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短編12「私の記憶容量を、君がやたらと占拠する話」

あらすじ

私の脳の記憶容量はどれくらいなのだろうか。そんな彼の前に現れたのは、感情の起伏が乏しく、無機質で人工物のような印象を持つ安藤レイラで……。

 私の脳は、どれくらいの容量があるのだろうか。
 人間の脳の容量は諸説あって、1ペタバイト……つまり1024テラバイトという説もあれば、17.5テラバイトという話もあったり、1ギガバイトしかないという説もある。
 いまどきパソコンのハードディスクはテラバイト以上が標準になりつつあって、そういう話を聞くたびに、そんな疑問を思い出すのだった。

 自分の席でノートパソコンを開いているのは、帯刀 秀之たてわき ひでゆき、32歳。サーバーエンジニアの技術者だ。両手を頭の後ろに置いて身体を伸ばして座り、両足を伸ばして組みながら、天井を見上げている。
 彼は髪を短くしているが後頭部には寝癖があり、ファストファッションの襟付きシャツを着て、下にはジーンズ。オフィスカジュアルというには少しだけラフだが、会社の規定には反していない。

 パソコンの画面には無機質なコードが並び、それがなにを意味するかは彼にしか分からない。彼は天井から画面に目を移して、それからまた天井を見上げた。
「帯刀さん、ちょっといいですか? 来週から新しい方がシステム課に配属されるのですが、先に挨拶をしておいて欲しくて」
 人事の人間が声をかける。帯刀はそれに頷いて、「はい。行きます」と答えた。

 社内の会議室。6人で満員のこの場所で、帯刀と2人の同僚がいる。対面には、課長と見知らぬ女性が座っている。

(……)
 帯刀は彼女を見る。紺色のジャケットとパンツで、インナーには白いトップスを合わせている。なんというか、個性がないというかアピールポイントがないというか、とにかく帯刀はその女性に無機質な印象を受けた。
「来週から配属される、安藤さん。自己紹介、お願いできるかな」
「はい。安藤レイラ、27歳です。よろしくお願いいたします。それから……」
 彼女は課長に促されて自己紹介を始める。どうせ短期記憶なのだから、自己紹介の内容など明日には忘れてしまうのだろうと、帯刀は聞き流していた。

 ふと、彼女の言葉は無機質な印象を受けることに気付く。感情の起伏が乏しいというよりも、感情があるのかさえ怪しいと感じるほどに抑揚のない声だった。良く言えば冷静、というか安定性や信頼感があるとでも言うのだろうか。
(あれ……)
 帯刀は改めて彼女を見つめる。黒い髪をショートカットにして、瞳は大きいほうだと思う。鼻は高くはないが鼻筋が通っていて、薄い唇。肉感的ではないが、洗練された顔立ちという印象を受ける。どこか人工的で、表情も硬い。
(あれ……? なんか、いいかも)
 帯刀は内心思っていると、いつの間にか挨拶は終わっていた。

「帯刀さん、どうっすか、安藤さん。めちゃくちゃ綺麗ですよねえ」
 隣に座る同僚の湯沢が、鼻の下を伸ばして小声で言ってきた。彼はまだ25歳で、そういった話題が大好きな健康的な男性といったところだ。小柄だが、清潔な印象を与えている。
「まあ、帯刀さんのことだから、現実の女性に興味ないと思うんですけど」
「ひどいなあ、そんなことないよ。彼女、ストライクだ。どストライク」
「ほら、やっぱ……え、ええ!?」
 素っ頓狂な声をあげる彼の口を、帯刀は思わず手でふさぐ。それに湯沢は慌てて、

「あ、いや、すみません。あまりに予想外の答えで……」
 と、しどろもどろに答えた。
「いや、いいけど……それより、そんなに意外か?」
「そうですよ。帯刀さんといえば、AI彼女とCG美女しか興味がないのだと思っていました」
「……いや、あまり否定はしないが。なんか彼女、無機質というか人工物っぽいというか、そういうところがいいなあと思ってる」
 それに湯沢は、言葉の意味は理解できても共感はできないようで、
「わかるようで、わかりません」
 と、一言で片付けた。
「じゃあ、来週の安藤さんの歓迎会。もちろん参加されるんですね?」
「もちろん」
 湯沢の言葉に帯刀は頷いた。ちょっと良い笑顔で。

