人には言えない傷を抱えるママへ。我が子はいつ「人」となるのか?
人は「どこから”人”」と
なるのでしょうか。
オギャーと産声をあげたとき?
胎動をはじめて感じたとき?
妊娠が分かった日?
やっときてくれた小さないのち。
けれど、なかにはお空に帰ってしまった子や
産声をあげずに、
ママに抱かれた子もいるでしょう。
産科は「おめでとう」を言える場所ですが
そうでない時もある場所です。
そして、まだ人の形はしていなくても
生命である存在もあります。
私にも、まだ会ったことのない子どもがいます。
凍結保存された小さな受精卵。
法律では命とは呼ばれないかもしれない。
けれど私にとっては、確かに我が子に
違いないのです。
私がこのように”生命”について
考えるきっかけとなった話をしたいと
思います🕊️
私が助産師を志し学生だったころ。
いまから10年近く経とうとしていますが、
今も心に残っている授業があります。
「生命倫理」
とあるアフリカ民族の出産シーンでした。
妊婦は16歳の女の子。
2日間陣痛に耐え、赤ちゃんを産みました。
けれど、
彼女はある選択をしなくてはいけません。
それは、
“仲間として人間の世界に迎え入れるか”
“精霊として天に返すか”
彼女の住む村では、
母親がその選択を託されます。
弱い産声をあげながら、自分の足元で
もじもじ動いている赤ちゃん。
産まれたばかりの我が子をじっと彼女は
見つめます。
赤ちゃんを抱き上げれば”人間界”に
迎え入れることになります。
悩んだ末、彼女が選んだのは
“精霊として天に帰す”
天に帰す方法は
葉に包んだ赤ちゃんを
シロアリの巣に入れて、火を焚べ
煙に乗せて天に返すのです。

大人たちも協力して、シロアリの巣を探します。
決して天に帰すことを選んだ彼女を
咎める者はいません。
彼女の住む村では、これが当たり前だからです。
ーあなたが産まれた時が1番
幸せだった。
私が助産師になりたい。と
母に打ち明けたとき、母が私に言ってくれた
ことばです。
私もそんな風に思えるような、
お産を手伝える助産師になりたい!
それを胸に、
勉学や夜遅くまで演習に取り組んでいた
私にとって、この授業はある意味
衝撃的でショッキングな授業でした。
けれど「妊娠できない」体になった今
少しこの授業の感じ方が変わりました。
日本では妊娠22週を過ぎると、
胎児は“生命維持が可能”と判断され、
法律上は中絶ができません。
妊娠22週
それが“いのち”として扱われる、
一つの線なのかもしれません。
けれど、国や文化によって
こんなにも命に対する
考え方や風習が大きく異なるのです。
その線の手前には、
途中で手を離さなければならなかった
小さないのち。
お空へ帰ってしまった赤ちゃん。
そして私のように、
凍結卵子として眠っているいのちのもと。
そんな存在と向き合ってきた
女性やママたちがたくさんいます。
法律上の数字はあくまで、数字でしかない。
私は流産や死産を経験したわけではありません。
けれど、もう一人の子どもを願いながら
凍結卵子と向き合う中で、
「命はいつから命なのだろう」
そう考えるようになりました。
私は今も凍結卵子を”小さな小さな我が子”
だと感じています。
物理的には細胞のひとつにすぎません。
けれど、どこからを我が子と捉えるのか。
それは本当に、人それぞれなのだと思います。
周りからなんと言われようとも
早く立ち直らなきゃ…と感じていても
あなたはあなたのままでいいのです。
私だって、勝手に触られたくない
自分だけの”パンドラの箱”を持っています。
自分でも覗くのが怖い…
でも大切なものがしまってある箱です。

法律上の数字は、
あくまで数字でしかありません。
誰かにとっては受精卵かもしれない。
誰かにとっては流産した赤ちゃんかもしれない。
誰かにとっては、
産声を聞けなかった我が子かもしれない。
どこからを命と呼ぶのか。
その答えは法律ではなく、
きっとその人の心の中にあるはずです。
あなたが大切だったと思うなら、
それは確かに大切ないのちに
ちがいありません。
あなたの周りに雨が降っているのなら、
この物語が傘☂️になってくれると
嬉しいです🌈

こちらも良ければ🌈☔️☀️
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メンタルケアは”フィジカルケア”から🫶
「整えて、温める」を大切に、自分の体と時間を大切にできる場所。ママや妊活女性向けケアサロンを作ることを夢見ています🥹その準備資金とさせていただきます🙏🧡