短編59「カンパリ・オレンジ」 バー・ローズデヴァン#4
あらすじ
迷っていたギャル、エリカ。ある夜、偶然見つけた不思議なネオンに誘われ、地下深くのバーに迷い込む……。
……はぁ。
うち、なにしてるんだろ。
エリカはタクシーから降りると、大きなため息をついた。
家から最寄りのコンビニの灯りは、深夜の住宅街に瞬いていたが、いまの彼女にとってその灯りは強すぎた、と感じていた。
好きな人に振り向いてもらえない。
これがそんなに辛いことだとは。
今日もギャル仲間たちに相談して、泣いて、応援されてしまった。
けれど、うちは、どうしていいか分からなくなっていた。
「もう、いいや。水でも買って帰ろ……」
エリカはコンビニの方に向き直って、入口に向き直る。
「……?」
なにか変なものが見えた。駐車場の隣に高層ビルが立っているのだが、その壁面からなにか光が放たれているのだ。
エリカは思わず近づいて、見上げる。そこには、ピンク色のネオン管が、深夜の闇に一輪の毒々しい薔薇のように浮かび上がっていた。「BAR Rose des vents(バー・ローズデヴァン)」と書かれていて、その下には黒い扉がある。
「へ……? なんでこんなとこに……?」
エリカは少し困惑した顔をする。
「……ま、いっか。あと一杯ぐらい」
彼女はドアを開けて、中へと踏み込んだ。
「いや、マジ、だるいんですけど……」
ドアを開くと地下への階段があった。地下1階ぐらいだと思っていたが、階段は折り返したりくねったりしていて、どのくらい降りたか分からない。まるで過去という名の迷路に誘い込まれていくような、世間の喧騒から切り離される感覚を覚えた。
やがてなんとか入口のドアが見える。ドアを開くと、からんからんと懐かしく感じるドアベルが鳴った。
店内は9席のカウンターと丸テーブルが2つ。椅子はなく、他の客もいないようだった。
「「いらっしゃいませ。お客様も、迷われたのですね」」
どこか人形のような美形のバーテンダーの2人が、カウンターの中から声を揃えて言う。双子なのだろうか。まるで鏡像のように完璧にシンクロする2人の立ち振る舞いに、エリカは思わず身構えた。人間味は感じないが、2人揃って微笑む顔は精巧に作られた人形のように美しく、その完璧さが逆に不気味だった。
薄緑色の髪をアップバングにまとめ、体躯は細い。歴史的な美形像のように整った顔つきをしている。
「「初めてのご来店ですね?」」
エリカが席につこうとすると、バーテンダーが言った。
「うん。初めて」
彼はそれににこりと微笑むと、暖かいおしぼりとコースターを彼女の目の前に置いた。
「「では、当店のルールを2つ説明いたします」」
「ひとつ、未来が見えたら追い出します」
「ふたつ、座り込まないでください」
……?
エリカは露骨に不思議そうな顔をした。
入ったお店で、追い出すなんて説明されたことなんて、初めてだ。
まあでも、いいや。面倒くさい。
「よくわかんないけど、いーよ」
「「ありがとうございます。それでは……一杯目はなにになさいますか?」」
「じゃあ……カンパリ・オレンジで」
右の彼がタンブラーにカンパリを注ぐと、左の彼がオレンジジュースと微量のオレンジ・キュラソーを注ぐ。右の彼が軽くステアして、左の彼がスライスオレンジを添えてから、エリカのコースターに置いた。
タンブラーに口をつけた。まず弾けるのはオレンジの甘さ。
それはギャルとして明るく振る舞う、うちの表面みたいだった。けれど、その後に続くカンパリの奥深い苦味こそが、彼に振り向いてもらえない初恋の切なさそのものだと感じる。
「ん……美味しい!」
理由は分からない。ただエリカは、いままで飲んだカンパリ・オレンジの中で一番美味しい、とさえ感じていた。
「「喜んで頂けて光栄です。……私たちは、バーテンダーのスィエルと申します」」
エリカはグラスを片手に、2人が差し出す名刺を受け取った。
「……?」
少しだけ不思議に感じた。名刺にはBAR Rose des ventsの店名と、『バーテンダー・スィエル』としか書かれていない。こういう名刺は普通、お店の住所や電話番号が入っているものではないかと、エリカは考えていた。
それに、この2人の名刺はまったく同じ内容だ。このよく似た2人は、同じ名前なのだろうか?
