短編58「本のかみさま」 本のかみさまはミステリに揺蕩う#1
登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)
あらすじ
ある日、父の経営する古本屋チェーン『ねこのおまもり』の本店に僕は呼ばれることになる。そこで出会ったのは、一匹の不思議な黒猫『リン』。その秘密とは……?
カウンターには、小さなボンベイの黒猫がいた。
「真人、この猫は『リン』。『本のかみさま』なんだ。大切に接して欲しい」
ある日のことだ。父さんの経営する古本屋チェーン「ねこのおまもり」の本店。つまり、自宅がある建物の1階に僕は呼び出された。
その猫を前に、父さんはそう言う。話の流れがまったく理解できない僕はろくな返答もできず、ただその猫を見つめていた。
「真人、あの本取って欲しい」
リンは普通に話しかけてくる。猫が言葉を話せるなんて信じられないけど、その声はどこか懐かしくて、母さんの声に似ている気がした。
その言葉に視線を向けると、先程入荷したばかりの古本の山がそこにあった。
「うん、どれ?」
「その、上から2番目。それまだ、読んでない。この世の中にある本、全部知りたいから」
本を渡すと、リンは本を前足の下に置いて、器用に肉球でページを捲り始めた。その姿は、まるで知識を収集する魔法使いが呪文書をめくっているような、神秘的な姿に見えた。
(本のかみさま……かあ)
「お父さんもお母さんも、本が好きで、好きで、しょうがないんだ」
いつか、そう言われたことがある。実際、2人はいつも本のことしか考えていなかったし、父さんはいまでも本のことしか考えていない。
お母さんがいなくなっても、それは変わらなかった。
父さんは、リンにお守りを預けて首輪につけた。
それは、母さんが大切にしていたお守り。中には、父さんと母さんと僕との写真が入っている。
リンはそれを首輪からぶら下げて、店内を歩く。本棚の迷宮を探索しながら知を追求する彼女は、知らない本を探し出してはカウンターで読む。そんな日常は、本のかみさまらしいなと僕は思っていた。
「山上さん!」
ある日、常連の恩田さんが驚いた顔で父さんに泣きついてきた。手には白い封筒を持っている。
「最近、変な手紙が届いていて、とても怖いんです」
恩田さんは封筒から白い便箋を出す。広げると、有名な一句が書かれていた。
『ほんとうのさいわいは一体なんだろう』
「……宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の一節ね」
それを見たリンが呟いた。ふう、とため息のような鼻息を吐いて、彼女は首を傾げた。
父さんはその手紙を見て、言葉では整理しきれない表情になった。僕も父の戸惑いに釣られ、困惑と共感の狭間にあるような微笑みを返しつつ、その手紙を見つめていた。
リンは前足で髭を整えながら、その様子を見つめている。
……話が理解できない。恩田さんがもらった手紙がどんな意味を持つのか、理解できなかった。
「あれからまた、新しい手紙が届いて」
翌日、恩田さんがまた切り出した。父さんがはいはいと頷きながら、手紙を見つめる。
『ぼくたちは、もう、夢のやうに、すきとほつて、なんにも云へないくらゐ、さびしい、いゝものだね』
「うーん……」
父さんは難しい顔で唸って、手を顎に当てて思案に暮れる。
「……また、銀河鉄道の夜ね」
リンが涼し気な顔で前足をグルーミングしながら、言った。
「一体、どういう意味なんだろう?」
僕は思わず呟いてしまっていた。
1回目は幸福を探している小さな灯火のような手紙。2回目はその答えを探して霧の中を彷徨うような言葉。差出人はなぜ、恩田さんにそんな手紙を送ってくるのだろうか。
視線を天井に向けて、少し考え込む。だが、明確な答えなんて出てくるはずがない。
「恩田さん、なにか心当たりはありませんか?」
「ないから困っていて……」
もっともな意見だ。恩田さんは父さんとしばらく話をしてから、店を出ていった。
「……」
店を出る恩田さんの背中を、リンは見つめ続けている。黄色い眼球はそれを追いかけて、彼の姿が消えるとまたこちらを見た。
「リン、なにか思うところがあるの?」
「うーん……もう少し、情報が欲しい」
それだけ言うとリンは、カウンターの上でくるりと丸まって、瞳を閉じた。
それから数日後、また恩田さんが手紙を手に店に来た。
「これ、見てくださいよ」
白い封筒から便箋を取り出すと、カウンターの上に広げた。
『きっと、どこかで、誰かに、ほんとうに、ほんとうに、みんなのさいはひを祈りながら、その火をもやしてゐるんだ』
「やっぱり、銀河鉄道の夜なのね」
リンが静かに呟いた。
……どういうことだろう?
1通目は迷いの言葉。2通目は想いを伝えて、3通目は幸せを祈っている。
一見繋がっているようで繋がってないそれが、差出人のなにかを伝えているように思えた。
「……恩田さんの家、分かる?」
閉店時間が近くなった頃、リンが言った。父さんは注文書のファイルを開いてぱらぱらとめくってから、リンの前に置いた。
「ふぅん」
リンはいつもの冷静な目つきでそれを眺めると、続けた。
「真人、これから時間作って? 付き合って欲しいの」
それからリンは、にゃあんと猫なで声で泣いた。
夜20時。僕はリンの後をついていくように、恩田さんの家に向かっていた。
行ってどうするんだろう?
