🌉 「二子玉川の記憶」 昭和から令和へ、街と私が歩んだ時間
◆小2で用賀に住み始め、二子玉川が生活の舞台に
小学校2年の頃、私は用賀に引っ越した。
そこから、二子玉川はまさに庭のような存在になっていった。
電車で1駅。自転車でも行ける距離。
ただし帰りは坂道がきつく、汗だくになった記憶がいまだ鮮明に残っている。
◆まずは高島屋 「食」の記憶が詰まった場所
二子玉川といえば、やはり高島屋だ。
本館と南館に分かれていて、親に連れられてよく食事に行った。
南館6階(記憶が曖昧だが…)のレストラン街
本館の大食堂、特別食堂
本館地下の食堂街
中でも忘れられないのは、北浜という日本料理屋。
家族でよく利用していた記憶があり、子どもながらに「和食=特別」という感覚を刷り込まれた。
そして1階にあったつばめグリル。
ハンブルグステーキにフォークを入れた瞬間にあふれる肉汁は、子ども心に衝撃的で「外食ってすごい!」と感動した。
祖父母も戸越公園に住んでいたので、みんなで集まっては二子玉で外食。
今振り返ると、うちの家族は結構な「外食好き一家」だったのだと思う。
祖父と行くときは特別食堂にも行った。
今にして思えば高かったと思うが。
高島屋本館の屋上もよく遊びに行ったものだ。
当時の百貨店の屋上にはどこでもあったのがちょっとした屋上遊園地。
乗り物やゲーム、ペットショップもあった。
あの頃の百貨店はまさに、夢の詰まった場所だったのだ。
◆東急ハンズ 少年心をくすぐった宝箱
駅の高架下には東急ハンズがあった。
細長い構造でちょっと変わった作り。
当時としては珍しい商品が並び、工具から雑貨まで何でも揃う。
子どもながらに「大人の秘密基地みたいだ」とワクワクしながら歩いた。
やがて駅前ロータリー横に移り、今はもう姿を消してしまった。
けれど、あの「宝探し感覚」は強烈に残っている。
◆二子玉川園 老朽化しても胸躍る遊園地
そして忘れてはならないのが二子玉川園遊園地だ。
駅名にも「二子玉川園」とあった時代。
私が通っていた頃にはすでに老朽化が進んでいて、
ジェットコースターは轟音を立て、少し命を削る気分だった。
何度も行けたわけではない。
けれど、入口にあった映画館と合わせて、あの古びた遊園地は「非日常の入り口」だった。
やがて二子玉川園は姿を消し、跡地にはナムコ・ワンダーエッグが誕生。
その後、イヌタマ・ネコタマを経て、今や巨大な二子玉川ライズに変貌した。
今の洗練された街並みからは、あの頃の遊園地の姿はもう想像もつかない。
けれど私にとって、あそこは「時代の転換」をまざまざと見せてくれた場所だ。
◆街も人も、時代と共に変わる
昭和の二子玉川は、少し古びた匂いのする街だった。
令和の二子玉川は、洗練された都市の顔を持っている。
街が変われば、人の記憶も変わる。
けれど、そこで過ごした「時間」だけは確かに残る。
用賀から二子玉川へ、子ども時代の自転車の記憶。
高島屋の外食、ハンズの宝探し、二子玉川園の轟音。
そのすべてが、今の私の記憶をかたちづくっている。
そうそう、運転免許も二子玉川の今も残るコヤマドライビングスクールに通っていた。
高3から通いはじめてとった。
当時は免許撮る人口が多くて常にキャンセル待ちだった記憶。
よく待っている間に多摩川の土手で寝転んで待っていたな。
もう遠い日の記憶だ。
◆終わりに 街の変化は、私の人生の変化でもある
今の二子玉川ライズを歩くと、あまりの変貌ぶりに「ここがあの二子玉?」と目を疑う。
高島屋も当時の面影を残す部分もあるがかなり変貌してきている。
でも、だからこそ思う。
街の変化は、私の人生の変化そのものでもある。
幼い頃に憧れた景色は消えても、記憶の中ではずっと輝き続けるのだ。
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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
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