イライラした自分まで責めてしまう人へ
休みの日に、友人とランチに行く予定がありました。
たぶんコロナが流行る前のことです。
高校生の時からの、長い付き合いです。
だけど、その時は、待ち合わせ場所を決めるところで話がうまく噛み合わなくなりました。
場所の決め方や移動の感覚、相手の望むものと私が考えていることが、少しずつずれていく感じがありました。
結局、そのランチはなかったことに。
スマホを閉じたあとも、モヤモヤが残っていました。
私の言い方が悪かったのかな。もっと軽く流せばよかったのかな。
誰かに話すほどのことでもない、行き場だけがない感情。
そもそも集合場所だけでこんなに揉めることある?笑
そんなことを思っている自分にも、ちょっと嫌になっていました。
イライラした自分まで責めていた
昔の私は、誰かにイライラしたあと、感情的になる自分のことが嫌になることが多かったです。
大人なんだから冷静でいたい。相手にも事情があるのかもしれない。こんなことで腹を立てる自分は、まだ未熟なのかもしれない。
相手を無理やり許そうとしたり、気にしないようにしたり。
「私が大人になればいい」と思う方が早いから。
その時はそれでいいかもしれない。
でも、しばらく経つと、別の出来事でも同じように傷つきました。
またこれだ、「もう気にしない」と思ったつもりなのに、あの時に感じた胸の詰まりを思い出す。
怒っている自分を消そうとしても、怒りの奥にあったものは消えずに残っていたようです。
怒りの奥にあったもの
思えば、怒りの理由をずっと相手の中に探していました。
どうしてそんな言い方をするんだろう。
こちらの都合はどうでもいいの?
嫌だったことを嫌だと感じること、相手の態度を振り返ることは自然なことだと思っています。
でも、私はそればっかりして、自分の中で何が反応していたのかが見えにくくなっていました。
ある時、同じようなことで何度もモヤモヤするうちに、少し問いを変えてみました。
私は、何に怒っているんだろう。
いや、私は、何が悲しかったんだろう。
相手に向けていた矢印を自分に向ける。
すると、少し景色が変わりました。
私は、ちゃんと考えてもらいたかった。雑に扱われたくなかった。
後回しにしてもいい相手みたいに扱われた気がして、それが悲しかった。
怒りだと思っていたものの奥に、「大事にされたかった」という気持ちがありました。
そして、「大事にされたかった」と思っているのに、自分はその怒りや悲しみに罪悪感を感じて、無かったことにしていた。
「誰か」に大事にされたかったはずなのに、その気持ちにフタをして、何事もなかったかのように早く片づけようとしていたのは、「自分」だった。
怒りは入口だった
今でもイライラすることはあります。人間ですからね。笑
でも、「こんなことで怒る自分はダメだ」と決めつけたり、ずっと相手のことを考えてイライラしたりすることはほとんどなくなりました。
穏やかな人って、たぶん、イライラしない人ではないと思います。
すぐに相手を責めなくてもいい。すぐに自分を責めなくてもいい。
その奥にあるものを冷静に見にいける人なのかもしれません。
イライラしていたはずなのに、あとから見ると、本当は悲しい気持ちがあった。
そんな感覚に、心当たりがある人もいるかもしれません。
まずは一度お茶でも飲んで、少し落ち着いてから見てみる。
そして、その奥に残っているものを眺めてみる。
すぐに言葉にできなくても、そういう反応を見てみるだけで、ちょっとした気づきがあるかもしれません。
▼自分の感情に気づくには?
▼他人のイライラをどう考えるかという話
