短編133「二十三時を飲み干して」
あらすじ
心地よい酔いの中で、深夜の公園へと繰り出す。看板の注意書きに背徳感を感じながら、一人冷たいレモンハイを飲み干す贅沢。昼間の重圧をリセットし、自分を取り戻すための「ささやかな夜の冒険」をして……。
今夜の私は、少しだけ無敵だ。
夕食と一緒に開けたビールの酔いが、心地よく体の末端まで浸透している。
時間は、午後二十三時。普段なら布団の中でスマートフォンの光を無為に浴びている頃だが、今夜はどうしても、このまま眠りにつくのが勿体無い気がしていた。
脳は微かに微睡んでいるが、心はまだ『今日』を強く握りしめたがっている。もう少しだけ、この自分だけの余白を楽しみたい。
私はパーカーを羽織ると、財布と鍵だけをポケットに突っ込んで、玄関のドアを開けた。
夜道は驚くほど静かだった。吐き出す息が白く濁り、耳元を通り抜ける風が、アルコールで火照った頬を優しく撫でる。徒歩七分の場所にあるコンビニのネオンが、闇の中にぼんやりと浮かぶオアシスのように見えた。
自動ドアが開く。深夜特有の、あの乾いた、清潔な空気の音。
私は迷わず酒類の棚へ向かい、立ち止まって指先を迷わせる。
レモン、グレープフルーツ、ピーチ……今日はなんだか、混じり気のないレモンハイがいい。三百五十ミリリットルの、少しだけアルコール度数の高いやつ。
レジで店員さんが「袋にお入れしますか?」と聞いてきたけど、私は「そのまま持って帰ります」と答えた。冷えたアルミ缶の感触を、直接手のひらで感じていたかった。
レジを済ませて外に出ると、夜の静寂がさっきよりも、ずっと深いものに感じられた。
家に帰るには、まだ早すぎる。
私はなんとなく、自宅のすぐ近くにある、小さな公園へと足を向けた。
街灯のオレンジ色の光が、誰もいないブランコや滑り台を寂しげに、けれど幻想的に照らしている。入り口の看板には『園内での飲酒・騒音はご遠慮ください』という、古びた注意書きが掲げられていた。
「……ごめんね。静かにするから、大目に見て」
誰にともなく言い訳をして、私は誰もいないベンチに腰を下ろした。
プシュッ、と静かな公園にプルタブを引く音が響く。
アルミ缶から流れ込んでくる液体は、驚くほど冷たくて、喉を刺激しながら体の芯をじんわりと熱くさせる。
ごくり。一口、二口。
冷たい炭酸が舌の奥まで刺さる。レモンの酸味が鼻に抜けて、喉の奥がきゅっと締まる。
「……ああ、美味しい」
独りごちてから、また一口。
体の中からふんわりと、心地良い暖かさがせり上がってくる。眠気が後退して、代わりに小さな火が心に灯る。
公園の木々が風に揺れている。さらさらという葉擦れの音が、まるで誰かが遠くで囁いているように聞こえた。
私は缶を両手で持って、じっと夜空を見上げた。
見上げれば、ビルの合間に数えるほどの星。
昼間の喧騒が嘘のように、世界は私のためだけに止まっているような気がした。
仕事の些細なミスも、明日の予定も、誰かに言われた無神経な言葉も。
それらがすべて、溶けていくレモンの苦味と一緒に消えていく。
「今日だけは、いいよね」
自分に言い聞かせるように呟いた。
飲酒禁止の看板も、明日の小さな後悔も、今この瞬間には届かない。
体はたしかに『眠い』と言っている。けれど、この冷たいベンチで、深夜の冷気を吸い込みながら飲む一口は、どんなにふかふかの枕よりも私の心を深く癒してくれた。
二十分ぐらい。たったそれだけの、背徳的で贅沢な旅。
最後の一口を飲み干し、缶を揺らして空になったことを確かめる。
明日になれば、また普通の私が始まる。けれど、今夜この公園で大目に見てもらった小さな秘密は、明日を生きるための、私だけの確かなガソリンになるはずだ。
私はゆっくりと息を吐いた。
星がまた一つ、瞬いた気がした。
私はベンチから立ち上がり、軽く伸びをした。
少しだけ軽くなった足取りで、私は温かい布団が待つ家へと、ゆっくりと歩き出した。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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