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ロスジェネ脱線学 #29 駐輪場の番号が思い出せない夜

停めたはずなのに、自分だけが取り残される

私は1974年生まれだ。
ロスジェネ氷河期第一世代。
人生のだいたいは、探しものをしながら進んできた気がする。

仕事。
居場所。
報われ方。
そして今夜は、自転車である。

スーパーを出た。
エコバッグは少し重い。
惣菜と豆腐と、安かったバナナ。
派手さはないが、これで今夜はどうにかなる。
そういう買い物を終えて、私は駐輪場へ向かった。

停めたはずなのだ。
たしかに停めた。
番号も見た気がする。
見た気がするのに、着いてみると、その「見た気」がものすごく頼りない。

14番だったか。
18番だったか。
いや、21番かもしれない。

機械式の駐輪場は、妙に無機質だ。
番号。
ランプ。
精算機。
すべてが正しい顔をして立っている。
間違っているのは、こちらだけみたいな気分になる。

私は小銭を手にしながら、ひとつずつ見て回る。
違う。
これでもない。
あれ、自分の自転車って、こんな色だったか。
疲れてくると、記憶だけでなく、自信まで薄くなる。

若い頃は、こんなことは少なかった。
もっと頭も身体も、雑に使えていた。
駅前に自転車を置いて、何も考えず戻れた。
場所も、流れも、自分の中に勝手に入っていた。

今は違う。
一つひとつ確認しないと、どこかでほどける。
財布。
スマホ。
ポイント。
レシート。
ビニール袋。
そして今夜は、駐輪場の番号。

50代になるというのは、大きく何かが壊れることではない。
小さなことが、少しずつ一発で決まらなくなることだ。
それが地味に効く。
誰にもわからないところで、静かに効く。

それでも、私はこの感じを少し知っている。
ロスジェネの人生そのものだからだ。

停めた場所がわからない。
自分の番号が曖昧になる。
社会に出た頃から、ずっとそんな感じだった。
ここだと思った場所に、席はなかった。
頑張れば届くと言われた先に、急にはしごが外れることもあった。
なのに、探すのをやめるわけにはいかなかった。

だから今夜も、私は番号を追う。
17。違う。
18。違う。
19。あった。

あった瞬間、胸の奥で小さく何かがほどけた。
たったそれだけのことなのに、少し嬉しい。
誰にも褒められない。
ドラマにもならない。
だが、こういう小さな回収で、人は案外もっている。

精算を済ませ、自転車を引き出す。
カゴの中にエコバッグを入れる。
夜風が少し冷たい。
店の明かりはもう背中側だ。

思えば、人生もずっとこんなふうだった。
なくしたと思っていたものが、少し先の番号のところで見つかる。
すぐには出てこない。
手間もかかる。
たまに情けなくもなる。
それでも、見つかったときには、ちゃんと自分のものとして戻ってくる。

ロスジェネの脱線学は、たぶんその繰り返しだ。
まっすぐ行けない。
一度で決まらない。
でも、探し直して、確かめ直して、最後には持って帰る。

今夜の私は、駐輪場で少しだけ自分を見失い、少しだけ取り戻した。
それで十分だと思った。
完璧ではないが、ちゃんと帰れる。
50代の夜としては、悪くない。

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