過去の自分の恥を見過ごせなかったので語ってみる
はいこちら。
超絶調子ぶっこいたnoteだ。
事実、いい気になって書いていたのだろう。
自分に酔って気持ちよくなっているのが読み返すとわかるので、できれば直視したくなかった現実だ……
これを書いたのは7月の末。
いちばん焦っていた時期だ。
AIも使わなきゃ。
有益なこと言わなきゃ。
好きになってもらわなきゃ。
おカネ稼がなきゃ。
数字伸ばさなきゃ。
あのころの焦りと即物的な欲に満ちた怒涛の感情を今思い出すと、遠い昔に押し寄せた大波のような気がする。
押しては返す大波のリズムのひとつで、頭から波をかぶってびしょびしょになったけど、やがてぜんぶ乾いて「そんなこともあったな」くらい遠い記憶になっていく。
そんな感じ。
ま、内陸育ちだけど。
それはさておいて。
耳馴染みのいい言葉をリズムで並べた。
深いことなんかひとつも言っていない。
ウケそうなことを、ウケそうなふうにまくし立てた。
受け取るひとの負担とか、発信する側の誠実さとか、そういうのぜんぶ無視していることには、書いている途中、なんとなく気づいていたと思う。
だから違和感が強くて、なんなら「イケてるnoter」の霊をオーバーソウルして書いているようだった。
事実、売れっ子noterの作風をAIで再現しようとかしてたな。
今考えるとわかる。
絶対そういうことじゃなかった。
ひとつもわたしの言葉なんてなかった。
感情とか、信念とか、そういうわたしの内側から湧き出るものじゃなくてさ。
上っ面撫でただけ。
あああああああああああああ恥ずかしいいいいいいいいいいいいいい
なにが恥ずかしいって、わたしが書いた記事のなかでは、そこそこ数字をとれちゃっていることかもしれない。
半端に狙ってんじゃねえよ。
楽しく、とか。
自分の心のまま、とか。
自分を好きになる、とか。
そういう純粋なやつの真逆をいってた。
自分の書きたいことじゃなくて、売れそうなことを書き続けると、心は勝手に擦り減って疲弊する。
知らず知らず疲れた心は、ある日発信をぜんぶ投げ出したくなってしまうくらいクタクタだ。
意図的にヒットやバズを狙って書けるほど器用じゃない。
数字やリアクションを期待して書くことって、誠実じゃない。
と、今のわたしは思っている。
そもそも、noteを書き始めたきっかけが「自分を好きになりたい」だった。
じゃあ自分を抱きしめられるようなことを書かないといけない。
ウケを狙うにしても、もっと誠実なやり方があったはずだ。
テンポとか、キャッチーなテーマとか、表面的になぞって、それってわたしの心、必要?
そこにわたしはいるのか?
モノを売るとか。
スキを稼ぐとか。
フォロワーを増やすとか。
そういうことじゃないんだよね。
わたしがやりたいことって、自分の心を無視したら絶対ダメだと思う。
これから50年生きていくために、わたしがわたしをゆるせる生き方をできるような土台づくりをしたいのだ。
目先の人気とか小金とか、じゃないんだよ。
負け惜しみでも、なんでもなく。
有料noteを書かなくてもわたしは生きていけるし。
フォロワーが増えなくたって、書くことが楽しいだけで満足だ。
これを素人の自己満足と言われるなら、そうなのだと思う。
玄人にはきっとなれない。
素人臭くて、おカネの匂いがしなくて、馬鹿みたいに自分に正直に書くしか能がないのがわたしだ。
商業が~とか。
人気が~とか。
もともと底辺陰キャだ、そんなもん知ったこっちゃない。
でも、わたし、幸せだよ。
イキがった記事書けなくなっても。
おカネ稼ぎのメインストリームに乗れなくても。
誰かに見下されたとしても。
恥を垂れ流して生きるのが人生だ。
そのくらい、知ってる。
約40年の人生で、恥ずかしくなかった記憶なんかほとんどない。
誇れるほどのことなんて、うちの夫と子どもたちの存在だけでお釣りが来る。
わたし個人に、突出した人間性もスキルも人脈もなにもない。
15年前のことを未だに思い出して寝入り端、飛び起きて赤面するのが偽らないわたしの素顔だ。
大したことないんだよ。
母親ともうまくいかないし、子どもを叱りつけて自己嫌悪して、夫が脱ぎ散らかした靴下にプンスコしているくらいの人間だ。
でも、そのまんまでいたい。
数字より、わたしのまま。
だから恥は積極的にさらしていく。
わたしの恥が誰かの笑いや共感に変わってくれたら、それ以上素敵なことってないと思う。
感動を与えるなんて、上からすぎてわたしには無理だなぁ。
あしたもふつーにいきていこうね。
最近のセルフスマッシュヒットは「心のパンツ」
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