見出し画像

短編56「喉がね、渇くの」 1/2

あらすじ
「お父さんとお母さんは、私のこと、見えてない!」
進路の重圧と家庭の不和が生んだ、高校三年生・江里の「渇き」の物語。

 水が、甘い。

 別に喉は渇いてないけど、毎朝の日課。
 水道水をコップに注いで、一口飲む。

 やっぱり、いやに甘く感じた。
 不思議に思ってもう一口飲むが、やはり、甘い。砂糖や蜂蜜のような甘さではなく、舌の上をするりと撫でていくような、まろやかな甘さ。
 なぜなんだろう。私の身体は、なにかを訴えているのだろうか。

 不安になってネットで調べてみる。単なる脱水症状や、味覚障害というパターンが多いそうだ。糖尿病という可能性はさすがにないだろうと思って、ブラウザを閉じた。

 ばたばたとした足音が聞こえて、母が玄関を飛び出していく。父はもうすでに出勤していているはず。
 相談したいことがあったのだけど、無理そうだなと、私はすぐに諦めた。

 高校に向かう。それからいつものように授業を受けて、終わって、クラスメイトたちと雑談を始めた。
「そういえば、江里えりは進路どうすんの?」
 クラスメイトの宏行ひろゆきが私に問いかけてくる。どこか幼さの残る彼は、高校3年生になって初めて同じクラスになった。裏表がなく中性的な感じがする雰囲気からか、話しやすい存在だった。
「私……実はまだ決めかねてて……」
「江里は、看護師になるんじゃなかったの? 前からそう言ってなかったっけ」
 そこに入ってくるのが、同じくクラスメイトの朋代ともよ。高校1年からずっと同じクラスで、話しやすい友達の1人だった。
「うん、看護師の資格は取るつもりなんだけど、資格があればできることが多いから。どんな仕事がいいのか、どんな業界がいいのか、考えている最中なの」
「そうなんだ。江里はちゃんと考えていて、凄いなあ」
 宏行が素直な驚きの表情を見せる。
「ありがとう。でも、もう進路決めてる2人の方が凄いよ」
 私はそう言って、眼の前で手のひらを左右に振る。
「宏行は大学で法律を学んで、朋代は調理師。進路がはっきり決まってて、すごいと思う」
「いや、うちは親が弁護士で、子どものときから憧れてたからな」
 宏行はむず痒いような、照れくさいような表情で、笑いながら言った。
「そうそう。私だって、好きなことをしたいだけだもん」
 朋代は楽しそうに笑って、本当に嬉しそうに、そう答えた。

 私はそれに微笑みを返す。
 喉の乾きを感じて、ペットボトルの水を一口飲む。

 帰り道、3人で近くのコンビニに立ち寄ることにした。宏行がスイーツコーナーで商品とにらめっこしている。
「え、宏行甘いもの食べるの? なんか意外」
「そうかな? 最近なんか、甘いモンがやめられなくて」
 言って宏行は笑って、また並んでいる商品に向き合った。
 へえ、と私は意外そうな声をあげる。彼もなにかに依存しているんだな、なんて思うと、共感を感じて距離が近づいたような気がした。
 楽しく買い物をしていても、喉の乾きは続いている。
 水を買って飲むと、喉を通る冷たさが心地よかった。

「〜〜〜」
 自室で勉強をしていると、1階のダイニングから声が漏れてくる。またお父さんとお母さんが口論しているのだろうと、私は思う。
 2人の声はまるで重い鉛の玉のようだった。家庭という安息の場所が戦場になっているような恐怖に襲われる。小さなため息が口から漏れた。
 お父さんとお母さんは特別仲が悪いというわけではないのだが、江里の進路についてはお互いに持論があり、それがぶつかっている。高校2年生ぐらいからこうだから、かれこれ1年近くこの調子だ。

 ……それまでは、3人でテーマパークに旅行に行ったり、仲良くやれていたはずだ。それが、私の進路のせいでこんなことになってしまっていることが、申し訳ないと思う。
 もちろん、自分のことを真剣に考えてくれていることには感謝しているのだけど、私のことで2人がケンカするのは違うんじゃないかなあと思っていた。

 それは、私と向き合ってくれているということとは違うと思う。
 大きなため息をついて、うつむいた。

 どちらにせよ、勉強を進められる状態ではない。それに、一緒に食事したい気分にもならない。
 私は与えられた食費を持って近くのスーパーに向かい、簡単な軽食を買って部屋で採ることにした。 こういう時は、喉は乾かない。カレーパンとデザートを買って、私は部屋に戻った。

『江里が悪いわけじゃないと思うよ』
 スマートフォン越しに聞こえる朋代の声は、私の心を少しだけ安心させてくれた。
「そうなんだけど……ちゃんと進路決めてない私にも、問題があるから……」
『それもそうかもしれないけど、一言で看護と言っても業界広いじゃん? 保健師や助産師、養護教諭とか……それを簡単に決めろと言うのは、無責任だって私は感じちゃうかな』
 朋代の言うことも、確かに一理ある。迷う必要がなければ、私はそもそも迷っていない。