「「もしよろしければ、なにに迷われているのか、聞いても良いですか?」」
考え込んでいたエリカは、スィエルたちの言葉ではっと顔を上げる。
「えー……迷ってるっていうか、困っているっていうか……」
エリカは目線を左下に落として、小さな声で答えた。それにスィエルは微笑みを返す。
「マジで好きなメンズいんだけど、いわゆるオタクくんで。振り向いてくれなくて」
そう言う彼女は、眉根を寄せて視線を落としたまま。弱気で、迷いを感じる言葉だった。
「「あなたの良さを、もっと表に出していいのではないでしょうか」」
「うちの……良さ……?」
スィエルたちが指を鳴らすと、店内のスクリーンにエリカの姿が映し出された。
アパレルショップで真面目に働いている姿。
「ちょ、これ、いつ盗撮してたの!?」
エリカの驚きがこもった叫びに近い声に、彼らは人差し指を自分の唇に当てた。
……そっか。うち、頑張ってるよなあ。
売上達成するために、積極的に売り込みをして。
ギャル仲間にも助けてもらって。
「……あんまグイグイ押しすぎてるからダメなのかな? でも、うち、初恋なんよね……だから、どうしたらいいか、よく分からなくて……」
エリカは複雑そうな顔で、うつむいた。
いつも素っ気ない彼と、どう距離をとっていいのか、分からなかった。
「「……待てば海路の日和あり、とも申します」」
スクリーンに彼の姿が映る。
真面目そうな彼はオフィスカジュアルな服装で、エリカの隣で微笑んでいる。でも彼は、エリカが腕を取ろうとすると露骨に嫌がったり、隣に座ると距離を離したり、その度に困ったような顔をしていた。
「よく分からなくて、でも他の方法も知らなくて……」
それだけ言って、エリカはぼろぼろと涙をこぼし始めてしまう。
「「……お客様は、どうしたいのですか?」」
エリカは涙を流しながら、きっ、と視線をスィエルたちに上げた。それから、濡れた瞳の奥に灯る熱をそのままに、口を開く。
「……うちはやっぱ、彼が好き。ちゃんと付き合いたい」
スィエルたちはそれに満足そうに微笑む。
「「未来が見えましたね。それでは、良い旅路をお祈りしております」」
2人が一糸乱れぬ動きでハンドベルを取り出すと、同時にちりりんと鳴らす。突然奥の扉が開き、強面の男性3人が飛び出してくると、エリカの肩を掴んだ。
「え? は? なに?」
「お会計、1500円になります」
肩を掴まれたまま、エリカは会計を済ます。
それから彼女は、店の外に放り出されてしまった。
「……」
エリカは気付くと、コンビニの駐車場に座り込んでいた。なにが起こったのか分からず、ぽかんと口を開いたままで。
先程そこにあった扉は、消えていた。ただの壁。
「……え、えぇ……?」
困惑したままで漏れ出る声をそのままに、エリカは座り込んだままだ。
一体なにが……?
もらった名刺、確かにあるし、飲んだカンパリ・オレンジの味もまだ残ってる……。先ほどまでは切なかった苦味が強かったはずなのに、今はオレンジの甘さが舌に広がり、うちの背中をそっと押してくれている気がした。
「……考えても仕方ない。水買って帰ろう……」
エリカは不思議そうな顔のまま、立ち上がった。服をぱんぱんとはたいて、コンビニの入口に向かっていく。
……うん。前向きに、彼と向き合おう。
この苦味を、もう一度甘さに変えるために。
うちは自分の気持ちに嘘はつけない。
ギャル上等、初恋上等!
ただ自分の信じる道を突き進むしかないのだと、エリカは強い決意を抱いた。
カンパリオレンジの空はまだ、よく混ざっていなかったから
標準的なレシピ
カンパリ - 45ml
オレンジジュース - 適量
作り方
1.氷を入れたタンブラーに、カンパリ、オレンジ・ジュースを入れ、ステアする。
2.スライス・オレンジを飾る。
なお、イタリアでは、カンパリとオレンジジュースだけではなく、さらに微量のオレンジ・キュラソーを隠し味に加えることで、味にコクとふくらみをつけている。
カクテル言葉
「初恋」
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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