短編28「天井のない世界へ」
あらすじ
自由奔放な天は、屋上で出会った担任の柏木のかつての夢を知る。それを知った天は、彼の夢を背負うように宣言して、2人の夢は空の下で繋がっていく。
どこまでも広がる、朝の空。東の空が赤く見えて、朝焼けの空が眼前に広がる。
私は毎日、早起きして日の出を見る。その時間はとてつもなく楽しい毎日の始まりで、壮大な1日の幕開け。それは毎日の儀式みたいなものになっていた。
いつからこんな生活になったのかは、正直よく分からない。
けど、私の名前は和泉 天。その影響があるのだとは思っている。私にとって空とは、生まれついた時から運命づけられたものなのだと。
明るい日差しが注がれていく。そのどこまでも続く空の下で、私は制服に着替えて鞄を持って、学校への通学路を歩み始めた。
高校のお昼休み。天はお弁当箱を持って、職員室に向かう。適当に挨拶しながら、担任の柏木先生の席へと。
彼は天の姿に気付くと、うげ、と露骨に嫌そうな顔をした。
「おい、和泉――」
「柏木先生。屋上行きたい」
席に座ったままの柏木は、嫌悪感と困惑の合わさった怪訝そうな顔で天を見つめて、動きが止まっている。
天よりも低い身長で小柄な彼は、お兄さんと呼ぶほど若くはなく、おじさんと呼ぶほどの年齢でもない。社会人経験者採用枠で採用されて3年目で初担任を任せられたらしいので、若くても30歳前後といったところだろうか。
「またかよ和泉、あのなあ……」
柏木は、口に割り箸を咥えて、右手には蓋を閉じたカップラーメン。器の隙間からは、熱そうな湯気が漏れ出ていた。
「いまカップラーメンにお湯入れたとこなんだ。なあ、分かるだろ?」
「はい、分かりました。屋上の鍵、開けてください」
天は心からの完璧な笑顔。柏木はまるで日本語が通じない存在を見つめるような視線で、天をにらみつけた。それからわざと聞こえるように大きなため息をついて、「俺の教育方針、間違ってんのか……?」と呟いてから、カップラーメンを持ったまま、面倒くさそうに立ち上がって鍵を取りに行った。
「うわー!」
屋上の鍵が開いてすぐ、天は駆け込んでいく。
屋上は高いフェンスに囲まれているが、それでもとても広く、奥に長い。50メートル走ぐらいはできそうで、天は歓喜の声をあげながら、走って行った。
入ってしばらく行くと、ベンチが置かれている。長年雨ざらしなので清潔さは感じられないが、まだ使えそうだ。
天はその近くまで走って行くと、大の字になって床に寝転がった。
「……はあ、もう」
柏木は諦めたような声でベンチに座る。カップラーメンの蓋を開けて、「やっぱ、のびてんな……」と呟いてから、箸ですくった麺をすすった。
「んー……空、どこまでも広がってる」
天は独りごちて、空を見上げている。見上げた視界にはフェンスもなく、大きな建物も入ってこない。
ただ、広い空が広がっていた。雲と、空と、ただそれだけの情報量。たまに飛ぶ鳥や飛行機がちょっとしたスパイスを与えている。
それが全てで、天はただ、それに身を委ねていた。
「お前……そういえば、進路とか決めたのか?」
「ううん、まだ」
柏木が教師としての務めを遂行しようとするが、天は即答で否定する。
「3年になってからだと遅いぞ。2年のうちに将来考えとけよ」
「そうだなあ……柏木先生みたいな、ダメ教師になるのも面白いかな」
天が空を見上げながら、からかうようなことを言う。柏木はそれに頬をかくと、
「お前な、担任をダメとか言うな。それに……」
と言ってから、言葉を一度切った。
「……俺にだってな、熱い時期があったんだぞ」
天は目を広げて、首を後ろに倒してベンチの柏木を見る。
「俺、パイロット目指してたんだよ」
柏木は目を細めて、空を見上げた。
……俺は、大学を卒業後、国内唯一の公的パイロットの育成機関、航空大学校に進学した。高い倍率を超えて運良く入学できたのだ。
