不思議話(2章4) 日本最古の神社「大神神社」にて、iPhoneに神々が感光し記録される~神秘領域の物的証拠を生じる〜
今回は、不思議話第7弾。
前回までは物語的なことばかりでしたが、
今回は「物理的な証拠」を与えられた話について記します。
(今回までのツリーはこちらから閲覧できます。)
2章.特に大きかった出来事
※クリックで閲覧できます。
1.八坂神社での不思議な出来事(きっかけ)
2.昔からあった不思議な出来事(振り返り)
3.過去世の想い人との出会い(過去世について)
4.物的証拠~大神神社での感光~
以上、「生前からの様々な不思議なこと」、「八坂神社での理由説明・宣言」といったことを紹介した。
少し順序が逆転したが、こうした不思議なことが生前からずっとあった上で、「疑い抜き理屈を示す」という使命感に駆られながら歩んでいて、それが一定以上まとまってきたところで”八坂神社での宣言”があり、それ以降はその「プレゼント、道標」という理由が付されたもとで実証的に経験していったということである。
八坂神社の出来事は、それまでの「理屈の方面」に対して、「実証の方面」を見せてもらうという宣言のできごと、そうしたことを再び信じていくきっかけとなった出来事であって、この後本当に不思議なことを定期的に起こされていくことになったのである。
そんな経験がいくらあり心を開きはじめていようとも、絶対的な確信には至らない日々であったのであるが、ついにある日、これが圧倒的に反転する「疑の終結」となるような出来事が起こるのである。
この体験をもって、はじめて信が圧倒的に疑に勝るようになり、久しぶりに信が基本となっていくことになる。
その出来事が、「大神神社での感光」である。
客観的な物的証拠として
今まで話してきたようなことは、あくまで「出来事」であって、徹底的に疑えば全て偶然でしかないということを言い得るものと思う。さすがに何度も重ねて経験していたり、宣言されての体験であったりするために、それすらも難しいのではないかと思うが、もっと極論を言えばわたしが自覚できないほどの妄想病ですべて話を無自覚・勝手に作り出している可能性も、読者からは否定しようがない。
そこで私にとっても、こんな体験ばかりしてもやはり絶対的な確信にはならないから、もっと強烈な実証を思っていたものであった。
その候補として一つあったものが「感光」というものであった。
わたしは小さい頃から、矢追日聖法主(1996年没)という人と縁があったのであるが、この方は沢山の執筆を残されている。
その中で、「神というのは大抵の場合は生きていた人のこと」「たましいは電磁波のようなものであって、物質的にも現れているものであり、カメラに感光したりする。そのうち科学が発展すると必ずこの事実に衝突して科学がたましいを感知する」といったことを述べておられ、ご自身が祭祀を行われたときなどに別の人がその場を撮影すると不思議な光の束が写っていて、そのまま撮影したものがいくつも残っている。

いわゆる心霊写真のようなもので、勘違いではないかなどとも疑ってもいたが、このような話を小さい頃から聞いていたので、「いっそのことそうした物理的な実証を目の前でわがこととして」はっきり見せてもらえれば、信じることも出来ようし、他者にも示せえようと思っていたものである。
誕生日の巡礼において
そして、その日がやってくる。
2023年2月18日(27歳)であった。
その2日前、2/16は私の誕生日である。
私は誕生日を大切にしており、誕生日には縁地を巡ったり、宗教的儀礼を行ったりすることに決めている。そこで、27歳の誕生日においてもそのようにしていたのであるが、その一環で大倭と大神神社を巡ることにしたものであった。
※大倭(おおやまと):神武東征以前の日本の中心地、神武天皇に譲った上代日本の神域。奈良県富雄(昔の長髄邑/鳥見邑)辺り。私は生まれる前から縁あって、大倭は故郷のようなところ。日本の大故郷であり、大親元(おおおやもと)の訛りとされる。
※大神神社(おおみわ):三輪山をご神体とする、日本最古の神社。奈良県桜井市。実はここが本来の出雲であり、山際に今もその地名が残っている。この出雲が、神武東征後に遷ったのが、現在の出雲大社。
大倭神宮にて自ずから説明される
2/17深夜大倭に入り、当地の会館にて宿泊。
明けて2/18早朝、大倭神宮にまずは赴いて、そこから大神神社に向かうこととした。そこで大倭神宮にまずは向かう。

すると、幼い頃から知っている男性が掃き掃除をし、お祀りをされているところであった。終わられたところで声をおかけすると、社務所に入れてくださった。(このとき、靴を脱ぎながら、身体が傾いて左半身だけが社務所に引っ張られるということを初めて体験したが、あれが神秘現象かは不明である。そういうことは一般に左半身に出るとか…?)
