあいうえお表が出版されたことから、キリスト教伝来や海外の外圧に合わせてこの体系が“使える形”へと調整されてきた形跡があると考察
_______
心の成長発達、ライフサイクルについて世界基準で発信が行われたのは、代表的なもので、私もお世話になっているエリクソンのライフサイクル理論。1950年です。
あいうえお表は、意図的に1000年以上の長期に渡って手を加えられながら残されてきていることが伺えます。
そして、各時代の背景に見え隠れするのは、外圧=世界からのプレッシャー。

「植ゑる(新たに増える)」
「据ゑる(そのまま維持停滞)」
「飢ゑる(崩壊)」
停滞期に、やることやれば発展期に移行。
頑張ってるけど未達成ならそのまま維持。
一定の締め切りまでに必要な行動してなかったら終わる。
据ゑる=「を」
「意識が薄れる」「どうしてこうなったんだろうか、なんか違うだろう。」
「据ゑる」に表現されているのは、今、まさに、我々が直面している「意識」を当てられているような感覚がします。
「ま」から「わ」は40代の課題。
発展フェーズの攻略法です。
果たして、何が書かれているのでしょうか。
「和の国」とは?
今回記事では前回の続きの「ま」から
人生40代の課題を中心に「わ」まで考察します。
「わ」は由来となる漢字は「和」です。
「和」といえば、聖徳太子の十七条の憲法。
「和を以って貴しとなす」
憲法に書かれているこの言葉と、「和の国」という言葉。
これらが意味するものは、
当時の「日本のコンセプト」だと私は思います。
選挙などでも、注意深くニュースを聞くと「理念は?」などの質問があるのがわかります。
ビジネスを学ぶとわかりますが、理念とコンセプトは集団をまとめるのに非常に重要です。
(わけわからない理念についていってはダメ。)
「和」のコンセプトの"概念"は今でも通用すると思います。
“外国人が来てほしくないのではなく、
「和」の精神がわからない外国人が土地を荒らすのが嫌。
分かる人はいいの。ウェルカム。”
我々の意識の根底にあるのはいつも「和」です。
じゃあ、「和」ってどんな意味なの?
ここで日本人は沈黙します。
仲良くしていること?
争わないこと?
空気を読むこと?
波風を立てないこと?
なんか違う。
そう思ったことあるけど、それじゃない。
経験と心は「それは違う」と断言するものの、いい言葉が出てきません。
私は、「和」を現代人が共有できる言葉で説明できて、日本人の過半数以上が一つの言葉に腹落ちすれば “勝ち” なんじゃないかと思っています。
私の考察では、
「和」は、あいうえお表の「わ」の意味から紐解けると考えてます。
しかし、問題なのは、
「わ」単独の意味を抜いて解釈しようとしても、
先ほど羅列したような、
ニコニコ貼り付けた笑顔でにぎり潰した、
ねっちょねちょになった「おにぎり」のような、
一人ひとりが潰され立てなくなった感じの、
気持ち悪いイメージになってしまいます。
「それは違う」。
だから、
「わ」の意味は、
あいうえお表全体から表現される意味
を表す言葉になってくると思います。
けっこう難しいです。でも一緒に考えませんか?
