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短編75「記憶のゆくえ」 本のかみさまはミステリに揺蕩う#3

登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)

あらすじ
古本屋チェーン店『ねこのおまもり』の店長の息子、真人まさとは、読書サークルの主催者・高堂の相談を受ける。存在しない書籍の記憶。喋る猫・リンと少女の幽霊・未華は、その謎に向き合って……。

 僕、山上 真人やまがみ まことの自宅があるビルの1階は、古本屋だ。名前は『ねこのおまもり』。父親が社長兼店長を務めている。
 学校が終わると、僕はここで時間を過ごす。今日もカウンターに座って古本に目を通していた。
 カウンターの上では『本のかみさま』ことボンベイの黒猫・リンが寝転がり、肉球で器用に絵本のページをめくっていた。
 絵本を覗き込みながら、桜色の着物に身を包んだ少女の幽霊・未華みかが物語の次をいまかいまかと待ち受けている。

 突然、ばん、と大きな音を立てて入口の扉が開かれた。ドアベルがけたたましく鳴る。
「真人くん! 大変だ! 大変なんだ!」

 入ってきたのは、常連で地域の読書サークルの主催者である高堂たかどうさん。顔色を変えて、息を荒げて、全力で走ってきただろうことは、想像がつく。彼が息を整えるのを待ってから、僕は口を開いた。
「どうしたんですか、高堂さん。そんなに慌てて」
「あのね、先日サークルの会報で紹介した小説、『星と約束のノート』のことなんだけど」
 言って彼は、薄い会報をカウンターにばん、と強く叩きつける。その振動でカウンターに積まれた古本たちがぐらぐらと揺れた。

「『星と約束のノート』……?」
 僕は首を傾げる。そんな物語、あったような、なかったような……?
 隣のリンに視線を向けて無言の問いをかけると、彼女も首を傾げていた。未華は絵本に夢中で、それどころではない。
「ああ。感動のあまり、みんなで『もう一度読みたい!』って書店や図書館、それにネットショップまで探したんだが……どこにもないんだ。それどころか、出版社の書誌情報すら見当たらない。おかしな話じゃないか?」
 僕はまた首を傾げる。タイトルに聞き覚えがないので、すっかり困ってしまった。

「父さん」
 僕はカウンターの奥に立つ、父さんに声をかけた。一連の流れを聞いていた父さんは、ノートパソコンのキーボードを叩いて、うむむ、と唸った。
「検索しても出てこない。出版情報も、ISBNコードも見つからない」
 と、静かに答えた。

「それで……その『星と約束のノート』って、どんな話なんですか?」
 僕がそう尋ねると、高堂さんのスイッチが明らかにオンになった。目を大きく開いて鼻息が荒くなり、興奮状態で語り始める。
「聞いてくれ! 病で余命幾許もない青年『タケル』と、彼を献身的に支える女性『アヤメ』の恋物語だ! タケルはアヤメに『病が治ったら、必ず2人で故郷の誓いの丘で結婚式を挙げよう』と約束する。しかし、タケルは式の直後に亡くなってしまうんだ」
 そこまで高堂は一気に言い切って、大きく息を吐いてから、より大きく吸い込んだ。
「絶望したアヤメは、誓いの丘で空から舞い降りた光の粒に導かれて、一冊のノートを発見する。そこには『私の魂はいつも貴女と共にある』というメッセージが残されていたんだ! あああ、思い出すだけでも涙が出るうぅぅ!」
 そう言う高堂さんは、すでに涙を流している。熱弁の熱量が溢れて、その瞳を濡らしていた。

「サークルのメンバーとどのシーンが良かったか、いつも討論になるんだ。アヤメがタケルを看病するときに『私の体力は、貴方のために使ってください』と頭を撫でるシーン、2人で散歩をしたときに『この時間が終わらなければいいのに』とアヤメが呟くシーン、丘の上で結婚式を挙げるシーン、それから……」
 高堂の熱弁は続く。作品に対して強い愛情を持っているということが、僕にも伝わってきた。