 私の未来は、大きく開かれている。
 でも、選択肢が多すぎると、人は選べない。いわゆる決定回避の法則とか、ジャムの法則とか呼ばれているあれだ。
『でも私は、江里がどんな選択をしても応援するよ。頑張ってね』
 朋代の言葉は、いつも優しい。
 でも、根本的解決にはならないと、私は気づいている。
 通話を終えてから、乾いた喉を潤すために、水を飲んだ。

 翌日、いつも通りに朝から登校して、放課後を宏行と朋代と過ごす。私たちはこういった青春を浪費することが、いつもの日常なのだと理解していた。
 また喉が乾く。

 帰宅してドアを開けると、ダイニングからケンカの声が聞こえてくる。あ、まずいところに帰ってきちゃったと、私は覚悟を決めた。
「……ただいま……」
 帰宅したのは気づかれているだろうから、挨拶をしないわけにはいかない。
 腕を組んだお母さんとお父さんが正面から向き合っているという、最悪の現場に立ち会ってしまった。

「江里、進路は決めたのか?」
「ええと、まだ決めきれなくて……」
 お父さんがいきなりそう言うのに、私はそれだけ絞り出した。強い言葉は私の心をきゅっと掴むみたいで、完全に萎縮してしまう。
「江里、もう6月よ。早く決めなさい」
 お母さんも強い口調で言うと、私は小さく頷いた。

「江里は高学歴の大学に行かせる」
「またその話? 看護師なら専門学校の方がいいじゃない」

 ……また始まってしまった。
 私はそんなことを考えながら、ぼんやりと見ていた。

「いいか江里、なるべく良い大学に行くんだ。その方が絶対、人生が豊かになる」
「そんなことより、早く社会に出て学んだ方がいいわ。学校では学べないことを社会で学んで欲しいの」
 どちらの言い分も間違ってないと思う。色々な考え方があるのだろうことは私も理解できる。

「早く決めなさい」
「すぐに」

 ぽろぽろ。急に悲しくなって、私は涙を流し始めてしまった。
 2人の言葉は私の心に刺さる。裏側にあるはずの愛情は、見えなくなっていた。

「お父さんとお母さんは、私のこと、見えてない!」
 私はそれだけ言って踵を返す。まるで、胸の奥で巨大な風船が膨らんでいて、それがいまにも破裂しそうな感覚。
 玄関のドアをわざと、ばん、と大きな音を立てて閉じて、家を飛び出してしまった。

「そんで、家出てきちゃったのね」
 朋代の部屋。膝を抱えて座り、目元を拭いながら何度も頷く私に、朋代が驚いた顔で言った。それからよく冷えたペットボトルを渡してくれる。
 私はそれを受け取って、キャップを外す。いやに喉が渇いていると気づいて、水をぐいと飲んだ。
「宏行も心配してたよ。後で来るって言ってた」
「え? 宏行まで巻き込んじゃった……」
「だって、当然じゃない。大切な友達が悲しんでるんだから、慰めてあげたいってなるでしょ」
 それは嬉しいことだけど、同時にひどく気恥ずかしくなってしまう。私はハンカチを顔に当てて、ちん、と鼻を噛んだ。

「お待たせ。江里、朋代、プリン食べようぜ」
 コンビニ袋を持って、宏行が現れる。ちょっと唐突な登場に、私と朋代は思わず笑ってしまっていた。
「……? なんだよ、なにがおかしいんだ?」
 当の宏行はこの空気が理解できないようで、不思議そうな顔で腰を下ろした。
「普通のプリンと、かぼちゃと、抹茶。好きなやつ、食べなよ」
 彼は袋からプリンを取り出しながら、そう言った。
 私たちの笑いは止まらない。それに宏行はまた、不思議そうな顔をした。

「江里、あんま難しく考えんなよ」
 私がかぼちゃを、朋代が抹茶を取ったので、宏行は普通のプリンを頬張りながら、切り出した。
「お前が信じた道を行けば、いいと思うからさ。ちゃんと、両親と話した方がいい」
 彼の言葉に、私は大きく頷いた。私のことを心配してくれているのも、気遣ってくれているのも、伝わってくる。
 喉が乾く。私は水を一口飲む。口の中はプリンの甘さで一杯だった。

 私はきっと、緊張しないで良い、安心した環境が欲しいのだ。
 その中でだけ、緊張が緩んだ時だけ、私は喉の乾きを感じられるのだろう。


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
もし気に入っていただけましたら、スキやチップの応援を頂けると励みになります。
また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

#短編小説 #小説 #ライトノベル #ファンタジー #創作 #note小説 #スキしてみて #水 #味覚 #進路


いいなと思ったら応援しよう!

今津 風色 よろしければ応援お願いします。 いただいたチップは資料の購入費用、取材費などの活動費として有益に使わせていただきます。

この記事が参加している募集