というわけで、
これから成長最難関である「ま」から「わ」の意味を、一緒に紐解いていきたいと思います。
「ま」から「わ」は、人生における40代の課題、ビジネスジャンルにも被るお話になりますので、人生に発展期を作りたい方はどうぞ一緒に先祖の叡智を考察してみてください。
※神道の帝王学で、高度なことばかり書いてあるので、コンパクトにまとめるのに苦戦していますが、解説が長いのは「む」までなので、「む」がこの記事の「峠」だと思ってついてきてくださると幸いです。
「ま」の意味:人生の折り返しで、力みながらも本質を探究する
「ま」末
「大地を覆う木」の象形に「横線」を加えて、「物の先端・すえ・末端」を意味する指事文字。
物事の大切でない部分、下位、取り上げるだけの価値がない、小さい、浅い、薄い、ない、なかれ(~してはいけない)
終わり、人生の終わり、晩年(老後の時期)、支配者が政権を維持している期間の終わり、すえに(終わりに)、将来、
背中、演劇で男に扮装(ふんそう)する俳優、
「マ」万
さそりを意味する象形文字。
さそり、数が非常に多い事、よろず、決して、絶対に(否定を強める語)、さまざま(物事がそれぞれ違っていること)、全て(例:万物、万全、万能)
「ま」の解説で注目していただきたいのが、「末」の「人生の終わり」というキーワード。
今回の記事の前提にもなりますが、人の精神成長は、30.40代を転機に「人生の折り返し」を迎えます。「ま」から「わ」までは、「これまでの人生を踏まえてもう一周人生をやる」というイメージで読み解くとわかりやすくなります。
老後の「死」は人生最大の「手放し」の段階になりますが、その真反対の位置で“対”となるのが、30.40代の「手放し」、削って自分を磨くフェーズです。
厄年が多発するのも、「削る」作業をスムーズにさせるための装置。
広げた風呂敷を畳みはじめ、フラグ回収をし、人生の物語を結論づけていく方向へ歩みを進める。
自分の肉体はなくなっても自分の物語はその後も生き続け、肉体の死の瞬間が一番美しくなるように。20代までの成長のやり方とは真逆のベクトルで成長し、磨きをかけます。
この時期を境に、人生には大きなゲームチェンジが発生することになります。これまでのやり方が通用しません(重要)。
「ま」を見ていて面白いのが、ひらがなは女性、カタカナは男性といった文化に反して、ひらがなの意味に「男」があり、カタカナの意味に「女性」に区分される「さそり座」のイメージが入っています。
これまでのやり方が通用しないので、力が入ってちょっと逆になったのか、変な感じになっている、「合ってるのになんか違う」「不器用」な感じが表現されています。
「万」「マ」の方の「さそり」も重要な気配があるので、蠍座の解説を引用して掘り下げます。
蠍座は、二区分では女性、三区分では不動宮、四区分では水に分類されています。
蠍座をひとことで表現すると「神秘的な研究者」です。真相や真理を知りたいという欲求が強く、物事をどこまでも深く、粘り強く、追求していきます。
(中略)
蠍座は「あなたという他人」を通して世界と繋がろうとするタイプです。自分というフィルターを通して世界を知ろうとするのではなく、相手の反応や行動を通して自分や世界を知り、つながろうとします。
(中略)
ただ、あまりに過剰になってしまうと、その対象に依存してしまったり、相手を支配したくなったりする可能性もあります。そんな危険を抱えていてもなお他人と深いところで一体になりたいと願う蠍座は、相手とのつながりを求めながら、常に自分を変容させ続けていこうとするのです。
この先は「世界の中の自分」を確かめながら、「確執・支配」や「依存・執着」に上手く線引きをしつつ、本質を探究(=勤勉)していくことになるということを、蠍座のイメージを借りて表現したのでしょう。「あ」「安」の赤ちゃんからの流れに重なってくるところがあります。
「あ行」と違うのは、「なかれ」「絶対に」など、ポリシーを感じる表現が入っているところでしょうか。まだ力んでいて強い表現ですが、“自分”があることが伺えます。
