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短編82「絵本のきおく」 本のかみさまはミステリに揺蕩う#4

登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)

あらすじ
栄門町さかえもんちょうにある古本屋チェーン店『ねこのおまもり』の店長の息子、真人まさとは、常連のトミコさんから相談を受ける。彼女が持ってきた絵本は、色が『抜けて』いて……?

 栄門町さかえもんちょうにあるビルの1階で営まれている古本屋、『ねこのおまもり』。店長の息子である僕――山上 真人やまがみ まことは、時間があればここで過ごす毎日を送っている。今日は父親を手伝って、持ち込まれた本の確認や仕分けを手伝っていた。
 カウンターの上ではボンベイの黒猫・リンが本を枕にお腹を出して眠りこけていた。こんな無防備な姿だが、これでも彼女は『本のかみさま』なのだ。
 その近くでカウンターに頭を乗せているのは、桜柄の着物に身を包んだ少女の幽霊・未華みかも同じように眠りこけている。頭でも撫でてやりたいところなのだが、残念ながら僕は彼女に触れることができない。
 窓から入る日光は、2人の周りだけがどこか温かい。

「真人くん、ちょっといいかしら?」
 後ろから声をかけられて、僕は振り向く。そこには白髪の高齢女性が立っている。常連のトミコさんだ。穏やかで礼儀正しく、きびきびと歩くその姿が印象的だ。
「今日はねぇ、ちょっと相談があってねぇ」
 彼女はバッグから一冊の絵本を取り出した。タイトルは『虹色の動物園』。
 初めて見る本だったので、僕はそれを受け取ってページをめくる。

 『虹色の動物園』はその名の通り、『自分だけの好きな色』を見つけた動物たちが登場する物語だ。全身が真っ白なままの「まっしろキリン」。彼は自分自身の色を探して、色々な動物たちと出会っていく。耳が緑で尻尾が青い「まぜこぜゾウ」や、幾何学模様を描いた「しましまライオン」など、個性豊かな動物たちが登場して、動物園全体が鮮やかな色で満たされるという、個性の肯定をテーマにした絵本だ。

「――あれ?」
 僕はおかしなことに気づいた。中盤の「動物たちがそれぞれの色を初めて見つける』シーンの次のページからから最終ページまで、まるで光を奪われたようなモノクロになっていたからだ。
 思わずトミコさんを見つめてしまうが、彼女も困ったようにかぶりを振った。

「父さん、これ見てくれる?」
 本を渡すと、父さんはぱらぱらとページをめくってから、
「紙質、線の輪郭はおかしくなさそうだが、色彩だけが絵本から『抜けている』。こんな現象なんて、見たことがない。印刷がおかしいとか、そういうことじゃなさそうだ」
 父さんはそういうと、預り証を書いてトミコさんに渡す。彼女はそれを受け取ると、後ろ髪を引かれるように店を出て行った。

 僕は、この絵本がただの本ではないと確信していた。
「ふわぁ――よく寝た」
 ボンベイの黒猫、リンが大きな欠伸をしてから、その黄色い瞳をぱちぱちと瞬かせる。そう、リンは猫だけど喋ることができるのだ。
「なに? またなにか起こったの?」
 そう言ってリンは、虹色の動物園のページを肉球で器用にめくった。

「……へえ、色が抜けてる。まるで、とても鮮やかなはずの感情が抜け落ちたみたいに見えるね。真人、これを見て」
 リンがそう言うのに本を覗き込む。色が抜け始めたページは『動物たちが好きな色を見せつつ、自由に歌い踊るシーン』だった。
「恐らく、ここに持ち主であるトミコさんの感情が影響を与えたのかもしれないわ」
 リンはカウンターからぴょい、と飛び降りると、僕に振り向いて、続けた。
「これはミステリね。調べる必要がありそうだわ」
 店を出ようとするリンを、僕は追いかけた。

