短編57「フライドチキンを齧るということ」
あらすじ
食事は、栄養素の補給である。感情が介入する場所はないはず……だったが、謎のスパイスの香りは、無味無臭の世界で生きるアレクシアへの新たな招待状だった。
フライドチキン。
これを掴んで齧るというのは、食欲を満たすだけではなく、なにか本能めいたものを刺激しているような気がするのだ。
マンションの一室で、1人の女性がキッチンに向かって調理を進めていた。
彼女は、アレクシア。金髪を腰ぐらいまで伸ばして、細い体躯を給仕服に包んでいる。薄い胸とコルセットの巻かれた腰が、彼女を凍てついた彫刻のように、より繊細な存在に見せているかもしれない。
彼女はアンドロイド。人間の身の回りを世話する家政婦だ。今日も彼女は、仕事から帰ってくる主の体調を整えるため、最高のバランスの食事を作るのだった。
テーブルに並べていくのは、伝統的な和食御膳。メインは鶏肉の照焼。低カロリーで高タンパク質を摂取できる。ほかほかに炊き上げられた玄米とほうれん草の味噌汁。浅漬けのきゅうりを小鉢にして、昨晩の煮物を温め直してテーブルに並べていく。
目の前に広がる食卓は、完璧に計算されたアートのようだった。崩すことなど許されない静物画のように。
その準備が整ったと同時に、玄関の電子鍵を解除する音が、聞こえた。
「——で、その手に持ったバーレル容器はなんですか?」
扉を開けて帰宅したセイジがただいまを言うより先に、アレクシアは問いかけた。
セイジはそれに気まずそうな顔をして、目線を逸らす。それから寝癖の残った頭をぽりぽりと掻いた。小脇に抱えられたバーレル容器は白と赤のデザインが目立つ、フライドチキンショップのものである。
「いや、たまに食べたくなるんだよ。あはは……」
とぼけた顔でセイジは言う。それにアレクシアは眉を潜めて、冷たい視線を注いだ。
セイジはよれたシャツとスラックスでどこか垢抜けず、穏やかな雰囲気だ。彼がそう笑うと、なんとなく納得できそうだった……が、アンドロイドのアレクシアには通用しない。
「セイジは時々、理解に苦しむ行動をします」
……食事は、栄養素を過不足なく摂取するための補給。彼女はそう考えているのだ。感情が介入する場所なんて、ないはず。
「それを食べると、夕食の栄養バランスが偏ってしまいます」
アレクシアが静かに言うと、セイジは困ったような笑顔をする。これ以上彼を追い詰めるのも良くない、と彼女の会話プログラムがブレーキをかけた。
「これは、栄養だけじゃないんだ。お腹を満たすだけじゃなく、大切な本能を満たしてくれるんだよ」
セイジの言葉は、アレクシアの辞書に存在しない文字列だった。空腹を満たすことも、本能を満たすことも、彼女のプログラムには存在などしていない。
「まあ、そう言わず……」
バツが悪そうなセイジは、御膳の前に座って、バーレル容器をテーブルに置いた。それから蓋を開けて、中身をアレクシアに見せた。アレクシアは瞬時に解析を完了させる。
足1本と形容すれば誰にでも想像できる、ドラム。
折りたたまれた手羽、ウイング。
脂身の少ない胸部分のキールに、骨周りに旨味があるあばら肉、リブ。
良質の油がたっぷり味わえる腰肉、サイ。
その5種類がバランスよく盛られていた。
鶏肉は確かにカロリーが低いとはいえ、なにせ量が多い。
アレクシアは少し考えてから、メインの鶏肉の照り焼きを明日の朝食にするということで、調整することにした。
「……フライドチキンを食べるとさ、本能が刺激される気がするんだ」
セイジは嬉しそうにドラムを取り出して、そのままかぶりつく。
「僕たちの先祖はきっと、こうやって肉を食べていたと思う。それを再現するということは、昔から持っている感情や本能を大きく揺り動かせてくれるんだ」
「はあ……?」
彼の言葉にどう返せばいいか分からず、アレクシアはため息に近い言葉を返した。研究職のセイジは時々、こういうこねくり回した意味不明な理論を言い出す、と思いながら。
「そうだ。アレクシアもたまには、食べてみなよ」
促すセイジに、彼女は少し困った顔をした。飲食機能はあるので別に食べても構わないのだが、稼働に必要な栄養素はあまり採れないので、正直、勿体ない。合理的ではないと考えていた。
「味とかじゃない。僕たちの歴史を感じるために」
セイジが上半身をぐいと突き出して、そう言った。流されるままに、アレクシアはドラムを受け取った。
「はふ……」
熱々のフライドチキンを一口頬張る。鶏肉がほろほろとほぐれて、口の中に広がっていく。
味付けは10種類ほどのスパイスとハーブ。だが秘伝のスパイスの情報はネットワークに存在していない。おそらく、世界で数人しか知らないものなのだろう。曖昧なデータというアンノウンが、アレクシアの思考回路に侵入する。
じゅわじゅわと良質な油とスパイスの旨味が口の中を満たしていく。少し塩味が強いとはいえ、それが逆に唾液を生み出させる。なんと完成されたレシピなのだと、アレクシアは感心してしまった。
「……確かに栄養バランスが良くないことは認る……んだけど、フライドチキンを齧るというのは、もっと深いところに訴えかけてくれると思うんだ」
フライドチキンを齧るセイジの瞳は、まるで遠い故郷の風景を思い出している旅人のようだった。その言葉を聞きながら、アレクシアは咀嚼を続ける。ぱりぱりとした衣とほろほろの鶏肉が絶妙なハーモニーを奏でていた。
「言いたいことは、なんとなく分かります」
「だろ!? だから、食事を調整させたことは謝るけど、たまにはフライドチキンを齧るって行為は、僕には必要なんだよ」
アレクシアはあまり理解はできていなかったが、こくりと頷いた。
彼の言葉は自分の意志というより、私に伝えたかったことなのだろう、ということは理解できていた。その気持ちを無下にするつもりはない。
この人は、いつもとてつもなくいい加減なくせに、時々、哲人みたいなことを言い出す。それは、新しい知識という刺激になって、悪い気はしなかった。
それからアレクシアは、少しだけ思考回路のOSをアップグレードして、調整した。これまでの『完璧な家政婦』という役割だけではなく、人間らしさとはなにかということについて、考え直すことにした。
フライドチキン——それは、無味無臭のデータに彩られた、アレクシアの新たな世界への招待状だった。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
作者のひとこと
あなたはどの部位がすきですか? サイも良いしキールやリブも……いつも選べないです。
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