なんか日本の現在地みたいですね。
「み」の意味:本質的な美しさ|自己効力感と暴走の葛藤
「み」美
「羊の首」の象形と「両手両足を伸びやかにした人」の象形から、大きくて立派な羊の意味を表し、そこから「うまい」「うつくしい」を意味する。会意文字。
うまい(おいしい)、色・形・音・容姿などがとても気持ちよく感じられるさま、見事である、優れている、
ある事をするのにふさわしい能力を持っているさま、
人の態度や言動がとても気持ちよく・理想的に感じられるさま、きれいである、汚れや濁りがない、清潔さ、純粋さが失われていない、立派である、褒める(よみする)、(行為を)善くする、うつくしくする、かわいい、
「ミ」三
「三本の横線」から数の「みっつ」意味する指事文字。
さん、何度も(例:三拝九拝)
「み」の内容はわかりやすく、人の本能が喜ぶアウトプットと人間性を兼ね備えた様子だと言えます。スキル・センスと言った「手段」を持っているとの解釈もできます。
一方で、文字の成り立ちに「太」のような、「両手両足を伸びやかにした人」のイメージも入っていて、「必要以上に飾り立てて凄そうに見せている人」「『自分の理論は絶対』と理論武装している人」などには、冷ややかな目を向けている様子も薄っすら感じられます。
「ミ」「三」は、カバラ数秘術の「3」から意味を連想させていると予想されます。
数字3の持ち主は、まず何よりも「表現力豊か」であることが特徴です。
また、数字3の人は楽観的で前向きな性格の持ち主です。困難な状況に直面しても、すぐに落ち込むことはありません。
創造性と想像力も豊かで、常に新しいアイデアを生み出すことができます。一方で、浮き沈みが激しく、気分の変動が大きいという特徴もあります。感情表現が豊かな分、喜怒哀楽の波も大きくなりがちです。
「み」と合わせて、「ギフテッド」な感じのする文脈が続きますが、「前向き」な性格は、自己効力感のある様子と読み解くことができるでしょう。思考停止した「前向き」は、おそらく作者達の眼中にありません。なぜなら、目の前に以下のような人がいて、まとまらず困っているんだと予想されます。
「数字3」の解説には「浮き沈み」と躁うつ状態を連想させる説明があります。
人は「これだ!」と思うアイディアが浮かぶと、脳内でドーパミンが放出されて興奮します。(これをOEと呼びます。正常反応。)
これが興奮後、ドーパミン欠乏状態になることで落ち着きがなくなったり、過活動によって脳のゴミが溜まって妄想暴走状態へ突入することがあるので、作者(達)はそれを見て非常に困った顔をしながら、「妄想暴走を律してこそ本当の美しい人である」と主張しているようにも思えます。

ここで疑問なのが、「み」「美」のイメージです。羊って昔の日本でそんなメジャーな生き物ではないような…。
「ま」「み」「む」には、古来から続くグローバリスト的な存在との確執について、作者(達)の人生ストーリーと、未来の子孫の幸せを願った熱い思いが込められている雰囲気が垣間見えます。
ここを書くと長くなるので、以下の歴史背景からの考察記事をよかったら読んでみてください。
次いきましょう。
「む」の意味:社会毒に立ち向かうためのストーリーテリング
「む」武
「矛(ほこ)」の象形と「立ち止まる足」の象形で「矛を持って戦いに行く」を意味する会意文字。
たけし(強い、 物事に対してひるむことなく積極的に向かって行くさま、意気が盛んで、勢いがあり強そうである)、武人として正しく行動する為の守るべき事柄、、つわもの(武器を取って戦う人、非常に強い戦士)、
戦乱をなくすこと、戦術、武道、足跡、事業のあと、死んだ人が成し遂げた事業、しのぐ、越える、継ぐ、冠の下の部分を巻く物、威力、
一歩の半分の長さ、半歩、
「ム」牟
「角のある牛」の象形と「牛の鳴き声または、牛の吐く息または、牛の鼻輪」の象形から「牛の鳴き声の擬声語」を意味する会意文字。
むさぼる(貪)、満足することなく欲しがる、欲張る(なんでも欲しがる)、いつまでもある行為を続ける、がつがつ食べる、うばう(奪)、ます(増)、2倍になる、おおい(多)、おおきい(大)、大麦(イネ科の一年草)、ひとみ(瞳・眸)