 それから1週間後、安藤はシステム課に配属されて先輩たちのサポートを担当することになった。先輩エンジニアのサブとしてつき、処理の簡単な部分のコーディングや、デバッグなどの作業を担当している。彼女は上長の指示に従い、何人かの先輩の間を行ったり来たりと慌ただしく働いていた。

「……」
 帯刀はぼんやりと天井を見上げて、コードの設計を頭の中で進めている。これはいままで数え切れないほど繰り返してきた、身体が覚えている「手続き記憶」だ。
 そんな彼をよそに、隣の席では、安藤が湯沢に進捗を報告していた。
「ここの変数が原因なのではないでしょうか」
「安藤さんすごいね。こんなバグ、よく気づけたなあ」
 どうやら安藤は仕事ができるらしい。年齢が若いということもあり実務経験という点ではまだ頼りないところもあったが、正確な仕事ぶりが評価されていた。

(正確……だな。仕事もテキパキとこなしてる。すごいな)
 帯刀はそんなことをぼんやりと考えてから、身体を起こしてディスプレイを見つめる。

 ……いまひとつ進みが悪い。そういう時は、パソコンのデフラグでもして、パフォーマンスを改善させよう。そうしよう。
(いや、しかし……)
 となりの安藤をちらりと見て、帯刀は考えこんでしまっていた。

 ……女性に対してこんな感情を抱いたのは、いつぶりだろうか。最後は確か小学3年生の頃。クラスメイトに恋をして、ラブレターを渡したんだっけ。次の日にクラスの壁に貼られてたけど。
 そうだ……それからちょっと、恋愛というものが怖くなったんだろうな。

 帯刀は小さくため息をついて、画面を眺めていた。プログレスバーが伸びて、デフラグが進んでいるのを確認する。彼は、さてどうしたものか……などと考え込んでいた。
「帯刀さん」
 突然声をかけられて、はっ、となって振り向く。そこには安藤がいた。きっちりと直立して、こちらを見下ろしている。
「安藤さん。どうしたの?」
「質問があります。お時間良いでしょうか?」
「もちろん大丈夫。どうしたの?」
 安藤は自分のノートパソコンを開いて、少し腰を落としながら帯刀の横に並び、身体ごと画面をこちらに向けた。

(うわ、近いって……)
 安藤は帯刀の横にぴったりと留まっている。画面を見せようとすると、どうしても距離が近くなってしまうのだ。いい香りが鼻をくすぐる。彼女から漂うフローラル系の洗練された香りが、帯刀の脳をぴりぴりと刺激していた。
「先日指示されて書き進めているコードを見て欲しいんです。どうも、メモリリークのタイミングが悪いみたいで、パフォーマンスに影響が出ているんです」
「どれどれ……」
 帯刀は意識を画面に向ける。コードを細かく見るというより、長年の勘に頼る。こういう時は、だいたいどこに原因があるかを経験から理解していた。

「このオブジェクト、なんに使ってる? 不要なら解放したらいいんじゃないかな。あとここ、循環参照してる可能性ない? それだけ調べてみて欲しい」
 帯刀は感じたことを全て伝える。安藤はそれに頷いてから、
「帯刀さん、凄いですね……こんな一瞬で、そんな具体的な意見が出るなんて」
 と、漏れ出た感情を吐露した。

(ん……)
 少しだけ、ほんの少しだけ。彼女の顔が、ほころんだ気がした。あまり表情を見せない彼女が、初めて表情を変えた。ちょっとした意外性。それに気づいてしまった。胸をきゅっと、軽く握られた感覚を覚える。この一瞬は絶対に脳内に記録されたと思う。

 ……なんだろう、この気持ちは。私の中に、こんな感情があったんだ。忘れていた感情? そうかもしれない。遠い昔、確かに持っていたなにか。それを発掘したような、そんな感覚。その不思議な感覚が、脳をゆらゆらと揺らす。

「いや、偶然だよ。たまたま気づけただけだ」
「そうなんですか? でも、素晴らしいと思います」
 安藤はいつもの表情に戻っていた。無機質でどこか掴めない、いつもの彼女だった。
「ありがとう。役に立てたなら、良かった」
 帯刀はそう言って、いつものように微笑む。それからまた、画面に向き合った。

 私の脳の容量のうち、どれほどが彼女のために使われているのだろうか。そして、彼女の脳の容量は、どれほど私のために使われているのだろうか。
 ふと、そんなことを考えた。もちろん、そんなことは調べようもないし、分からないことなのだろうけれども。ただ気になってしまっていた。

