短編27「書店員の君がくれた、未来へのあらすじ」
あらすじ
子どもの頃の夢だった漫画を描き始めた古谷。書店員の並川が薦めてくれた恋愛漫画で、創作への新たな情熱を見出す。
右手に伝わる液晶ペンタブレットの感触。ディスプレイから発せられる光。BGMとして流れるラジオ。傍らに置いたコーヒーの香り。
俺はただ、描き続けている。
気づけば部屋が真っ暗だ。昼食用に買ってきたコンビニエンスストアのサンドイッチは、水分を失って乾き始めている。
「よし、今日はこれぐらいかな……」
いい大人になっても、子どもの時のように夢中になれる自分は、ちょっとだけ誇らしい。
俺、古谷 創一は先月、新卒から10年働いた会社を辞めた。新卒特権でとにかく大手企業を狙い、営業職として無事に入社した。
有給休暇を消化しながら好きな漫画を読み漁っていると、子どもの頃を思い出した。ずっと漫画が好きで、いつも読みふけって気づけば夜になっているというパターンが多かった。クラスではゲームが流行っていたけど、俺はずっと図書館の漫画コーナーに入り浸っていた。小学校の卒業文集には「漫画家になりたい」と書いていたことを思い出す。
再就職できるまでしばらく時間があるだろう。俺はそう思って、昔の夢と向き合ってみようと思い立った。制作環境の構築は結構大変だったとか、そもそも才能があるのかなど、不安は尽きない。でも、いまはそれを考えない。
大人の夏休み、そんな気分だった。
テキストエディタでプロットを書いて、紙でネームを切って、パソコン上でタブレットを使い下書きを書いていく。清書して、背景素材と合成して、フキダシとモノローグを入れていく。テキストはゴシック体の漢字と明朝体の平仮名を合わせた定番のフォントだ。
(……うん、完成まではあと3日ぐらいかな)
カーテンを閉めてから進捗を見直して、カレンダーを見ながらだいたいの見積もりをする。
(……で、完成したらどうしよう)
正直そこまで考えていなかった。子どもの頃に感動してヒーローものを目指して描いた漫画。受け入れてくれる雑誌やWebメディアに片っ端から当たるか……。
ふと、カレンダーに、今日という日に赤丸がついていることに気付く。
そうだ。ずっと追いかけている漫画の最新刊が本日発売日だった。俺はぱっとシャツを羽織ってパンツを履くと、近くの書店へと出かけた。
6階建ての小さな駅ビルの2階に、いつもの書店がある。仕事帰りのサラリーマンが増え始めるこの時間に、古谷は書店へ入った。
「お、出てる出てる」
入口近くに平積みされた新刊の山を見て、最新刊39巻を引っ掴む。それから店内を歩きながら、参考になる書籍がないかな、と見回していた。
「あら、古谷さん。今日は新刊の発売日だから、絶対に来ると思っていたわ」
店員の並川の声に、古谷は振り向く。彼女の笑いじわは、安心感の塊だ。恐らく俺より少し年上なのだろうが、人生経験から来る優しさが溢れている口調だ。髪は腰ほどまであり、それを1本に縛っている。書店員のベテランというより、安心感のベテランとでも言えば良いのだろうか。
「いやー、だって前巻のラストのヒキ、やばかったっすもん。今日がどれだけ楽しみだったか、分かんないっすわ」
それに並川はいつもの笑顔で、優しく笑う。
「分かるわ。……そういえばいま、漫画描いてるって言ってたわよね。進んでる?」
「そうっすね、3日後ぐらいには。少年向けヒーローものなんすけど」
「へえ」
並川は微笑んで、少し考える素振りを見せる。彼女のデータベースには世の中の様々な漫画が記録されている。どうやらそこにアクセスしているようだった。
「そうね……じゃあ、恋愛もの、読んでみたら? いまの時代は勧善懲悪ものより、敵側も複雑な事情があることが多いでしょう。そういった繊細な話を学ぶために、恋愛ものを読むといいと思う。これ、おすすめ」
「恋愛ものか……」
古谷は少し考え込んでしまう。
仕事に夢中になりすぎて女性からのウケはよくなかった。最後にパートナーがいたのは何年前だったか思い出せないし、顔も忘れている。
並川が恋愛漫画の棚から取り出したのは、『三日月の夜、彼女がくれた永遠』という漫画だった。中性的な絵柄で読みやすそうだと古谷は思う。
「これ、いま人気あるのよ。私からのお薦め」
古谷はぱらぱらとめくってから、並川に視線を戻す。彼女はにっこりと笑って、
「お薦め」
と、念を押すようにもう一度言った。
「……分かったよ、ありがとう。買って帰って、後で読むから」
古谷は並川に挨拶をしてから、技術書の棚へと向かった。
「恋愛漫画ね……」
最後にした恋愛も忘れているような俺が、読めるんだろうか?
そんな疑問を持ちつつも、並川から薦められた『三日月の夜、彼女がくれた永遠』を開く。2人の男女の恋愛ものだ。三日月の夜に起こった出来事がきっかけで、2人は永遠の愛を誓い、運命と戦う決意をする。そんな話だった。戦いの中、心が折れそうになる主人公。それを支える忠臣とヒロイン。彼らは、三日月の元で誓いを立てて儀式を行う。この戦いに勝利するために――。
――気づけば俺は、漫画を読み切ってしまった。
……あれ?
めちゃくちゃ面白かった。とくに2人の感情が揺れ動いて、障壁に立ち向かっていく姿がカッコいいと思った。ヒーローものと同じカタルシスがあった。なんだこの湧き上がる感情は。言葉にできない。
興奮した俺はなかなか寝付けず、いつもより数時間遅く眠りについたのだった。
翌日。いつもの書店に、朝から古谷は訪れていた。店内を見回して、並川を見つけると早足に向かう。彼女が挨拶をする前に、
「めっちゃ面白かったです。ヒーローものと同じカタルシスを感じました!」
と、素直な想いをぶつけた。
「ふふ、そうでしょ? 古谷さんは繊細な感情もちゃんと感じ取れる人だと、私は思ってたから」
「並川さん、他にもお薦めあったら、教えてください。あなたの勧めるものなら、なんでも読みます」
「うふふ、そうね……」
彼女は言って恋愛漫画の棚へ向かう。それに古谷は素直に着いていった。
「これと、これと、これと……」
あっという間に積み上がっていく漫画の山。古谷はその動きを目で追っていたが、目が回ると錯覚するほどだ。
「……はい。これで全部」
古谷の手に10冊ほどの漫画を積み上げた当の本人は、いつもの優しい笑顔で微笑んでいる。なんという書店員の鑑。
「ねえ、古谷さん。もし、これを読んで恋愛漫画を描きたくなったら――」
彼女はいつもの微笑みで、続ける。耳にかかった髪を右手でかき上げながら。
「その時は、教えてね。絶対に、独占取材して欲しい。応援、してるからね」
微笑んで言う彼女に、古谷も微笑み返す。
これからも夢を追い続けると、思わず答えていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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