「む」と「ム」は、なんだか人類の永遠の戦いを象徴しているような構造を感じます。
「ム」は、欲張り、豊かになってもいつまでもさらに欲しがる、肥大化して一人では止められなくなった何か。人間本来が持つ悲しい性質を表しているとイメージされます。
「ム」は牛が強調されているので、牡牛座を参照してみますが、以下の性質が表現されます。
土の星座には他に乙女座と山羊座がありますが、牡牛座はそれらと比べてもずっと頑固で、そう簡単には揺らぐことはありません。
牡牛座はどっしりした大きな山のよう。そこには木々が茂り、果物が実り、鉱石のような資源をも内包した、自然の恵みあふれる、固定された土なのです。
牡牛座は変化をあまり好まず、じっくり緩やかに進むことを好む質を持っています。動き出したらじっくりと進みますし、急に止まることもできません。
牡牛座は、確実性を大切にし、長期展望を持って進んでいくエネルギーを持っているサインなのです。
「ム」に対し、「む」は戦いに行きますが、その目的は「戦乱をなくすこと」。死んだ人が成し遂げた事業というのは、「自然あふれる国土を守っていく長期展望を持って進む人達の集団」なのではないでしょうか。
アダルトチルドレン「す」と対比されますが、アダルトチルドレン時代は自分の中にあるものと戦っていましたが、今度は、外にあるものと戦って、統合「和」をはかっていく。
これにおいて、「冠の下の部分を巻く物」が重要になってきます。冠は資格。どの立場で語るのか。その下の部分を巻く物は、どういう「背景」があって語るのか。
背景=人生ストーリーは、説得力と巻き込み力と熱量(覇気)へ繋がる、根源となるもの。一人では倒せないものを、みんなで集まって戦うには、共有するストーリーが大事になります。
この段階は、ビジネスで「半歩」進む、0→1を始める時とも言えるでしょう。
「め」の意味:柔らかな覚悟と静かな圧
「め」女
「両手をしなやかに重ね、ひざまずく女性」の象形から、「おんな」を意味する象形文字。
子供を産むことができるまでに成長した女性、めす、め(動物の性別で、卵巣を持ち、卵や子を産むほう。また、植物で雌しべのつく花)、優しいとか弱いなど、子供を産むことができるまでに成長した女性が備えていると考えられる特徴を持つ人
「め」は読み解きが難しいのですが、覚悟を表現しているのではないかと思います。
覚悟というと、「よし!やるぞ!」みたいな、男らしい宣言のように思えますが、ここで表現されているのは真逆です。「仕方ない」といった様子。
女性は子を産むにあたって、グレープフルーツほどの大きさを股から出すような、不可能に思えるような事をしようとしているにも関わらず、出産に対しそんなに気合いを入れて覚悟しません。
「そうなってるから、そうするしかない。やるしかない。」
「俺は男だから…」みたいな逃げ道がありません。
その覚悟は、排水の陣の覚悟のように強く、そして、外から見ると、一見、優しく、弱そうに見えます。
合気道のように、本当に強い人は、強そうに見えない。だが、どんなパワーも無効化する、圧のようなものがあります。それを表現しているのでしょう。
この覚悟が勘違いなく決まると、あの世で先祖が湧いてコールを始めるのでしょう。
"お前がやらなきゃ誰がやる"
そして応援を始めるのが「も」なのかもしれません。
「も」の意味:結果が出る前兆
「も」毛
「けの生えている」象形から「け」を意味する象形文字。
け、生物の体に生えている糸のように細くて長い物、糸のように細くて長い物、非常にわずかな事を例えるのに用いる、鎧の札(さね-細長い小板)を結びあわせる糸、農作物。特に稲の穂の実り、草や木が生まれ育つ事、軽い、
「頭髪の色で老壮を判断し席次(座席の順番)を定める」
※老荘とは、老子と荘子が主張した思想(考え)で、無為自然(すべて人間の思うようにはならない為、無理に人の手を加える事はせず、あるがままに任せる事)の大切さを説明した。
