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対立する意見を考える。“推し活=消費”派の考えとは


推し活 消費

Googleでも、X(旧Twitter)でもかまいません。

一度、検索してみてください。


検索結果はどうでしたか?


“推し活は消費行動である”という記事や投稿がたくさん並んでいたのではないでしょうか。



でも、そこでちょっと立ち止まってみたくなりました。

本当に“推し活=消費”と言い切ってしまっていいのでしょうか?


この記事では、“推し活=消費”と考える人たちの意見や

世間で一般的に広まっている価値観を整理しながら、

なぜそう捉えられるのか。

その背景を見つめていきたいと思います。



ただ、その前に。

「推し」や「推し活」という言葉の意味をいま一度確認しておきましょう。


小学館が発行する『デジタル大辞泉』では、次のように定義されています。


出典:『コトバンク』サイト
出典:『コトバンク』サイト


抜き出してみると、

推し=他人にすすめたいほど気に入っている人や物

推し活=自分の好きな対象を応援する活動全般

と書かれています。



どこにも、“消費”という意味はありません。


でも。

なぜか世の中では、“推し活=消費”という印象が定着しているように見えます。

このギャップは、いったいどこから生まれたのでしょうか?


ここからは、“なぜ推し活=消費と考える人がいるのか?”という視点から、
その理由を整理していきます。



📚 “推し活=消費”なのか問題を考えるシリーズ第1弾はこちら!





01.なぜ“推し活=消費”と考えるのか

「推し活」という言葉の辞書的な意味に“消費”というニュアンスは含まれていません。

それでも、“推し活=消費”と考える人が多いのはなぜなのでしょうか。


理由は大きく3つあると考えています。

それぞれの側面から順に掘り下げてみたいと思います。


01-01.推し活にはお金がかかるから

K-POPに限らず、推し活にはたいていお金がかかります。


CDの複数買い、ライブやイベントへの遠征、グッズの収集、コラボ商品の購入──

“応援”という行為のなかには、自然と“お金を使う場面”が含まれています

この構造は、経済学や社会学で言われるレジャー消費とよく似ています。


レジャー消費とは、「余暇の時間に楽しみや満足を得るために行う消費行動」のこと。

経済学と社会学の視点から、それぞれの特徴を簡単に整理してみます。


【経済学】
人は“効用(満足)”を最大化するために選択・消費する存在とされています。
推し活も、ライブに行く・グッズを買う・動画を観るなど、感動や楽しさを得るための消費行動と見なされます。

【社会学】
レジャー消費は、単なる娯楽ではなく、自己表現・所属意識・文化的意味をもつ行動とされています。
誰を推すか、どんな応援スタイルをとるかは、“自分らしさ”を示すひとつの形でもあります。


どちらの視点にも共通しているのは、“何かに価値を感じ、それに金銭を投じる行為=消費”という構図です。


こうした視点から見れば、“推し活=消費行動”という見方にも一定の理解が集まるのも無理のないことだと感じます。


01-02.アイドルは“商品”として作られているから

もうひとつのポイントは、アイドルという存在そのものが“商品”としてパッケージ化されているという点です。


ここでは、あえてK-POPを例に出して考えてみます。

K-POP界では、ビジュアル、個々のキャラクター、グループとしてのポジション、ストーリー性に至るまで、デビュー前から緻密に設計されているのが一般的です。

事務所によって“魅力的に見えるように作り込まれた存在”として、アイドルたちは世に出てきます。


SNSでは、リアルと演出のバランスを取りながら日々の活動が発信され、そのすべてが“ファンの関心を惹きつけるストーリー”として編集されていく構造。


このように考えると、「推し活でアイドルにハマること自体が、企業側の設計した仕組みに沿った行動である」とも言えそうです。


つまり、“推し”は偶然の産物ではなく、市場に向けて作られた“売れる存在”だという前提があるということ。

この視点に立つと、推し活は“商品を享受する行為”であり、結果的に“消費”と見なされるのも不思議ではありません。


01-03.応援と購入が強く結びついているから

応援と購入が強く結びついているというのも、“推し活=消費”とされる理由のひとつです。


この構造はすでに日本のアイドル文化で明確に見られていました。

たとえば、AKB48の“選抜総選挙”。

CDを購入することで投票権が得られ、“たくさん買うほど、推しを上位にできる”という構造がファンの間に浸透していました。

応援の気持ちは、お金をかけるという行動によって“貢献”へと変わっていきました。



この“応援=購入”の構図は、現代のK-POPにおいても色濃く表れています。


  • 初動の売上に貢献するためにCDを複数枚購入する

  • 推しのトレカやサイン会抽選券を狙って、同じCDを何枚も購入する

  • イベントに当選しやすくするために、対象商品を指定プラットフォームでまとめ買いする


こうした行動は、いずれも“お金を払うことで推しを支える”という文化に基づいています。

愛情や応援の気持ちが、消費という形で“見える化”されているとも言えるでしょう。


このように「ファンとして応援する=買って応援する」という考え方が定着している状況だからこそ、“推し活=消費”という見方が広まりやすい構造になっているのかもしれません。



02.“人物を消費する”ことへの問題意識

これまで見てきたように、“推し活=消費”と言われる背景には、経済的・構造的な理由があります。


でも、それだけで“推し活=消費”と言い切ることに、どこかモヤモヤする人も多いのではないでしょうか?