そこで、例の感光の写真について、突然ご説明されはじめた。
聞けば、それ(数ある感光写真の一つ)を撮影した「ご本人」であった。その撮影のときは、撮影しようとするとカメラに白い束のようなものが写り込んでチラチラしてしまうので、撮影止めましょうかと日聖法主に聞いたそうであるが、それごと撮ってくれと言われ撮ったそうである。
そのような具体的な「その場での状態」は初めて聞いたので、撮ってから気付いたのではなく、撮ろうとして覗き込んでいるときにすでに感光していたということが初めて判明して、信憑性が少し増したものであった。
一通りご説明を聞いたあと、それについてまとめた冊子があったのでこれを突然くださった。その後、大倭神宮で法華経を読誦し、大倭式の祭祀を軽く行って、次は大神神社へと向かった。
道中、その中をゆっくり読ませていただいたところ、考えたこともない説明が書いてあって少し面白かった。読むと「場、時、縁(人)」といったものが揃っているときに、神々が喜んだりして出て来られて感光し、起こる現象であるといった旨であった。
なるほど、「時、人、場、縁」などが揃っていないと起こらないということだと、それが再現性が見出しづらいことの理由に納得がいった。しかもこのことは、すでに八坂神社の出来事で「プレゼント、道標」といった理由を説明されていたので、すんなりと腑に落ちたものであった。
そういうものかと思うと、わたしには起きないのかもしれないな(色んなスピリチャル系のどうとでもとれるような写真ではなく、日聖法主の関わるものでしか、そのような光の束のような写真は見たことがなかったため)と思いもして、深く考えずその冊子をリュックに入れたまま大神神社へ到着。
一社一社お参りして回った。
若宮社にて感光する
一般的には拝殿や狭井神社辺りをお参りすれば帰る人が多いものと思うが、「若宮社」「神御前神社」「志貴御縣坐神社(磯城瑞籬宮伝承地)」などにも足を運ぶ予定であったから、予定していたとおりに巡っていった。
この若宮社には少し縁があった。
以前訪れた際、神御前神社を目的地としていたときに単に通過していったところ、どうしても足取り重く引き戻される感覚があって、仕方なく来た道を戻って丁重にお参りにいったところであった。
ご祭神は「オオタタネコ」ということになっており、大国主の子孫にして、大神神社を勅命でお祀りした重要人物である。引き戻されたので、何か重要なのだろう、オオタタネコさんに通過して申し訳ないと詫びもした場所であった。
(※詳しくはこちら「古来の日本神話」をお読みください。)
そんな若宮社であったから、今回はむしろメインどころとしてお伺いした。
若宮社は人気もないので、ここであれば一切気にすることなく、大倭式の祭祀をして問題ないであろうということで、全てを気にしないで楽しくお祀りした。
祭祀をはじめた瞬間に、強い風が吹き始めそのままずっと吹いており、本殿の幕がずっとばたばたと浮き上がっていた。
そうして、一連のお祀りを終えたときであった。
恵子さんが同伴していたのであるが、彼女は記録のために撮影することを習慣としていたので、私が祭祀を終えると同時に黙ってカメラを本殿に向けたときであった。
あまりに驚きであったため忘れることがないが、iPhoneカメラを構えた瞬間から「稲光」のようなものが絶え間なくギザギザと映り込んでいたのである。それが何かはわからないが、白いギザギザとした光のようなものがずっと本殿の前やその中に光続けていて、彼女と二人で目を丸く見合わせた。
彼女は、そのまま録画開始ボタンを押し、24秒間撮影した。
それがこの動画である。
まさにその朝に、大倭神宮で撮影者本人から説明を受け、或いはその冊子で説明を読んでいたために、そのなんとなくの情景を思い浮かべていたが、目の前でそのままのことが起こっていた。
カメラを覗き込むと、白い光がさえぎっているという説明がよくわかった。また、その朝にわざわざそのような説明をあらためて勝手に受けること自体が、不思議であった。
撮影の瞬間から見ていたので、