全解説の中で一番難しかったですが、これはおそらく、「不毛」の逆だと解釈すると理解が早いと思います。
「不毛」は、「土地がやせていて草木が育たない」という意味の表現である。(中略)「不毛」には「何の成果も得られない」という意味もある。ビジネスシーンにおいても用いられることが多く、「生産性がない」、「意味がない」、「無駄である」という意味で使われている。
つまり、「毛」は意味があること。文字の説明に「糸」が入っていますが、糸は「運」を表すのに漢字のつくりなどにも使われている記号です。総じて、前兆のある・意味のある結果が出る、スピリチャル用語を借りれば、「水面下で準備ができている」という状態を表しているでしょう。
これを察知できない経営者はスピリチャルにハマることになります。
「や」の意味:これでいいんだろうか?と考え続ける
「や」也
「女の生殖器」の象形ですが、その意味で用いた例はありません。
「なり(断定。・・・である)」、「や(疑問・反語。どうして・・・か)」、「また」、「・・・もまた」
突き進むにあたって「これでいく」と決めるが、「これでいいんだろうか?」結果が出るまで自分を疑い続ける、経営者によく見られる姿勢を表しているのでしょう。
女性の生殖器が成り立ちのようですが、妊娠中の生まれるかどうか不安を抱えながら守り続ける姿勢と重ねたのかもしれません。
先輩が言っていました。「『これでいいんだろうか?』と考え続けられる支援者は、良い支援者である」と。後輩など導くものを持つ人に必須の姿勢なのだと思います。
次にある「や」と「ゆ」の間の “空白” は、「い」を代入して、「い」の意味そのまま、人知れず行う“試行錯誤” と捉えて良いでしょう。
「ゆ」の意味:TTP|温故知新の態度で本質を吸収していく
「ゆ」由
「底の深い酒つぼ」の象形から「よる・もとづく」を意味する象形文字。
よる、基づく、へる(経)、頼る、のっとる(規範として従う)、手本とする、まねる、理由、原因、手だて(方法、対策、手段)、なお~ごとし(ちょうど~のようである)(助字)、よし(伝え聞いたという意を表す語。多くの手紙に用いる)
まねるとありますが、ビジネスにはTTPという言葉があります。「徹底的にパクる」。守破離の「守」に当たるシーンを表しているのでしょうか。
「伝え聞いた」という表現がありますが、日本には口伝継承が多く残っています。その意味を紐解きながら自分のものにする。そういう温故知新の態度を表しているのでしょう。
あいうえお表から勤勉している今の私もこれに当たるのかもしれません。
ただ、「酒つぼ」とあるのは、「のんでものまれるな」という小さな示唆もあるのかもしれません。
次にある「ゆ」と「よ」の間の “空白” は、しつけを意味する「え」を代入して、人の言葉を借りず自分の言葉にしていくという文脈での“身につける” と捉えて良いでしょう。
「よ」の意味:役に立つ|共鳴する仲間と一つの目的に向かう
「よ」与
「かみ合う歯」の象形と「口」の象形と「持ち上げる手」の象形と「ひきあげる手」の象形から、手や口うらを合わせて互いに助け合う事を意味し、そこから、「くみする(仲間になる)」、「あたえる」を意味する。会意兼形声文字。
仲間・味方、助ける、認める、賛成する、ともに(一緒に)、割り当てる、負担すべきものとして引き受けさせる、「と(並列、従属の助字)」「か・かな(~であることよ)(物事に深く感動することを表す助字)」
相手のためになるものを提供する、相手に何かができるようにしてやる、ために(為)、役に立つ事、目的や期待の向かう所、「か・や(どうして~であろうか)(疑問・反語の助字)」
さて、発展の準備を終え、自分のやり方・コンテンツを“身に着けた”ころ。それに共鳴した人達が自然と集まり、仲間ができ始めました。
「か」「加」のギャングエイジのように気分で関係性が壊れにくく、「ひ」「比」よりも深く共鳴し、お互いに横の関係で、役に立ちあい、それぞれが責任を負って役割が割り当てられているのが、「ま」の依存・支配を脱出したフェーズとして描写されています。