「……ねえ、リン。どういうことなんだろう?」
 僕は小声でリンに耳打ちする。リンは長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、黄色い瞳を細めた。
「うーん……不思議ね。多くの人々が、同じ物語を共有してる。それも、実在しない物語を」
 にゃん、とリンは鳴きながらカウンターから飛び降りると、棚の間を縫って歩き始めた。まるで見えない糸を手繰るように、きょろきょろと見回しながら歩いていく。
「リン、なにか心当たりが……?」
「なんとも言えないけど……『魂の気配』はあるんじゃないかな」
 リンはそう言って、僕の肩に飛び乗る。それから耳元で囁いた。
「真人、いい? 『星と約束のノート』のキーワード。『誓いの丘』『流行り病』『結婚式』。これらを満たすものを探すの」
 言う彼女の視線は、『郷土史』のコーナーに注がれていた。本棚のごく一部、50冊にも満たない冊数だったが、僕の身体は本能的に後ずさった。
「この中から?」
「ええ。――私の勘が、そう言ってる」
 もう逃げられない。僕たちは、大量の古書で作られた大海を泳ぎ始めていた。

「リン、それっぽいものを見つけた。これじゃない?」
 僕は『星降る丘の誓い』という一冊を持って、リンに渡した。
「うん」
 リンはそれを受け取ると、地面に置いてページをめくり始める。

 その内容は、『星と約束のノート』のストーリーに酷使していた。この地の流行り病で命を落とした1人の青年。それを見守る女性。彼女に『死後も必ず魂の光として貴女を見守る』と遺したという悲しい物語。青年が生前、結婚式を挙げて『丘で誓った』という記載があった。
「『誓いの丘』と、『結婚式』、それに『丘で誓った』。文献と『星と約束のノート』の内容、似てる――!」
「そう。これがきっと、今回のミステリの核心よ」
 リンが静かに頷く。
「……あくまで仮説だけれど。『星と約束のノート』は誰かが書いたものじゃ、ないんじゃない? この地の人間が長い時間、2人に幸せになって欲しい、報われて欲しい、そう願い続けた結果に見えるのよね」

 リンは瞳を閉じて、本に乗せた前足に頭を乗せる。まるで、この本にこめられた想いに優しく触れるように。人々の声を聞いているかのように。
「ねえ真人。『誓いの丘』『丘で誓う』と聞いて、ピンと来る場所、ない?」
「……いま、僕もそう思っていた。それがあるんだよ、近くに『誓願丘せいがんきゅう』って名前の丘が!」
 その声を聞いたリンはにんまりと笑って、にゃふん、と誇らしげに息を吐いた。

「おお……! この樹木たちも、空を見上げるシーンの場所も、作品の通りだ! まさか、物語の舞台が実在していたとは!」
 丘の頂上に立って、高堂は興奮を隠しもせず、叫んだ。
「2人が式を挙げたシーンに登場した大樹! 存在していたのか!」
 高堂は感動のあまり、地面に膝をついて、わなわなと震える両手を眼前にもってくる。それから顔を覆ってから、身体を丸めて泣き出した。
 リンはそれを見てから僕の肩に乗り、耳元で話し始める。
「みんなが覚えているのは、物語じゃなくこの地の『願い』が記憶として心に定着したものだと思う。伝承の悲しい話を、美しい物語で無意識に上書きした『集合的無意識の産物』じゃないかな」
 それだけ言うとリンは、にゅふん、と満足気に柔らかな息を吐いた。

 店に戻ると、未華が出迎えてくれた。歩き疲れた僕がカウンターに座って突っ伏すと、それに寄り掛かるように、リンもカウンターで丸くなる。
 未華はリンの頭を優しく撫でている。彼女は僕や他の人には触れられないのだが、なぜかリンにだけは触れられる。小さい手がリンの柔らかな毛並みを撫でていて、静かで温かい慰めのように見えた。

 それから高堂さんは、サークルメンバーたちにこの話を共有したらしい。やがてその熱は、自分たちで『星と約束のノート』を書籍化しようということになり、鋭意活動中だそうだ。
 幻の小説の舞台が実在したという事実は、彼らにとって素晴らしい聖地となったに違いない。

「……これで、落ち着いたわね」
 高堂さんが僕に報告に来てくれて店を去ったあと、リンが静かに言った。
「この地の願いも、物語も。本はね、単なる紙の束なんかじゃない。生きた人間の心を、時空を超えて形にするものなのよ」
 僕はリンの言葉に頷く。未華も静かに微笑んだ。
「……悲しい結末を迎えた物語も、人が望めばきっとどこかで、美しい続きが描かれるのかもしれませんね」
 未華の言葉にリンは頷いて、瞳を閉じた。心が動いたのか、単純に眠かったのかは分からない。

 古本屋『ねこのおまもり』は今日もまた、人々の想いと物語を繋いでいく。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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