 そして金曜日の夜。安藤の歓迎会が開催された。会社近くの和風個室居酒屋。木材を組み上げた横開きのドア、木目のテーブル。畳の上に座布団が置かれていた。テーブルの上にはグラスと取り皿、それにテーブルコンロと鍋の用意がされている。
「あ、帯刀さん、こっち来てくださいよ」
 帯刀が座敷に上がろうとした時、湯沢が言う。向かって左が上座で、そこは課長とマネージャーが座るべきだろう。湯沢は向かって右の下座、その奥に座って、彼を隣に誘っていた。
「ああ、ありがとう」
 帯刀は湯沢が下座を教えてくれたのだと思い、素直にその隣に座った。しばらくして課長とマネージャーが、安藤を連れて到着する。
「安藤さん、こっちこっち、下座です」
 湯沢が安藤に声をかけると、彼女は振り向く。そして安藤はこちらに向かってくると、帯刀の隣に座った。

「!」
 帯刀は思わず、湯沢の方に振り返る。驚きの混じった強い視線をぶつけると、湯沢は片目を閉じてウインクしてみせた。

 ……あいつ、ここまで計算してやがったな?

「あ、帯刀さん。お疲れ様です」
 安藤は帯刀の隣に座ると、挨拶をする。帯刀は動揺が見透かされないよう、いつもの自分に戻ろうとしながら口を開いた。
「お疲れさん。以前相談してきたコード、直りました?」
「はい、お陰様で。本当に助かりました」
 安藤は頭を軽く下げて謝意を示す。それに帯刀は微笑んで、
「それなら良かった」
 と、それだけ言った。
「はーい、じゃあ一杯目頼みます。ビールの人、何人いますか?」
 湯沢が立ち上がって仕切り始めた。安藤以外の全員が挙手する。
「安藤さんは?」
「すみません。私、お酒が飲めなくて。お茶をお願いします」
 湯沢の問いに、安藤は淡々と答える。相変わらず意志が見えないというか、無機質というか、そんな雰囲気を感じていた。

 すぐに飲み物が届いて、乾杯が行われる。それから、雑談を始めた。
「安藤さんって、いつもそんな感じなんすか? 冷静というか、真面目というか」
「え? はい、そうですね。いつも『人を寄せ付けない空気出してる』って言われます」
 それに帯刀はビールを吹き出しかけた。自虐ネタなのだろうか、彼は笑ってしまったので、そういう意味では面白いネタだったと言える。
「あ、はい! 安藤さん、パートナーとかいるんですか?」
 帯刀の後ろから、湯沢が手を上げながら割り込んでくる。帯刀はハラスメントになりやしないかとハラハラしたが、安藤は特に気にする様子もなく、
「いません。あまり興味がなくて」
 と、冷静に答えた。相変わらず表情は変わらない。
「じゃあ、なんに興味あるの?」
「……!」
 帯刀が何気なく聞くのに、安藤は少しだけ目を見開いた。

(……動揺してる?)
 珍しい、まさか彼女がそんな顔をするとは。私、なんか変な質問をしてしまったんだろうか。単なる世間話のつもりだったのだが。
「その……笑いませんか?」
「? どういう意味?」
 安藤が少し眉根を寄せて、複雑な表情を見せて、弱々しい声で言った。だが、帯刀にはその質問の意図は分からない。だから、素直に聞き返していた。
「ええと……ちょっと子供っぽいとか、思われそうなので……」
「そうなんだ。でも、私は笑わないよ。気にしないで」
 帯刀の言葉に、安藤は少し安心したようだ。ごそごそと鞄の中を探り出すと、15センチほどのぬいぐるみを取り出した。
 うさぎを模しているのだろう、薄い茶色のもこもこした身体に、長い耳がついている。黒い丸の瞳と、ピンクの鼻。手には人参を持っていた。

「ぬい活、してるんです……」
 言うと同時に、彼女の顔が真っ赤になった。おずおずとぬいぐるみを目の前に持ってきて、その影にうつむいた顔を隠してしまう。
「ごめん、私、ぬい活って詳しくなくて。良かったら教えてもらえない?」
 帯刀が言うのに、安藤はぱあっと明るい顔になって、赤い顔のままで目を見開いて、彼を見つめる。
 初めて見せる、本当の彼女の片鱗。あまりにも新鮮で、初々しくて。私はきっと、この出来事をエピソード記憶したんじゃないだろうか。