ここから組織の質も見えてきそうですが、トップダウンではなく、目指す最終形態はやはり「自走する組織」。同じ目的を理解して、役割を理解して、自分の考えで動いてもバラつかない。自由で柔軟な組織には、やはり、理念=熱量を発生させるストーリーと、平均精神性=「和らか」な個人が集まっているということが大事なのでしょう。
これをもってして、「役に立つ」ことができるのだと思います。
「ら」の意味:待つ勇気|運に恵まれ豊かさを手にする
「ら」良
「穀物の中から特に良いものだけを選び出す為の器具」の象形から、「よい」を意味する象形文字。
優れている、正しく、上手に、立派に、親切に、丁寧に、多く、十分に、できる、まことに(本当に)、やすらか、おだやか、素直、おとなしい、
やや(少し、しばらくして)、運がよい、めでたい(喜ばしい)、いさお(手柄、功績)富んでいる(金持ちである)、豊かである、
40代課題は「準備9割」とも言われますが、一人で難しいのは終わりです。ここからは “幸せを受け取る課題” が続くので、「ら行」はサッパリしています。
その代わり、組織の課題としてライフサイクルの2周目を引き受け、後輩たちの人生課題に一緒に悩んでいくので、「待つ勇気」は試されていくことでしょう。
親切丁寧に役割をまっとうし、待っていたら、運がよく物事が運び、豊かさや功績を得ることができた。そんな様子が「ら」には込められていると思います。感謝ですね。でも勇気を出して立ち上がり、ご先祖含めみんなを沸かせたから、返ってきたのだと思います。
「り」の意味:ブランディングの完成
「り」利
「穂先がたれかかる稲」の象形と「鋭い刃物」の象形から、稲を栽培し、鋭い刃物(すき)で土を耕す事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「するどい」・農耕に「役立つ」を意味する会意文字。
良い、順調な、都合が良い、効き目がある、利益、
物の効用、とし(鋭い)、きく(物を言う)、きき(技量がある)、役に立つ、機能
あちこちに融通を利かせてもらうことができ、柔軟な仕事でさらに成果を出すことで、大人数の中でうまく物事を回せるようになる。
「あの人を通してから考えよう」というサイクルが自然に生まれてくる。
自然に役割が固定され、勝手に名前が出てくるようになる。
フォロワー数も、派手な実績も、肩書も要らない、「判断が要る場面に呼ばれる人」になる。
ブランディングの完成です。
「る」の意味:インフラの形成|優れたシステム
「る」留
「同形の物を左右対称においた」象形(「等価の物と交換する」の意味だが、ここでは「流」に通じ、「ながれる」の意味)と、「区画された狩猟地・耕地(田畑)」の象形から、田の間を流れる水が「とまる」を意味する形声文字。
とどめる、動かないようにする、押さえる、引き止める、とどこおらせる、後に残す、久しい(長い時間がたっている)」、
すばる(星座の名前。おうし座のプレアデス星群。六星から成る)、
ぐずぐずして決定・決行しない、
「ル」流
「流れる水の象形」と「子が羊水と共に急に生まれ出る象形」から、「水がながれる」を意味する会意文字。
水などの上を流れる、あてもなく歩く、すらすらとゆく、ゆきわたる、移りゆく、広める、川のような流れ、求める、選び取る、根拠がない、
罰として遠地に追いやる、移す、なくす、系統、仲間、階級、心にとめないようにする、形を成さずに終わる、
「る」「ル」に共通するのは、水が流れるように、自然に、しかし、そこにしっかりとどまる様子が表されています。「ゐ」「井」を連想させますね。もう事業が自然とインフラ化されているのかもしれません。
「る」の「すばる」は統治の意味を持つようです。
「すばる(統ばる)」または「すまる(統まる)」という言葉は元来他動詞「すべる(統べる)」に対する自動詞形であり、「統一されている」「一つに集まっている」という意味をもつ。
「ル」にはシステムを連想させる言葉が並んでるように思えます。
