【第2章】NICUでの日々②障害を告知された日のこと
このお話は、「命のふちで出会った私たちの物語」第2章「NICUでの日々~心の闇と小さな光~」の2話目です。
▼前回(1話)のお話はこちら
主治医に呼び出された夜
主治医に呼び出された私たち夫婦は、
薄暗い夜のNICUの隣の部屋で
1台のパソコンの前にいた。
ふだんの面会の時とは違い、
NICUは照明が落とされ、
ピーピーと、機械の音だけが
聞こえていた。
未知の世界に足を踏み入れてしまったような、ほの暗い空間。
ここがとても「特別な場所」なんだということを改めて思い知らされた。
なんとなく、いやな予感がしていた。
不安と緊張で、鼓動が速くなる。
そんな中、
主治医は言葉を選びながら、
次女のMRI(脳のレントゲン)の
結果を私たちに話し始めた。
障害の告知
次女の症状は、
私たちが思っていたよりも深刻だった。
「次女ちゃんは、産まれるときに酸素が足りなくて、
苦しい時間がとても長かったので…
脳に酸素が回らなくて、
脳のほとんどの部分が
機能しなくなってしまっています。」
「ですので、
自分で目を開けることや、
自分で呼吸をすることは…
おそらく…今後も…難しいでしょう。」
「身体を自分で動かすことも…難しいです。」
主治医のその言葉に、
一瞬で頭が真っ白になった。
「はいそうですか」
とは、とても言える心境ではなく、
黙って画面を見ていることしかできなかった。
主治医は、MRIの画像を見せながら、
詳しく症状を説明してくれた。
だけど…
その話の内容が、全く頭に入ってこない。
衝撃が大きすぎると、
人って思考停止するんだな…。
目は画面を見ているのに、
耳は説明を聞いてるのに、
心は遠い宇宙の彼方に漂っているような感覚だった。
これが「現実」だという感覚がなくて、
しかも「我が子に起こっていること」だという感覚もなくて、
まるで何かの映画でも見ているような、現実感のなさ。
泣き叫ぶでもなく、
取り乱すでもなく、
私と夫は放心状態のまま、
ただ、主治医の説明を聞いていた。
「悲しい」とか「嫌だ」とか「不安だ」とか
そんな「感情のスイッチ」が
全部OFFになって、
「ただそこに漂っているだけの存在」と化していた。
大きすぎる衝撃の中で
「目の前が真っ暗」
「頭が真っ白」
「鈍器で殴られたような」
「氷水をかけられたような」
世の中、ショックを受けた時の表現はいろいろあるけれど、
その全部を使っても表現しきれないほどの衝撃だった。
出産のとき、一度心臓が止まり、
命が助かっただけでも奇跡だった次女。
あのときは
「どんな障がいが残ってもいい。命だけは!」
と祈っていたけれど…
重い障害が残ってしまったことを知った今、やっぱり、
すぐに受け止めることはできなかった。
いや、本当は覚悟ができていなかった、
認めたくなかった、と言った方がいいかもしれない。
次女には
「低酸素性虚血性脳症」
という診断名がつけられた。
つまり「脳性まひ」である。
生まれながらに「重症心身障害児」になってしまったのだ。
お腹の中まで順調だった次女が、
突然、重度の障害児になった。
その現実がリアルな
「私たち家族の現実」で
「私たち家族のこれから」であるという事実。
そして何より、
その悪夢のような現実を自分のせいで作ってしまったのではないか
という、とてつもなく重い後悔と罪悪感。
あるはずだった次女の未来を
すべて失ってしまったことに、
申し訳なさと悔しさと不憫さが
黒い波を打つように押し寄せてきて
私たちは完全にフリーズしてしまった。
この子は強い子だから
理屈上はそうなるのはわかる。
でも、でも…こんなの厳しすぎる。
私に奇跡が起きたように、
この子にも奇跡が起きるよね?
そう信じてもいいよね?
そんな気持ちで、私は主治医にこう尋ねた。
「でも、そのうち、良くなりますよね…?」
「ここから良くなることも、ありますよね…?」
まだ、希望を捨てたくなかった。
しかし、主治医はとても誠実な人で、
そんな私たちの気持ちに寄り添いつつも、
「回復の可能性がある」とは言わなかった。
「回復の見込みがあるとは断言できないけど、全くないとも言えない。
できる限りの治療をします。」
精一杯配慮して答えてくれた主治医は、その後私たちに思いがけない言葉をくれた。
「この子は強い子ですから。」
あの壮絶な出産から2週間、厳しい状態を何度も持ち直してきたことを
誰よりも知っている主治医は、
次女のことをそう信じてくれていた。
主治医のその優しさと強さに、
少しだけ、救われた気がした。
この「強い子」という言葉が、
これから先の私たちにとって
お守りのような言葉になるのだった。
一人で頑張る次女への想い
NICUのスタッフさんたちも、
そんな私たちをすごく気遣ってくれた。
障害の告知の瞬間は、
誰にとっても、つらいものに違いない。
家族によって、いろんな受け止め方があるだろう。
私たちも、まだ何も冷静に考えられなかったが、次女が懸命に生きようとしている姿を見て、
主治医の「強い子」という言葉を重ねていた。
次女の姿を見たら、私たちの苦しみなんて小さく思えてくる。
次女は、管だらけの小さな身体で、
真っ暗闇で、痛みや苦痛に耐えながら、一人で頑張っているんだ。
そう思うと、次女の前では不思議と
悲しみや怒りではなく、
「愛おしさ」があふれてきた。
「きっと、きっとよくなるからね。
大丈夫だよ。あなたは強い子だから。
いつも応援してるよ。大好きだよ。」
自然とこんな言葉をかけていた。
その日はクリスマスイブ前日。
次女へのささやかなプレゼントを
そっと枕元に置いてNICUを後にした。
「このおもちゃで
たくさん遊べる日が来ますように…。」
そんな願いを込めて…
この日から、私たち夫婦は
次女の障害を受容するまでの
長く苦しい旅が始まったのでした。
そのお話は次の記事でお届けしますね。
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