「トミコさんか。年齢は近いんだが……」
 恐らく同じ世代だと思われる近所の落合さんを訪ねて、話を聞くことにした。お座敷に通してもらって、温かい湯のみを持ちながら、僕は話を切り出した。リンもミルクをもらって満足そうだ。
「? なにかあるんですか?」
「ちょっとした理由があって、あまり交流はないんだ。トミコさんは旧華族の生まれで、学校も違っていた。近所だからお互い存在を知ってはいたが、交流らしい交流ができたのは、ねこのおまもりで話すようになってからだよ」
 それに僕は納得して頷いていた。トミコさんは確かに礼儀作法がしっかりしているし、そういう出自だからだったのかと。
 でも、それは同時に彼女が長年、自身に厳しく箍をはめてきたことを示唆しているようにも思えた。

「そうなんですね……実はいま、トミコさんからの依頼で、彼女の過去の話を少し知りたくて。なにかご存知なことはありませんか?」
 落合は手を顎に当てて、視線を上へと向けて、考え込んだ。
「過去ねえ……そういえば先日店で会ったとき、絵画集の話で盛り上がったな」
「絵画集?」
「ああ、トミコさんは絵画を熱心に嗜んでいるんだ。なんでも芸術大学に進学したかったらしいが、父親の猛反対で断念した、と言っていたよ。家の格式に合わないとかなんとかでな」
 その言葉に、リンの黄色い瞳がきらりと光ったのを、僕は見逃さなかった。彼女はぴょんと飛び降りると、すたすたと部屋を出て行ってしまう。
「あ、リン! ――落合さん、ありがとうございます。お茶もご馳走様でした!」
 僕は慌てて飛び出すと、リンの後を追いかけた。

 リンは店に戻ると、またカウンターに飛び乗った。それから未華の頭に前足を乗せて、ぱんぱんと優しくパンチする。
「むにゃ――」
 寝ぼけた顔で未華が顔を上げる。目をこすりながらカウンターを見て、虹色の動物園の表紙に視線を奪われた。
「あ、楽しそうな絵本……これ、読みたいです」
 未華はぼんやりとした頭で、素直な気持ちを口にする。それにリンは頷いてから、
「もちろん、後で読んであげる。でもその前に、この本に触ってみてもらえる?」
 リンは言いながら絵本を開いて、中盤の「動物たちがそれぞれの色を初めて見つける』というページを開いた。
「触る……? でも私、本は触れませんよ?」
「物理的にじゃない。ここに込められた『想い』に触るの」
 僕は2人の会話の意味がよく分からず、様子を見守っていた。

 未華自身もよく理解できないままで、左手を伸ばした。本にめり込むように手のひらをかざすと、うん、と呟いて頷いた。
「このページから……たくさんの『駄目です』という冷たい声と、『この動物たちのように、好きな絵を描きたい』という鳴き声が聞こえるような気がします。とても長い間、とても深いところに……」
 その未華の言葉に、リンは満足げに、にゃふん、と息を吐いて頷いた。

「トミコさんの押さえつけられた感情を吸い取っていたのだと思うわ。それと交換で色をトミコさんに吸われて、彼女を支えた。そんなところじゃないかしら? それが今回のミステリの正体」
 リンの言葉に、僕と未華は不思議そうな顔をする。
「さ、真人。トミコさんを呼んで。説明してあげなくちゃ」
 そう言ってリンは、前足をグルーミングし始めた。

「絵本が色が抜けた理由、お分かりになったんですか?」
 トミコはどこか落ち着かず、でも好奇心を秘めた瞳で、店のカウンター席に座りながら言った。
「はい」
 僕は答えて、絵本の中盤の『動物たちがそれぞれの色を初めて見つける』というページを開いて、トミコさんに見せた。
「この絵本は、トミコさんの抑圧された渇望の感情を吸い取って、その代わりに色を失ったのかもしれません。トミコさん、あなたは自分らしさを抑圧することで、心を壊さずに生きてきた――違いますか?」
 その僕の言葉にトミコさんは、一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻す。