「あの、ぬい活にも色々とあるんですが、私は旅に出て、一緒に写真を撮ることが多いです。あとはカフェで撮影したりとか……」
「なるほどなるほど、ぬいぐるみを主役に撮影するのか。それは新しい感覚だ」
「でしょう? それをこうやって、SNSにアップしているんです」
 安藤はスマートフォンの画面をこちらに見せながら、嬉しそうな顔をしている。帯刀はそれを見ながら、不思議な感覚に陥っていた。

 ……こんな風に笑うんだ。無機質な表情ももちろん良いのだが、笑顔の方が断然いい。彼女の魅力が溢れているというか、本当の彼女を見ている気がする。
「安藤さん、そのぬいぐるみ、手にとってみてもいい?」
 帯刀がぼんやりとしていると、湯沢が後ろから言う。安藤は頷いてから、腰を軽く上げて手渡そうとした時。
 座布団が滑り、彼女は前のめりに倒れ込んだ。その拍子に、ぬいぐるみが飛び出す。冗談みたいにぽぉんと上がり、テーブルの上空へ――。
「えっ!?」
 突然の出来事になにが起きたのか分からない。私は飛んだぬいぐるみを見上げる。ゆっくりと落ちてくるそれは、テーブルに落ちるだろう。
 しかも、テーブルコンロに置かれた鍋の中に――。
「あーっ!」
 私は変な声を出しながら手を伸ばして、ぬいぐるみを掴もうとする。そのつもりだったが、右手はむなしく空を切る。普段から運動していないのだから当たり前か。

 ならば――視線を鍋に。コンロの火が鍋をぐつぐつと煮立てている。
 私は膝立ちになると、鍋の上に覆いかぶさった。

「……!」
 がしゃん、という鍋とコンロがぶつかる激しい音に場の全員が動けなくなる。ぽふん、と背中に柔らかい接触を感じる。ぬいぐるみは無事に帯刀の背中に落ちて、それから座布団へと転がった。

「……あつっ、熱い!」
「帯刀さん! 大丈夫ですか!」
 鍋から起き上がる私に、湯沢が心配そうな声をかけた。幸い火には触れなかったが、シャツは鍋の汁で濡れていて、それが熱い。湯沢が差し出すおしぼりを受け取って、胸に当てる。
「た、た、帯刀さん……」
 安藤がぬいぐるみを拾い上げて胸に抱きながら、心配そうな、そして困惑したような、なんとも表現しにくい表情でこちらを見ていた。
「大切なものでしょ。汚れなくて、良かったね」
「い、いえ、そうなんですけど、帯刀さん、シャツが汚れて……」
「え? いいよ、安物だし。また買うから」
 安藤は完全に混乱していた。目線はぐるぐる揺れているし、涙目で口をぱくぱくとさせている。

「し、シャツ、弁償します……」
 彼女は困惑したまま、かろうじて言葉を捻り出す。
「いや、いいよ。本当に、気にしなくて大丈夫。それより、ぬいぐるみに鍋の汁とかついてない? 大丈夫?」
 帯刀はそう言いながら、シャツの中におしぼりを入れて身体を拭く。
「……はい。大丈夫だと思います」
 彼女はぬいぐるみをきゅっと抱きしめながら、泣きそうに目を細めて言う。

(……こんな顔もするんだな)
 私の脳に、今回のことはエピソード記憶されただろうと思う。そう、単なる初期衝動から、より深い人間的な興味へと変化した。それを私は自覚したのだ。こればかりは、数値化できない。私の脳の容量を食っているのは確かだろうが、この感情はその心配を上回る。そう感じていた。

「……すみません、帯刀さん」
「はい?」
 安藤がおずおずとぬいぐるみを差し出して、
「良かったら、この子。抱きしめてあげてもらえませんか」
 と、赤面しながらこちらに言う。それに帯刀はぽかんとした表情になる。
「え? どうして?」
「この子も、お礼が言いたいと思いますから……」
 帯刀はあまり意味を理解していないようだったが、無碍にするつもりもない。ぬいぐるみを受け取って、濡れたシャツが触れないように抱きしめて。「無事で良かったな」と声をかけた。

「安藤さん。はい、返すね」
「はい!」
 受け取る安藤はキラキラと微笑んでいる。
 帯刀はそれを見ながら、ぼんやりと考える。

(もし、願わくば……)
 彼女の脳にも、私のことが記録されてくれると嬉しい。脳の容量を使って欲しい。私はそんなことを考えていた。

(参ったなあ……)
 こんな気持ちになるなんて。忘れていた気持ちを思い出すなんて。
 私はただ、自分の脳の空き容量がまだ残っていることだけを祈っていた。

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