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【看護師の処方箋】|「休んでいいよ」って時々苦しい

なぜ「休んでいいよ」が苦しいのか


「休んでいいよ」
って言われるたび、胸が締め付けられるのは私だけでしょうか。

本当は気遣いの言葉なのに、
「もうあなたは必要ない」と突き放されたような気がして、もっと頑張らなきゃ、
と焦ってしまう。

なぜ、こんなにも苦しくなるんだろう。

幼少期の私に私にとって「頑張ること」は存在証明だった

幼い頃から、頑張ると母が喜んでくれた。
だから、期待に応えたいと思った。
頑張れない自分は価値がないと、ずっと信じ込んできた。

「休む=怠ける」
「落ち込む=迷惑をかける」

そんな思考が消えず、今もどこかで私を縛っている。

「休んだら居場所を失う」と思ってしまう。

全か無か思考の罠

私の中の「全か無か思考」が、自分を追い詰めてしまう。

上司の「休んでいいよ。」って、
その一言にすら、
心の中で勝手にこう翻訳してしまう。

「ここで休んだら、このチームでの居場所を失う」
「見捨てられる」

もちろん現実にはそんなことは言われていない。
けれど、私の中の“全か無か思考”が、いつも自分を追い詰めてしまう。

気づきと新しい定義

「休んでいいよ」が「必要ない」に聞こえるのは、私にとって
“頑張ることが生きている証” だったから。

幼い頃、頑張れば親が喜んでくれる。
逆に休むと心配させてしまう。

その経験が心に強く残っていて、大人になった今も、
「休む=価値がない」と無意識に結びついてしまっていた。

でも体調を崩したとき、ふと思ったんだよね。

確かに私から離れていった人もいた。
けれど、残ってくれた人のほうが圧倒的に多かった。

「大丈夫?」と声をかけてくれる人もたくさんいた。

そのとき初めて、

「休むことは怠けじゃなく、次へ進むための回復」

だと心から思えた。

休むことは“さぼり”じゃない。
むしろ次の自分のための「回復のタスク」

そして、それは未来の生産性を高めるための「時間の投資」だと。

そしてこの考え方は、私の性格の問題ではなく、
頑張りすぎたからこそ身についてしまった“思考の癖”だったんだって。

自分への問いかけと行動


「本当に相手は“必要ない”と言っただろうか?」
「少し休んだだけで、今までの貢献はすべて消えるだろうか?」

答えはきっと「NO」

この問いを繰り返すことで、罪悪感を少しずつ手放せた。

そして「休むこと」も自分を大切にする一歩なんだと思えた。

周りにいる大切な人へのメッセージ

もし、あなたのそばに“頑張りすぎている人”がいるなら、こんな声かけをしてあげてください。


「ちょっと休まないと、いつものあなたでいられないよ。」

「あなたに倒れられたら困るんだから、今は私が頑張るよ。」

「この前助けてくれたから、今度はお返しさせて。」

「休むのも仕事だよ」


たった一言でも、そう伝えてもらえるだけで、きっと罪悪感を少しだけ手放せる。
そして、安心して休めるのではないかと思います。

最後まで読んでいただいて本当にありがとう。
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