「そう――かもしれません。でもどうして、それで絵本が色を失うのでしょうか?」
「……欲望は、トミコさんを構成する大切な要素です。それを吸い取ってしまったぶんは、どうやって埋められたのでしょうか? ――ここまで言えば、トミコさんはもう、気づいているんじゃないですか?」
 トミコは少しのけぞって、口を少し開いた。開かれた瞼が笑い皺を伸ばして、明らかに驚いた形相で僕を見つめている。

「……私、若い頃は芸術大学に行って絵の勉強がしたかったんです。でも行かせてもらえず……趣味で書き続けてはいるけど、もし若い頃に絵画の勉強ができていたら。そんな後悔は、いつになっても消えなくて……」
 うっうっ、とトミコさんは嗚咽を漏らす。小さな雫が瞳からこぼれて、頬に細い筋を描く。
「――大切なことは、本に色を塗ることじゃないと思うんです。トミコさんが、長年しまい込んだ個性と再び向き合うこと。それが大切なんじゃないかと、僕は思っています」
「ううっ……その通りだわ。始めるなんていつでもできる。いまが、その時なんじゃないかって、思える」

 リンが僕の肩に飛び乗った。それからぼそぼそと呟くと、またカウンターに戻ってなにもなかったような顔をする。
「――トミコさんにとって、誰の目も気にせず人生で一番やりたかったことはなんですか? 一番好きな色はなんですか?」
 それに彼女は言葉を探すように息を深く吸い込む。
「幼い頃に押し込めた気持ちたち……自由に、原色のように鮮やかな色で、草花や動物を描きたい。描き続けたい……」
 その言葉は、何十年もの時を経てようやく口から出た、本当の気持ち。
 それに僕は静かに頷いた。

 6原色であるカドミウムレッドとカドミウムイエローをパレットに押し出して、溶き油を加えて混ぜると、鮮やかなオレンジ色が作られていく。トミコはそれを筆に取って、カンバスに乗せていった。
 『ねこのおまもり』店内の、入ってすぐの角のスペース。普段は特設イベントなどに使っていた空きスペースを、トミコさんに貸し出すことにした。彼女はそこで、いままで溜め込んだ想いを吐き出すかのように、絵画に前向きに取り組んでいる。
 彼女が描くのは、長年の抑圧を振り払うように原色を混ぜた、自由で鮮やかな世界を描いていく。
 完成された1枚は、虹色の動物園を思い出させる輝かしい世界だった。

 トミコさんが満足感に満ちた表情で絵札を静かに置いたとき。絵からは色彩の波動が生み出され始めた。その波動は店内を飛び回ってから、虹色の動物園の本に吸い込まれていく。こぼした絵の具が広がるように色彩が広がって、絵本はすぐに鮮やかな色彩を取り戻した。
 彼女の顔は、長年の抑圧から解放されて自分の個性と向き合い、それに対しての感謝がこめられた笑顔だった。

 それからしばらくして。トミコさんは、カンバスを持ってカウンターにやってきた。絵本を読み聞かせていたリンと未華が視線を向ける。
「私の解放の証とも言える絵が完成しました。私のように心を閉ざしている誰かに、届けられませんか?」
 僕たちがなにも言えないままで見つめていると、お父さんが口を開いた。
「じゃあ、ここに飾らせてもらえませんか」
 お父さんはカウンターの真上、最も人目につく場所を指さした。それにトミコさんは、嬉しそうに微笑んだ。
 数日後、トミコさんの絵が飾られた。その絵は、埃っぽい古本屋の中で、まるで新しい太陽のように鮮やかな光を放ち、訪れる客の目を引いていた。

 リンはカウンターで丸くなりながら、僕たちに語りかける。
「古本屋は次の持ち主を待つ物語の中継点。同時に、新しい物語を始める勇気を分かち合う場所でもある。この太陽が、誰かの心を照らす絵になれるといいわね」
 未華がそれに静かに微笑む。
「どんな色も、持ち主の元に戻れる。心に蓋をしていても、本はそれを覚えていてくれるのですね」

 古本屋『ねこのおまもり』は、トミコさんの描いた喜びの色に満たされて、今日もまた人々の想いと物語を繋いでいく。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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