「国民が政治に関心のない社会は豊かである」みたいなことを誰かが言っていましたが、「今の政治はー」など、そこにいる人達に「どう動くべきか」いちいち意識させないで運用できているのが優秀なシステムです。
自分達それぞれの役割がはっきりしていたら勝手に進む。これが出来ていないと「ぐずぐずして決定しない」と「る」はチクリと警告しているようにも思えます。もう、次の2周目の「組織の課題」に方足突っ込んでいるようです。
「れ」の意味:文化の形成
「れ」礼
「神にいにしえを捧げる台の象形」と「甘酒を盛る為のたかつき」の象形(「甘酒」の意味)から甘酒を神に捧げて幸福を祈る、「儀式・礼儀」を意味する会意兼形声文字。
人のふみ行うべき規範、心に敬意を抱き、それを行動として外に示す事、作法、礼儀作法、儀式、国家・社会の秩序を維持する組織やおきて、うやまう、敬意を表す、礼について書いた経書、おじぎ、謝礼
人が集まり、統治され、インフラやシステムが形成されると、そこには文化が形成されていきます。これによって、後輩たちに「教育」を行うことができます。
教育とは「正しい」ことを教えるのではなく、文化を継承することなのかもしれません。それが時間が経つと、組織の治安へ反映されていく。文化を軽視はできませんね。
「ろ」の意味:組織の免疫・恒常性機能
「ろ」呂
「人の背骨が連なる」象形から、「背骨」、「長い」を意味する象形文字。
せぼね(背骨)、長い、音楽の調子(リズム)で、ほぼ今の1オクターブを十二分したものを十二律といい、その中の陰音律(暗い感じのする音楽のリズム)を言う」(反意語:律)(例:呂律)
音楽は私はわからないので、「背骨」を解剖的に解説しますと、「背骨」は、身体のパーツの誰がどのように動いても本体を支え、全体のバランスを取って調整します。
その役割はかなり柔軟で、これだけ太いのに、動きを制限せず、むしろ、全体の力強さを底上げする。さらに情報伝達も担い、骨髄からは白血球が生み出されるなど、悪者を撃退する役割まであります。
自走する組織がここまでくると、「戦を終わらせる」ことも可能になってきそうですね。
また、興味深い話では、お腹の中の赤ちゃんは、細胞→魚のような姿→イモリのような姿→人の形と、何億年前も前からの生物の進化の過程を辿ったような体の形の変化をするそうです。(松田素子著:『ながいながい骨の旅』より)
我々は、人に限らず、悠久の生物の歴史の上に立っていることを忘れるな、との示唆もありそうです。
「わ」の意味:神道が体現を試みてきた形
「わ」和
「口」の象形と「穂先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味だが、ここでは、「曾(か)に通じ、「会う」の意味)から、人の声と声が調和する「なごむ」を意味する形声文字。
やわらぐ、なごむ、やわらげる、なごやか(ゆったりと落ち着いているさま)、やわらぎ(やわらぐこと。また、その状態。)、のどか、うららか、
気が合う(考え方や感じ方が似ている)、程よい(ちょうどよい程度である)、
車の軾(ショク-車の前に設置した横木)につけて調子(リズム)をとる鈴、「~とともに」、2つ以上の数を加えて得た値、応える、応じる、調子(リズム)を合わせる、混ぜ合わす、調和する(釣り合いが取れている)、
整える、整う、なぎ(海上の風波の穏やかなさま)、
やまと(日本)
「わ(接頭語。親愛(好きという気持ちや親しみの感情を抱いている事)の意味を表す)」、「にぎ(接頭語。やわらかい、詳しい、整ったの意味)
さて、お疲れさまでした。やっと「わ」に辿りつきましたね。
ここでは、意味を解説しません。言葉にすると何かが欠けてしまいそうなので、みんなで考えられるように余白を残します。
ただ、天皇陛下による体現から、学び取れるものが多くあるように感じます。
あと、ヒントとして、「曾祖父」にも充てられる、「曾に通じ」という言葉が出てきているところから、「先祖、そして子孫まで、賛成される道を模索しましょうね」というメッセージがあるように思えます。
あなたはどう感じましたでしょうか?
日本の「現在地」と今の成長課題は?