これが不具合や、作られたものではないことははっきりしている。
●第一に:この後も他の社ですべて撮影していたが、その後は一度もこのようなことは起こらなかったので、カメラの不具合などではないように思われる。
●第二に:この光をよく見ると、本殿奥の社の中からも手前に伸びてきたりしていることが観察できる。単なる故障ではそのようなことにはなり得ないであろう。
●第三に:撮影の瞬間から見ていたので、それがフェイクで作られたようなものではないことがはっきりしている。かざしていく中でもビカビカと映り込んでいて、目の前に確かに何かがあって、それがカメラに当たっているということは明らかであった。
しばらく放心状態であったように思う。
「時、人、場、縁」が揃って、目の前に展開したことは明らかであった。
これが何を意味しているものであるかは残念ながらわたしには分からない。恐らくこの一つ一つの光は、色んな人物の霊体だったり、或いは龍神の霊体だったりするものと思う。これが喜びの光であればよいが、お怒りの光であったらどうしようかなどとも思う。
しかし自然に考えて、「これまでの自身の歩み」や、「八坂神社での説明」、「感光があれば信じられると思ってきたこと」、「わざわざ大倭神宮でその朝に説明や冊子を受けている」ところ、これは見せてもらったものなのであろうと思う。そして、見せられたからには、これを人々に見せよとおっしゃっているような気がしたものである。
この日は本当に不思議で、これだけではなく、行く先々のお社で、祭祀を始めると大風が吹き始め、祭祀のある箇所に至るとピタッと止み光が差し込むということを何度も繰り返した。
その天は明らかに異様なものがあった。もはや、ここに来たらピタッと止むのであろうと覚悟しながらお祀りしていると、本当にそこでピタッと止むので気持ちの良い一日であった。
このような一日があった。
感光を我が身を以て経験した。
それが「時、人、場、縁」などが揃わなくてはならないのだとすれば、今回の場合は「私の誕生日祝い、私(または加えて恵子氏)、大神の地や大倭、それ以外の様々な縁」といったものが揃った上でのことなのだと考えられた。しかも「プレゼント、道標」としての宣言があって色んな経験をしていた期間であったから、そのような意味もあったのだろうと考える。
そうであれば、残念ながらこれは大変に再現性は低いものと思われる。
もしかすると、実はこれに似たことはそれなりに起こっているが出力が低く、多くの場合は現代の技術では感知できていないだけで、感度が上がれば全ての事象において何かしらの現象は起こっているのかもしれない。
この辺は、もう少しわたしが経験を重ねたり、或いは時代が進歩しないとわからない。
この感光によって、物的証拠を与えられた。
もはや主観的妄想だけであるという可能性は断たれた。日聖法主の頃であれば、動画ではなく写真であったり、またその写真も古いものであるため、故障の可能性なども消しづらいところがあるが、iPhoneであるということや、本殿内部からも伸びていること、動画として複雑に起こっていることからして、故障の可能性は断たれたといってよいと思う。
さすがに、この経験をもって、肉眼に写らぬものへの畏怖すら覚え、こうした神秘的なものに対して降参する思いが生じ、疑心が信心・確信へと転化した。むしろ、現代の方が科学の発展によってその範囲への過信があり、視野が狭くなっているということをはっきり確信した。
そして、日聖法主のいうように、科学が発展することによってそうした領域に衝突し、かえって昔のようにそうした領域のことがはっきり理解される日がそう遠くないうちに来るということを信じられるようになった。
日聖師はそれを1971年の段階で「50年後、100年後」と言っているから、「2021年~2071年」といったことになる。まさに、今回の動画はその初頭に起こったことである。期待する気持ちでいっぱいである。Apple社には是非発展を遂げてもらい、iPhoneの性能をますます向上させてほしい。
