【第2章】NICUでの日々⑤障害は変えられなくても周波数は変えられる
しばらく更新できてませんでしたが、連載を再開しますね。
▼前回のお話(2章第4話)はこち
NICU🟰辛い、という図式を変える
次女がNICUに入院して以来、何をしていても辛くて、気分が悪い。
脳性麻痺の宣告を受け、重症心身障害児になってしまったことをなかなか受け入れられない日々。
そんな状況が永遠に続くのかと思っていたある日、
私は、こんなことを思いついた。
NICUに面会に行くときは、
どうしても「NICU=辛い」という感情がくっついてきて、心が重くなってしまう。
「それならば、行くのが辛くならないように、
NICUに行くたびに、何か楽しいこととセットにしてみたらどうだろう…?」
我ながらいい案が浮かんだと思った。
というのも、
上の子たちを毎週末、面会に連れて行く口実として
何か「お楽しみ」をセットにした方が
いいんじゃないかという気持ちもあったからだ。
週末は、NICUの帰りに必ず
「小さなお出かけ」をセットにした。
金沢周辺の観光地や、富山まで足を伸ばしたり、
外食や公園、買い物や映画など、
NICUについてきてもらったお礼に
上の子たちが喜ぶことをした。
そして、平日に私一人で面会に行くときは、
車の中で好きなアーティストのDVDをかけたり、
帰りに美味しいパン屋さんや雑貨屋さんに寄ったり、
何かしらの「ささやかなお楽しみ」をセットにした。
そうやって、自分のエネルギーが下がらないよう、無意識に波動を整えていたのだと思う。
「絶望」「不安」「罪悪感」などの
重たい波動のままで
次女に会いに行くよりも、
少しでもいいエネルギーを
次女に届けたかったのだと思う。

障害は変えられなくても、周波数は変えられる
次女の状態が変わらないなら、
このまま嘆き続けていても何にもならない。
それなら、次女が少しでも心地よくなるようにしたり、
次女を次女のままで、可愛がろう。
そんな心境が少しずつ芽生えていた私は、辛い現実にフォーカスするのではなく、「今できる最大の楽しみ」を探すようになった。
次女に着せるパジャマをお気に入りの柄にしたり、
髪を結ぶゴム、ブランケットなど
次女の身の回りの小物を、私好みのものに変えた。
「次女はわからないからなんでもいい」
ではなくて
「私が可愛いと思うものを着せてあげたい」
NICUのスタッフさんたちもみんな、
私が楽しもうとしている姿を見て、一緒に笑ってくれた。
まるで保育園に預けている子のように、次女を一人の人間として尊重して接してくれた。
NICUの連絡ノートには、
自分の気持ちが明るくなりような
可愛いシールをたくさん貼ったり、
絵を描いたりしていた。
スタッフさんたちも、
次女の写真にひげや帽子のシールを貼ったり、
吹き出しをつけてくれたり、
私を和まそうとしてくれるようになったことが嬉しかった。
次女の話だけでなく、
私の日常の話や上の子たちの保育園や学校の行事の話とか、他愛ない話をたくさんした。
周波数を変えると現実も変わる
困難な現実だけど、
そこにばかりフォーカスをかけていると
どんどんそっちに引っ張られてしまう。
NICUママとして子どもが心配でたまらなかったけど、
今思えばこの時から、ちょっとでも『ホッとすること』に目を向けていた私。
まだこのときは宇宙の法則のカラクリはよく知らなかったけど、
このとき、無意識に周波数を上げていたことで、
次女にもミラクルが起き始めていた。
続きは第6話で綴ります。
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