短編55「動かない時間の下で」 黒猫の日常#3
あらすじ
BBQで孤立していた「カイ」は、万能肉焼き機と化す「ねこにゃん」に強引に輪へ巻き込まれて……。
彼女は、夜空に溶け込むように消えていく。
「はいはい! 『ねこにゃん』でーす!」
集まった面々の楽しそうな笑い声が、夜空に響いていた。
酒好きが集まる匿名のオンラインチャット。ある日誰かが「寒くなる前にバーベキューしようぜ」と言い出して、土曜日の夜に10人ほどが集まり、高層ビルの屋上のバーベキュー場に集合した。幹事を中心に、バーベキューセットの準備や火起こしが行われている。
それを僕は、ぼんやりと眺めていた。
秋の空は静かで、吐いた息が飲み込まれると錯覚する。このまま上を眺めていたら、そのまま吐いた息ごと吸い込まれるんじゃないかと思った。
僕は、カイ。
今夜は予定もなく、なんとなく参加した。たまにはこういう人の集まる場にでも行かないと、会話の仕方を忘れてしまいそうだという、妙な不安感が背中を押した。
やがてバーベキュー台は熱い炭で温められて、格子状の網が熱せられていく。暗い夜に炭の赤さが灯り、少しだけ温かい気持ちになった。
「はい、焼きますにゃ!」
両手にトングを持って、いきなりねこにゃんが現れた。セットの準備や火起こしの間はどこでサボっていたのか分からないが、待ってましたと言わんばかりの登場に、周囲の歓声が響く。
僕は用意されたクーラーボックスに手を突っ込み、缶のレモンサワーを取り出す。ぷしゅ、と開いて、一口飲んだ。それからバーベキューセットから少し離れた席に座って、もう一度レモンサワーを流し込む。
「まずは時間のかかる野菜から! はいそこ、勝手に肉を乗せない!」
まるで人が変わったようにすっかり仕切っているねこにゃんに、僕は思わず笑ってしまっていた。
僕はねこにゃんのことはあまり知らない。チャットで話した記憶もないし、どんな人かも知らなかった。
彼女は猫耳をイメージしたのか、長い黒髪を左右でシニオンにまとめている。黒色の長袖ワンピースは猫耳付きのフードがあり、袖とスカートの裾には白いレースがあしらわれている。膝上の黒いオーバーニーソックスを着て、その上に猫の柄があしらわれた、黒いエプロンを巻いていた。全てが黒猫を連想させる姿。
……というか耳多すぎない?
マイエプロンをわざわざ持参したの?
僕はそんな疑問を覚えながら、その光景をぼんやりと見ていた。
「最初は脂身の少ないタンから」
言って彼女は薄切りにされた牛タンを手際よく並べていく。じゅわじゅわと焼き上がってくねりだす前に、手際よく裏返す。それから周囲の人達の皿に、ささっと渡していった。
「次は、ロース」
一口大にカットされた赤身肉を網に並べていく。片面をしっかり焼いて火を通すと、頃合いを見てひっくり返した。
「はい、ロースが焼けるまで野菜食べててね!」
それに参加者たちが歓声をあげる。もはや万能肉焼き機と化した彼女を止められる者はいない。
「お待ちかね、カルビ!」
しっかりとサシの入った赤身肉を並べていくと、脂の焼ける良い匂いが広がった。
不意に、垂れた脂が燃えて炎が上がる。だがねこにゃんは動じない。クーラーボックスから氷をいくつか取り出すと網に乗せて、脂を流し落としていく。
「おお……」
見ていたギャラリーたちが、湧いた。まるでなにかの料理番組みたいだ、と思いながら僕は眺めていた。
「はい」
不意に声をかけられて僕は視線を上げる。
紙皿にカルビを乗せて差し出しながら、ねこにゃんが僕を見下ろしていた。よく分からないまま、受け取る。
「みんなで食べた方が、美味しいにゃん」
言うが早いか、彼女は僕のシャツの裾をぐいっと掴むと、みんながいる中央に向けて引っ張る。そのまま僕は、引っ張られていってしまった。
「乾杯、しよ?」
彼女はクーラーボックスから取り出したレモンサワーを見せつけて、ぱしゅっと開けると、僕の缶にぶつける。
「ねこにゃんも、レモンサワー好きなんだよね」
嬉しそうにごくごくと飲んでから、ぷはぁっ、と大きな息を吐いた。その息は、秋空に吸い込まれていく。
その姿がまるで空を見上げる黒猫みたいで、僕はカルビを頬張りながらそんなことを考えていた。
「ねこにゃんは、なんで今日参加したの?」
「なんとなく」
僕は思わず吹き出してしまう。動機は同じなのに、スタンスの違いに笑ってしまった。
「ねえ、名前は?」
「僕は、カイ」
「そっか。カイもせっかくなので、今日という夜を楽しむにゃん」
彼女が微笑みながら言うのに、僕は思わず笑ってしまった。
秋の夜に佇む黒猫は、それににんまりと笑い返す。
「その……肉はもう焼かないの?」
僕が言うと、ねこにゃんはバーベキューセットに視線を向ける。参加者が好き好きに食べ物を焼いていた。しかし彼女はそれを冷静に見て、それから、もう一度僕を見た。
「もう飽……いや、ねこにゃんがみんな焼いちゃったら、悪いにゃん」
これほど嘘を言えない人も珍しい。
まあ、バーベキューセットの上ではころころとしたホルモンやふわふわなレバーなどが並べられていて、赤身肉はもう終わっているようだし、彼女はそれに興味がないのかもしれないな、と思った。
「秋の空って、好き?」
ふとそう思って、僕はねこにゃんに聞いてみた。彼女は「?」という顔で振り向いて、レモンサワーをもう一口飲んで。それから、
「この静かな感じは好きかな」
と、そう言った。嘘のつけない彼女のことだ、きっと本心なのだろう。
「……僕は、秋空が好きなんだ。なにかが始まるわけでも、終わるわけでもなく、ただ流れているような感じが」
「あー……言いたいこと、分かるかも。時間が動いてない、とでも言えばいいのかな」
彼女の答えに僕は満足して、微笑みながらただ頷いた。
「さて、っと」
飲み終わったレモンサワーの缶をくしゃりと握りつぶして、彼女は切り出した。
「じゃ、ねこにゃんはもう帰るね」
僕は思わずぽかんとした顔をしてしまう。でもそれから、なんとなく理解して笑ってしまう。
「片付け、参加したくないんだ?」
「正解にゃ!」
彼女は笑いながら踵を返して、そのまま立ち去ってしまった。
……一体、彼女はなんだったんだろう。秋空が見せた夢の一部だったんじゃないかと、疑ってしまう。
ちょっとだけかもしれないけど、もう少し、前に進むことも悪くないのだと、僕は思っていた。
「まあ、いいか……」
僕はそう呟いて、また空を見上げた。
またいつか彼女に再会することがもし、あるのなら。
またレモンサワーを飲みながら空を見上げて、話がしたいなと思っていた。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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