日本の歴史を、
「日本という組織のライフサイクル」
という視点で見ると、
大きく三つの段階が見えてきます。
①20代の課題: 集団の意思を一つにする
飛鳥時代以前、
大和の大乱と呼ばれる混乱の中で、
日本は何度も内側から分裂しかけました。
そこで行われたのが、
祭祀王と統治王を中心とした
権威の統合です。
そして飛鳥時代でも外圧により混乱が生じ、
「誰が偉いか」を決めるためではなく、
「何を大切にする集団なのか」を
共有するための仕組みを作りました。
価値観の統合です。
内部を一つにまとめる。
これが、最初の関門でした。
② 30代の課題:NOと言えるようになる
内部がある程度まとまった後、
次に必要になったのは
海外との距離の取り方です。
代表的なのが、
遣唐使の停止と、
江戸時代の鎖国です。
これは
排除や恐怖からの選択ではなく、
「自分たちのやり方で」
という、
依存・支配関係を拒否する判断だったと
読み取ることができます。
③ 40代の課題:理念の実行と教育
①と②を経て、
「あとは軸を言葉にして動かすだけ」
の段階に。
本来、
自分たちで本質となる言葉を見つけ、
教育していかないといけないのですが、
先人たちの準備が良いので、
飛鳥時代ほど苦しむ必要はなかった、
…はずでした。
ところが、
明治維新以降、
この流れはうまく引き継がれませんでした。
外圧と急激な近代化の中で、
日本は再び①20代課題へと引き戻されたように思えます。
そして現代。
きっかけはわかりませんが、ある時から、①20代課題を象徴する「自分軸」という言葉が流行りました。
さらに、
2024年、2025年にかけて、
外国人問題などをきっかけに
動画などのコメント欄で
②30代の課題の象徴「NOを言う勇気」
に関連したキーワードを多く見かけるようになりました。
日本はまるで、世界からのプレッシャーを受けるたび成長期を迎えてるかのよう。
そして、2026年、
まだ入ったばかりにも関わらず、
頻繁に見かけるキーワードがまた変わり、
③40代課題を象徴する
「自分は何者であるか」
という会話が増えています。
AIの台頭により、
人類単位で「人とは何か」
の問いが始まっているのも、
関係あるかもしれません。
日本の現状は、
「ま」の描写と多く重なる部分があります。
依存と支配を跳ね除け、本質を探る、
40代課題の入り口に立たされているのではないでしょうか。
だとしたら、
必要なのは理念と平均精神性。
つまり、
なぜ先人は「和の国」をコンセプトに選んだのか?
これが現状打破のヒントになると思うんです。
なぜ「和の国」だったのか?
なぜコンセプトを
「和の国」にしたのか?
そもそもの目的は、
国を一つにまとめるため。
"日本軸"があればまとまると考えた。
ですが、国家というのは難しいもので、
「何をもとに一つにまとめるのか」が問題です。
それぞれいろんな人がいて、いろんな考えがある中で、たった一つの方向を出さないといけない。
誰かの考えで一つにまとめると、必ず反対意見が出てきます。
現代でも、海外からも人は来るしで、様々な価値観がぶつかり合ってますが、人間の誰かの価値観を基準にしても、みんなが納得する一つの「正しい答え」が出るわけがありません。
ではどうするのか。
土地を理由にすればまとまりやすいのでは。
日本の土地の特性は何か?
日本は災害大国です。
災害時に意見が割れると大勢の命の危険があります。
だから、一つの理由として、そんな有事の際でも落ち着いて行動できる人間であれるように。
また、災害があると飢餓も発生します。
だから、食料安全も踏まえて、国土の資源を食い潰さないように、自然の他の生き物のことまで考えて動けるように。
「ム」牡牛座でも出てきましたが、自然あふれる国土を守って長期展望を持って進む人達になるように。
そして、
災害があるから知っている、命の尊さ。
「武」の意味に出てきました、
「戦をなくすこと」。
人が人を、土地を襲うことがない、
日本の中の戦だけでなく、
海外からの外圧もない、
世界まるごと、
戦乱のない世の中になるように。
そんな願いを込めて、
この願いをもって一つにまとまれるように、
浄化能力のある精神性の高い人の国にしたいと思ったのではないでしょうか。
最後に
コンセプトというのは、
父母が子どもに送る名前のようで、
願い・祈りを残す、
プレゼントのような性質を含みます。
と同時に、
理念に基づいて我々がどう立場を取るかをわかりやすく言葉にしたのが、コンセプト。
精神科的に言えば、
コンセプト、つまり役割は、
あなたを果てのない要求から守ります。
私が分析考察した先人の理念は、
人間も他の生き物達も、
食料に困らず、
戦いの生まれない世の中にしたい。
「和の国」は、
私たちを肥大した何かから守るために、
暗闇で迷って絶望してしまわないように、
いつかそれと対峙しなければいけない
私たちを勇気づけるために、
先人達から脈々と送られた
プレゼントなのではないでしょうか。
あなたはどう受け取り、
どのような
「あなたにしかできないこと」
を見つけますか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
文:えめ 精神科看護師(ライフサイクル専門家/人育ての専門家)
聖徳太子の「和の国」政策と、蘇我氏と何があったのか。飛鳥時代の"危機"について書いてます。
不定期更新のためよろしければマガジンフォローor通知オンでまた見ていただければ嬉しいです。