僕の不安は、足元にまとわりつく夜の霧のように濃い。だが、先を歩くリンはなにかの確信を持っているように見える。
いや、ぴんと立っている長い尻尾がそう見えただけかもしれない。
「ここね」
集合住宅の前に到着して、僕たちは上を見上げる。2階が恩田さんの部屋らしかった。
それから少し離れて、塀に隠れる形で僕たちは待機することにした。
「……」
リンは、その黄色い瞳で凛として見上げている。その瞳には遠い銀河の星図を映しているかのように、得た知識が詰め込まれているような深さを感じさせていた。それに僕は言葉を挟む余地がないと思って、ただ静かにしていた。
「……動いたわね」
リンが言うと同時に、部屋から恩田さんが姿を表す。手には白い封筒。
それから1階に降りてきて、郵便受けに向かう。それから彼は、持っていた封筒を郵便受けに入れる。
自室の部屋番号の郵便受けに。
「……!?」
僕は思わず腰を浮かせる。同時にリンが飛びかかってきて、僕の顔面に猫パンチを叩き込んだ。
「あ、ごめん。つい反射的に。でも、ばれるから動かないで」
リンはそう言って、悪びれることなく前足を舐める。
「いや、ちょっとまって――どういうこと?」
僕は思わず絞り出す。
恩田さんはなぜ、自分のポストに手紙を入れたんだろう。まったく分からない。
「――真人。私はね、言葉の力を信じている。彼は自問自答して、孤独な自分を肯定しているように見えているの」
リンの言葉に僕は呆けた顔をした。僕には意味が分からないが、リンにはなにかが見えている。そんな気がして、ただ、頷いた。
その翌日。恩田さんが駆け込んできた。
「また手紙が!」
恩田さんが、白い封筒を手に持って店内に入ってくる。父さんはそれを受け取って、封筒から便箋を取り出した。その様子をリンが見守っている。
「――恩田さん」
父さんはそれだけ行ってから、カウンターの下からファイルを取り出した。注文書のファイル。
ページをぱらぱらとめくってから、広げてカウンターに置いた。
それは、恩田さんの注文書。
「恩田さん……今回の手紙で確信が持てました。筆跡が、同じなんです」
恩田さんが取り寄せを依頼した書類の筆跡。それは確かに、彼に届いた手紙と同じだと分かるものだった。
「……」
恩田さんは顔から色彩が失われたように注文書を見て、それから手紙を見て、視線を落とした。彼の表情は、しわがれた無感情を湛えていた。
「その……恩田さん、もし良かったら、話してくれませんか」
その言葉に恩田さんは一瞬固まったようになってからうなだれた。こぼれ落ちる涙は、何年も心の中に降り積もっていた雪が、ようやく春の光で溶け出したかのようだった。僕には、それが彼の中にずっと溜まっていたなにかを洗い流しているように見えた。
「ううっ……僕は、僕なりに頑張ってきたんです。でも、理解してもらえなくて……」
リンは前足を腕枕にしてカウンターに寝転がっていたが、その言葉に反応して、
「だから、無意識に自分への手紙を書き始めた……ってとこかしら」
と、静かに言った。
「ねえ、あれ、出してあげて」
リンが言うと、父さんは頷いた。
「……恩田さん、これ」
父さんが一冊の本を取り出して、差し出した。
宮沢賢治の『注文の多い料理店』。
「あなたは自分自身を愛して大切にすべきだ。まずは、ここから光を見つけるといいんじゃないか」
恩田さんは進められるままに本を受け取ると、表紙を見つめながら、ただ何度も頷いた。
「ねえ、リン」
カウンターに座りながら、カウンター上で身体を伸ばすリンに話しかける。彼女は眠たそうに首を傾げながら、僕の言葉の続きを待っているようだった。
「リンは、毎日が楽しい?」
「うん。本たくさん、読み放題。1日16時間眠れるし」
その答えに僕は思わず微笑んでしまってから、続けた。
「今回はリンのお陰で助かったよ」
「そうでもないわ。真人と、お父さんがご飯くれるお陰」
それに僕は笑ってしまった。
「謙遜しなくていいよ。リンが本に詳しいお陰で助かった。リンは本当に本が好きなんだね」
リンは少し不思議そうに瞼を引き上げてから、少し視線を逸らして、それからまたこちらを向いた。
「そうなの。本が好きなのよね」
むふー、とリンがゆっくりと鼻息を吐く。
「ありがとう。リンはやっぱり、本のかみさまだね」
それにリンは、体毛の奥でひっそりと炎が揺れるような、誇らしげな目つきをした。
「本のかみさまか。まあ、悪くはない響きね」
リンは満足そうにひとつ瞬きをして、僕はついつい笑い返した。
この店には、僕とお父さんと、そして本のかみさまがいる。
きっと、この店は、本にまつわる人々の物語を紡いでいく場所になってくれるのだろう。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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