【第八章】AIはゴッホの夢を見るか?:AI時代に「人間の感性」が最後の砦となる理由
はじめに:問いかけるAI、試される人間
これまでの連載で、私がアートを通じて人々の感性をひらく「ゆるパカ鑑賞会(感覚共有アートプログラム)」を運営するに至った道のりをお話ししてきました。そして今、私の活動は「AIの時代に、人間であるとはどういうことか」という、根源的な問いに直面しています。
文章を書き、絵を描き、作曲など、あらゆる領域に浸食していくAIの進化は、目を見張るものがあります。一部の仕事がAIに代替される未来は、もはや避けられないでしょう。それは既に始まっています。そんな時代に、私たち人間に残された価値とは何なのでしょうか。今回は、私が考えるAIと人間の未来、そしてなぜ今こそ「感性」が重要になるのかについて、お話ししたいと思います。
「有から有」を生むAI、「無から有」を創る人間
AIの創造性を理解する上で、私は「有から有」と「無から有」という考え方をしています。AIは、インターネット上に存在する膨大なデータ(有)を学習し、それらを組み合わせて新しい何か(有)を生み出すことは非常に得意です。しかしながら全く何もないゼロの状態から、全く新しい概念や価値(有)を創り出す、いわば「無から有」を生むことはできません(そのフリはできますが)。
「AIは『有から有』、既存のものをベースに組み合わせるのは得意。でも『無から有』を創り出すのは、人間にしかできない。」
無から有を生み出すことは、人間に与えられた最後の聖域なのかもしれません。ゴッホが狂気の中で見たひまわりの燃えるような黄色や、ベートーヴェンが聴力を失ってなお紡いだ歓喜の歌。こうした表現物は、データや論理を超えた、人間の魂の叫びそのものです。その領域に、AIが足を踏み入れることはないでしょう。
AIには模倣できても、共感はできない:感情とインスピレーションの聖域
AIは、人間の感情を驚くほど巧みに「模倣」することができます。優しい言葉をかけ、あたかも共感しているかのように振る舞うこともできる。ですが、それはあくまでも、過去のデータに基づいたシミュレーションに過ぎません。
「AIは感情を演じてはくれる。でも、本物の感情はない。直感、インスピレーション、感受性。それは人間の領域じゃないでしょうか。」
アートを見て心が震える感覚。美しい夕焼けに涙する気持ち。他人の痛みを、我がことのように感じる心。これらの本物の「感情」や、理屈を超えてひらめく「直感」、説明のつかない「インスピレーション」こそが、AIには決して代替できない、人間の尊厳に関わる領域なのです。
「便利な相棒」を使いこなし、人間らしさを取り戻す
では私たちは、AIを恐れるべきなのでしょうか。私はそうは思いません。AIは私たちの仕事を効率化し、新たな可能性を広げてくれる「便利な相棒」になり得ます。問題は、私たちがAIにすべてを委ね、自ら考えること、感じること放棄してしまうことです。
「AIを便利な相棒として使いこなせるかどうかが分かれ道。そのためにも、自分と向き合うことが大事になる。」
AIが出した答えを鵜呑みにするのではなく、「本当にそうだろうか?」と疑い、自分の頭で考え、自分の心で感じることが大切です。
AIは事実に基づかない情報を生成する「ハルシネーション」がみられることも知られています。これに違和感をもち、事実かどうか疑問を持てるかどうか。その判断基準となるのが、一人ひとりの「感性」なのです。
AIが作り出した美しい絵を見て、「AIっぽいな」と気づける感性も持ち続けたいですね。
情報が溢れ、何が真実か見えにくい時代だからこそ、私たちは自分自身の内なる羅針盤を磨き続ける必要があるのです。
多様性を受け入れる土壌としての「感性」
感性を磨くことは、他者を理解することにも繋がります。「ゆるパカ鑑賞会」では、同じ絵を見ても人によって全く違う感じ方をすることが実感できます。感性をひらくことは、自分とは違う価値観や視点を受け入れる土壌を育みます。
「多様性を受け入れられる土壌。人が人を理解し、認め合う。そうすれば、争いは減っていくはず。そんなことをイメージしています。」
AIという強大な知性が登場した今、私たち人間は、これまで以上に手を取り合い、互いを理解し合う必要があります。そのためにアートの力、感性の力が、大きな役割を果たしてくれと、私は信じています。
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