「けどな、検査で聴力に異常があることが判明してな。色々と治療したけど、俺の場合は手術しても改善が見込めないやつだった。だから、この経験が誰かのためになるならと、教師になった」
まるで今日の天気でも朗読するような、抑揚が抑えられた感情のない柏木の言葉。言ってから彼は、ずるずるとカップラーメンをすすって、その音に言葉がかき消されたような気がした。
「柏木先生も、広い空を見たかったの?」
「そうだな。俺にとって空はどれだけ手を伸ばしても届かない存在だ。だからこそ、挑戦したかったな」
それに天は答えない。いや、答えが分からなかったと言ったほうが正しい。
予想外に深い事情が現れたことで、天は言葉を失ってしまっていた。
「あとさ、和泉。俺の名前知ってる?」
「……ひろたか? でしたっけ?」
「明らかに興味ないだろ、和泉。『大空』って書いて、ひろたかって読むんだよ」
天は思わず、地面に手をついて上体を起こして、柏木の顔を正面から見つめてしまった。
「……そんなこと、あります?」
「それがあるんだな。俺も和泉と同じで、名前に引っ張られてるのかもな」
天はその事実に驚愕して、動けなくなってしまう。
担任の名前を知らないのはどうかというツッコミもあるかもしれないが、その事実は彼の諦めた夢と、その熱量と相まって、胸の奥にじんわりと響いている。
……空を目指す。
そんなこと、いままでちゃんと考えたことがなかったと思う。
未知への探求心を追い求めたり、誰かを照らしてあげたり。もしかして、空に昇れば、そういったことができるのかもしれない。それはいつしか、私のワクワクに変わりつつある。
そうだ。思いついた。
「……じゃあさ。私、宇宙飛行士になってあげる」
「……はあぁ?」
柏木はカップラーメンのスープを飲みながら、吹き出しかけて、かろうじてそれだけ言葉にした。
「……なんでそうなる?」
柏木がもっともな言葉を続ける。天は少し考えて、視線を逸らして、なんとも言えない顔をした。それから、右手を自分のみぞおちに当てて。
心の中に生まれた、これまで感じたことのない強い衝撃。煌めく瞳には、無限に広がる空が映っていた。
「先生の夢、私が叶えたげるよ。空好きだし、先生の夢も好き。だから」
「……お前なあ……」
柏木は言葉を失って、ただそれだけ言った。表情は呆れているのか、呆けているのか、分からない。
……もし、この空を。そして宇宙を。自由に飛び回れたら。
きっと、誰かに、前向きな気持ちを分けてあげられるかもしれないから。
「いつか迎えにきたげる。天井の低いこの世界で腐りかけた柏木先生を、励ましにきたげるよ」
天がそう言うと、柏木はなんとも言えない笑い声を漏らす。
でも、彼の瞳は揺れていた。忘れかけていた熱い熱が、再び灯り始めたように見えた。
「そういう未来も、悪くはないか……」
柏木は、麺のなくなったカップラーメンを持ったまま、静かに空を見上げた。
ずっと、届かないと思っていた空。
いまの彼にとっては、目の前の生徒が夢を描く、新しい可能性を秘めた輝かしい世界に見えていた。
「まあ、期待しないで待っとく。……ほら、そろそろ昼休み終わるぞ。というか和泉、弁当食べなくていいのか?」
柏木が腰を上げると、天は慌ててそれを追いかける。
「あ。お弁当、忘れてた。じゃあこれ、柏木先生にあげる。晩ごはんにどうぞ」
「……和泉……いや、食費的には有り難いけど、なんかそうじゃない感があるぞ」
いつもの空は、どこまでも広がっていた。
屋上から階段室へ向かう前に、2人はもう一度空を見上げた。どこまでも広がる空。
2人の夢は、その空の下で確かに繋がっていた。受け継がれた夢は、これからどこまで向かうのだろう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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