なぜなら、「推しているのは“商品”じゃなくて、“人”だ」と思っているからです。


応援しているのは、ステージで努力を重ねる“ひとりの存在”。

それなのに、“人物を消費している”と言われてしまうと、純粋な応援までもが軽く扱われてしまったような感覚になる。

そんなふうに感じてしまう人も、きっといるはずです。


ここからは、“推し活=人物消費”とされてしまうことになぜ違和感が生まれるのか。

その問題意識について考えていきます。


▼“推し”という言葉について考えた記事はこちら


02-01.K-POPアイドルは“個人”よりも“パッケージ”として見られがち

K-POPアイドルは、ひとりの人間であると同時に“応援される存在”として見られることを前提とした環境で活動しています。


ファンの目に映るK-POPアイドルたちは、努力や才能だけでなく、ストーリー性やグループ内での役割、ファンに認識されているキャラ像などさまざまな要素が組み合わさった存在として捉えられています。

そうした複数の要素が合わさって“整えられた姿”が、ファンにとっての“推し”として認識されています。


言い換えれば、“個人としての彼ら”ではなく“応援されるために作られたひとつの完成品=パッケージ”として見られている場面が多いということです。


もちろんK-POPアイドル本人は、ただの消費財になりたいわけではありません。


でも、業界の構造が“応援される存在を作る”ことを前提として動いている限り、結果的に、“人そのものを消費している”ように見られてしまうこともあります。


02-02.ファンの行動が“人物消費”を助長してしまうこともある

最近とくに問題視されているのが、ファンの言動や期待によって、本人の“人間らしさ”が奪われてしまうケースです。

たとえば、こんな言動です。

  • SNSでの常時監視

  • 理想に合わない言動への過剰な批判

  • 「恋愛するなんて裏切り」「態度が変わった」といった言葉

こうした言動は、知らず知らずのうちに“アイドルをコントロールしようとする構造”に加担している──そんな見方もあります。


本来、“推す”とは、その人を受け入れ支える行為のはずです。

でもいつのまにか「推す対象はこうあるべき」「こうでなければならない」と理想像の押し付けになってしまうこともあります。

この状態では、アイドル本人が“自分らしくいられる余地”を失ってしまいます。

それでは、“ひとりの人”ではなく、温度のない“商品”として扱う接し方に近づいてしまう。


こんなふうに、アイドルを“パッケージ”として見てしまう業界構造と、ファンが“理想像”を守ろうとする行動が重なることで、「人物を消費している」という批判や違和感が生まれてしまう。


もちろん、すべてのファンがそうではありません。

でも、構造としてそう見えてしまう要素があることは否定できません。


03.“消費”という言葉が持つ価値観の違い

“推し活=消費”という意見が出るとき、それを肯定的に使う人と、ネガティブに捉える人がいます。


たとえば、「消費」という言葉には複数の意味があります。


経済的な意味では「価値あるものにお金を払い、対価として何かを得ること」である一方で、感情的・倫理的には、「一時的に楽しんで、飽きたら捨てる」「自分の都合で相手を使い潰す」といったネガティブなイメージを抱く人も少なくありません。

つまり、「消費」という言葉は中立にも、冷酷にもなりうる。


“推し活=消費”という言葉に違和感を持つ人は、たいてい後者のイメージを抱いているように感じます。


  • 「あの人をただの娯楽として見てるわけじゃない」

  • 「お金だけの関係だなんて思ってない」

  • 「推しは“商品”じゃなくて、“人”として見てる」


こうした感情が、“消費”というラベルに反発を覚える理由になっているのではないでしょうか。


反対に、“消費”を冷静な分析用語として使う人もいます。

  • 「自分がどう思っていても、構造としては消費行動に含まれている」

  • 「市場のなかで動いている以上、“推す”という行為は経済の一部でもある」

  • 「自分の応援が売上に貢献するのも、ちゃんと理解してる」


この視点には、仕組みへの自覚とそれを受け入れる姿勢があります。

むしろ、“推す”ことの現実的な側面を認めたうえで愛しているとも言えそうです。


このように “消費”という言葉に対する感じ方は人それぞれ。

だからこそ、何をもって“消費”とするのかという議論に善悪や優劣を持ち込む必要はありません。


そして、他の人の推し方や言葉選びを、一面的にジャッジしないことも大切です。


さらには、“推し活”をしない層が「“推し活”してる人なんてアイドルを(商品として)消費してるだけでしょ」といったネガティブな批判をするのは、言語道断。

もしその言葉を聞いても、聞かないフリをして大丈夫です。


重要なことは、「“推す”という行為を自分はどう捉えているか?」を自分なりに考えていくこと。

それさえ大事にしていれば、誰かにどう見られるかを気にしすぎなくても大丈夫です。


まとめ|推し活が“消費”とされる背景には、構造的な理由がある

“推し活=消費”という見方には、単なる誤解や悪意だけでなく、社会構造や産業の仕組みによってそう捉えられてしまう背景があります。


例えばこんな理由です。

  • 推し活には金銭が発生する

  • アイドルは商品として作られている

  • 応援の手段が購入行動と結びついている

  • ファンの期待や振る舞いが、人物を理想像として“消費”する構造を強化してしまうこともある


こうした状況を俯瞰して見たとき、“推し活=消費”という視点には、一定の説得力があると言えます。


でもそれは「推す気持ちが薄っぺらい」という意味では決してありません。


多くのファンは、お金や行動の多寡に関係なく “その人自身を応援したい”という思いを抱いている。

だから大切なのは、「推し活は消費行動だ」と決めつけるのではなく、そう見えてしまう構造があることを受け止めたうえで、自分はどんな気持ちで推しているのかを見つめ直すこと。


このあと続く記事では、“推し活=消費じゃない”という立場にも目を向けて、さらに視野を広げていくつもりです。


一面的な正解ではなく多面的な理解を通して、私自身の「推し活」の輪郭をはっきりさせていこうと思います。



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