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短編44「夏だからと言われましても」

あらすじ

花火行に誘われためぐみだったが、混雑が苦手なため気乗りしない。しかし、意外にも彼女の提案が通って……。

「夏だから、花火行こうぜ!」
 と、言われましても。

 こちとら、そんなに得意じゃないわけですよ。人混みが。
 夏だからという理由で、人がごった返す場所に自ら赴くなんて。
 たぶん、帰り道も混雑して帰りが遅くなるのだろうし。
 あまり気は進みません。

「俺と花火見るの、いやかな?」

 あ、いえ……すみません。
 そういう意味ではなくてですね……。

 どちらかと言えば一緒に見たいわけなんですよ。
 でも、あの混雑を体験したくない。
 その気持ち、分かってもらえますか?

 会社の受付。高幣たかへいめぐみが来客対応業務の合間に、営業職の木田 知樹きだ ともきが声をかけてきた。木田は1日に何度も出入りしているので嫌でも顔は覚える。そんなわけで、お互い時間に余裕があるときは世間話やランチをするぐらいの間柄になっていたのだった。
 そして、お盆休みももうすぐという時期に、めぐみは木田から不意にお誘いを受けた。
 2人は社内食堂で何度かランチもしているし、2人きりというのは別にそれほど気にならないが、社外で会うという話は、初めてのことだった。

「あの。実は私、混雑が得意ではありません。ですので……」
「うん?」
「もし、可能でしたら……屋形船、なるものを体験したく存じます」
 私はせっかくなので、思いの丈を素直に言ってみることにしました。

 彼は一瞬考え込んだが、なにか閃いたらしく「まかせて!」と言って走り出しました。
 ……本当に、なんとかなるのでしょうか。
 半年前から予約をとらないと押さえられないと聞くのですが……。

 ――言ってみるものだ。

 川の水面に浮かぶ、赤いちょうちんがずらりと並ぶ屋形船。ガラスの中にはたくさんの座敷が見え、賑やかさを演出している。屋根の上には手すりがついており、上に登って花火を眺めることもできそうだった。

 めぐみはぽかんと口を開けて、屋形船を見上げていた。

「木田さん、もしかして。予約を取るのに大変にお手間をおかけしたのでは……?」
「いや、大したことはしてないよ。顧客に屋形船の株主がいるから、株主優待を譲ってもらっただけ」

 ……なんという行動力。いや、目的達成力とでも言うのだろうか。
 とにかくめぐみは彼が行った偉業の凄さを感じていた。

 めぐみは現実感の無さに少しぼんやりしながらも、2人で屋形船に乗り込んだ。
 指定された座卓の前に座り、とりあえずの生ビールを飲みながら、出された枝豆をつまむ。冷たいビールが喉を通ると、ぷはっ、と自然に息が漏れる。控えめに言って、至福のときだ。
 ちなみにめぐみは、せっかくだからと浴衣も着ていた。星をモチーフとしたデザインで、鹿の子絞りで空の煌めきを表現している。有松鳴海絞りで仕上げられた浴衣は、控えめに言っても高級品。長い黒髪を後頭部で結わえて、うなじも夏の風情を感じられるようにしている。

「めぐみさん、いい飲みっぷりだね」
 木田もビールジョッキをテーブルに置いて、ゆっくりと息を吐いた。
 白い半袖のワイシャツに、スラックス。休日だというのに彼は出社していたらしく、傍らにはいつものビジネスバッグが置かれている。
「そういえば……木田さんとお酒を飲むのって、初めてでしたよね」
 めぐみの言葉に木田は頷いた。その口元はほころんでおり、嬉しさや楽しさが溢れた表情。

「めぐみさん、普段は花火大会は来ないの?」
「そうですね……普段は年に一度、自宅のベランダから見える区内の花火を拝見するぐらいでしょうか」
「じゃあ、毎年見てるは見てるんだね。良かった。もし花火好きじゃなかったら、俺は困っちゃってたな」
 そう言って木田は、楽しそうに笑う。さすがは営業職と言うのか、嫌味なく楽しそうな顔を素直に見せられるのは、とても素敵なことだとめぐみは感じていた。
「ええ。夏の風情だと思いますから……」
 めぐみは言って、ぐい、と生ビールのジョッキを口に持っていく。泡のはじける感触と、苦いホップの旨味。それが喉を通るとやはり、ぷはっ、と息が自然に漏れる。頬が少し紅潮するのを感じていた。

 花火会場のアナウンスが流れる。どうやらそろそろ、花火の打ち上げが始まるようだった。
「どれどれ……最初は定番のスターマインみたいだよ」
 木田はいつの間にか花火大会のパンフレットをテーブルに広げて、プログラムを見ている。

 どん、どんどん、どんどん……どぱん。どぱぱぱぱんっ。

 連続で打ち上げられた花火が、夜空に広がっていく。瞬く間に広がり、消えていく光の集まり。
 めぐみはそれを見上げて、ぽかりと口を開けたまま、見入っていた。

「……家から見るのとは、全然違います」
 めぐみが呆けながらそう言うのに、木田は吹き出してしまった。
「確かに。だって、すぐそこで打ち上げてるんだよ。迫力が全然違うよね」
 木田も片膝を立てて、窓の外を見上げていた。
 数え切れないほどの花火が打ち上げられて、空に大輪の花を咲かせる。しかもこんな目の前で。
 幻想的、などという簡単な言葉では言い表せない状況に、2人は圧倒されていた。

「すごい……!」
 めぐみは思わず口にする。いままで混雑を理由に花火大会に参加していなかったことを素直に悔やんでいた。
 花火は、見れれば良いという類のものではなかったのだ。目の前で、すぐ近くで、『体験』することに意味があったのだと、気づいてしまった。

 夜空に広がる光と音の迫力。ちかちかと煌めく光の欠片。
 奪われていく。時間も、心も。

 40分ほどのプログラムはあっという間に過ぎて、花火の打ち上げが終了したというアナウンスが流れる。それを聞いて、めぐみは大きく息を吸った。長い間、うまく呼吸することを忘れていたかもしれない。吸った酸素が肺から全身に広がっていくのを、彼女は感じていた。

「めぐみさん。浴衣、綺麗っすね」
 不意に木田が言った。その言葉にめぐみは現実に戻り、自分の身体を見下ろしてから、彼の顔に視線を向ける。
「あ、ありがとうございます」
「本当は最初に言うべきなのかもしれないけど、セクハラになるかなと思って、自重してた」
 木田の言葉にめぐみは思わず笑ってしまった。
「確かに……いま、色々とうるさい時代ですものね」

「ああ、そうだね。……それでさ、来年もまた、花火見ない?」
 また木田の言葉にめぐみは笑わされてしまう。
「あは……もう来年の話ですか?」
「ああ。常に未来を見据えて、結果に繋げないとね」
 冗談めかして営業職らしいことを言う彼に、めぐみはまた笑ってしまった。

「はい、是非。来年のお誘いも、お待ちしております」
 めぐみは静かに、笑顔で、そう答えた。

 夜空は、花火が上がる前と同じ、漆黒の闇に戻っていた。
 しかし、その闇はもう彼女が知っていた夏の夜ではない。ただの闇ではなく、宴が終わった後の舞台だと、そう感じている。

 私はこれからの未来を、控えめに言って、ほんの少しの期待を抱き始めていたのだった。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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