疑心の終結とこれからの覚悟
こうして幼児期に「誰よりも疑い抜いて這い上がってこい」と言われ続けてきた、疑心の旅がほとんど終結した。
また八坂神社で、これから不思議なことを実証として起こしていくから受け取って再び信じよと言われたことが、これによって終結した心地であった。
そして、幼児期から経験してきた色んなことや、その数年で経験していたこと、八坂神社以来経験していたことが概ね本当であったということが確信され、涙が出るような思い、ほっと胸をなでおろす思いであった。
その一方で、これが真実であるからには、いよいよ自身の感じていることは一定真実に沿っているということであるならば、「宗教などを正しく直さなくてはならない」、今は反抗期であるがこれを終えていくよう「どれだけ厳しい道であっても自分の使命を果たしていかなくてはならない」と覚悟する思いであった。
これは同時に、「(自身から見てあまりにおかしく変更されていると感じるところの)世に蔓延してしまっているあらゆる現行の宗教の在り方や、妄信的なものなどが真実ではない」ということを意味しており、そのようなものが人々に浸透している間は子供が事実をはっきり知らない段階であるようなものだということでもある。
これがいつの日か、人々が成長していってわかるようになるということのようであるから、私は安心もするし、やはり心配してみたりもする。心配しているうちは、まだ疑心があるということだと思うが、この今の時代を見渡して安心する方が難しい。絶賛反抗期中だと思えば、全くあらぬ方向にそれが真実と思って突っ走っている若い男子のように見つめておけばよいのだろう。
2章まとめ
以上、「2章(信じられるようになるために)特に大きかった出来事」であった。
無論、信じることを強制するようなものではない。
また今述べてきたことの全てが絶対的に正しいとも思っていない。
理由がはっきりとはわからないが(使命なのか、成長過程なのか)、私はこのような経験をしながら、そうした霊感のようなものがはっきりとあるわけではないので、何もかもを理解できているわけではない。
ただ我が身に起こったこれらの出来事は間違いないものであって、これらの出来事自体は作られたものではない。あとは解釈において、どうであるかが不明なだけである。
今は「特に大きかった」「転機となった」ような出来事ばかりを列挙したが、これ以外にもまだまだある。それには、表に言える話と言えない話がある。
(※表に言えない話ほど、面白い要素が強かったりするものであるから、これは残念である。ここに記すようなことは表に言える範囲の一部分であって、他にも色んなことがあるということを想像していただくしかない。)
この色んな経験を、それらが恐らく偶然ではなく真実なのであろうと保証してくれたのが、
・「八坂神社の出来事での理由説明・宣言」と、「大神神社での物的証拠」である。
・後は、この不思議話シリーズで列挙していくことや、ここに取り上げられないようなことがこれだけ沢山あって、単なる偶然であるならばあまりに頻度が高いであろうということも、わたしの中で真実性を支えている。
そのことはひいては、
わたしの経験の真実性のみならず、山崎弁栄師や日聖法主の不思議な沢山の話や、過去の高僧の不思議話、いろんな神秘事象の真実性をも、確信させてくれるものである。
わたしは、神秘が真実であることに安心感を覚える。
予告:3章.不思議な話を列挙していく
そこで、3章では、私の経験してきた不思議話を話せる範囲で列挙していく。加えて、弁栄師や日聖師の近現代にあった不思議話をいくらか掲載しようと思う。
【ご喜捨のお願い】
社会の精神的な向上を願って、宗教者の道を歩んでいます。
本物の宗教を徹底して示すべく、厳しくともご喜捨のみで歩んでいます。
もしご縁ありましたら、以下よりご喜捨いただけましたら幸いです。
みなさまに功徳が廻り、社会の精神基盤に寄与しますように。
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