消えたマクドナルドと、用賀駅という記憶装置【ver2】時間は街に残らず、人に沈殿する【50代】
これは、前に書いた同じ街の話の続きを書くつもりでいる。
場所は同じ、用賀。
けれど、書いている私の立ち位置は、確実に変わった。
用賀駅に降り立つたび、私は無意識に呼吸を一段落とす。
理由はわからない。
改札の音でも、ホームの幅でもない。
身体のどこかが、ここを「原点」と認識しているだけだ。
かつてこの街には、246沿いに二階建てバスのあるマクドナルドがあった。
もう存在しない。
跡地には、何食わぬ顔でマンションが立っている。
それでも私は、その交差点を通るたび、
赤いバスの座席の感触を、まだ思い出せてしまう。
前に書いた頃の私は、まだ「失われた風景」を主語にしていた。
消えた店。
変わった街。
戻らない時間。
けれど、今は少し違う。
街は変わる。
それは当然だ。
問題は、変わったあと、誰が何を背負って生きているかだ。
用賀という街は、私の記憶を保存してくれているのではない。
私が、この街に自分の時間を置き去りにしてきただけだ。
小学生の頃、背の順は前から三番目。
ランドセルは重く、寄り道は日常だった。
畑があり、空き地があり、材木屋があり、
遊びと危険と自由が、曖昧に混ざり合っていた。
石の彫刻を抱えて家まで運んだ日。
腕が痺れ、何度も地面に置きそうになった。
今なら、あんな無茶はしない。
だが、あの重さだけは、今も身体が覚えている。
中学になると、私は用賀駅前の景色を、
少しだけ距離を取って見るようになった。
塾をサボり、マクドナルドに逃げ込み、
二階建てバスを見上げながら時間を潰す。
あれは反抗ではなかった。
生存だった。
誰にも説明できない疲れを、
誰にも気づかれない場所で、やり過ごすための時間。
今思えば、あの頃から私は
「立ち止まる練習」をしていたのかもしれない。
ver1では書けなかったことがある。
それは、用賀が「帰る場所」から「通過点」に変わった感覚だ。
大人になり、仕事をし、
FAX修理で街を走り回り、
家庭を持ち、介護が日常になった今。

私は用賀に、昔のようには滞在しない。
けれど、確実に通っている。
病院へ行く道。
親を連れて通る道。
用事を済ませ、また戻っていく道。
この街はもう、私を迎え入れる場所ではない。
それでも、拒絶もしない。
ただ、黙って通過させる。
それが、今の用賀だ。
駅前は整い、商業施設は増え、
効率のいい街になった。
だが、子どもが寄り道する場所は消えた。
石を抱えて歩く道も、
理由なく時間を潰す場所も、
ほとんど残っていない。
その代わり、
大人が黙って立ち止まれる空気が、
かろうじて残っている。
私はこの街で、
何者にもなれなかった。
成功も、華やかさも、ここにはない。
それでも、
私はこの街で、自分を壊さずに済んだ。
それだけで、十分だったのだと思う。
ver2を書いて気づいた。
街の記憶は、懐かしさのためにあるのではない。
今の自分が、どこまで来たかを確認するためにある。
用賀駅は、私に問いかけてくる。
戻りたいか、と。
私は、首を振る。
もう戻らない。
だが、忘れてもいない。
消えたマクドナルドは、
今も私の中で営業を続けている。
客は一人。
過去の私と、今の私だけだ。
街は更新される。
人は積層される。
その両方を抱えたまま、
私は今日も用賀を通過する。
ver3を書く頃、
私はどんな立ち位置にいるのだろうか。
それを確かめるためにも、
この街を、もう少しだけ歩いてみるつもりだ。

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