短編29「怠惰な私の再定義」
あらすじ
怠惰をこよなく愛する26歳の歩は、システムエンジニアを目指す職業訓練校で、AIを使いこなす年下の男性と出会う。彼の壮大な夢は彼女の怠惰を再定義し、自分らしい形で未来へ歩み出すきっかけとなる。
おうちでごろごろ。
ネトフリ。アマプラ。メルカリ。そういったものが私を誘惑している。
私はそれに勝てず、いや、勝つつもりもなく、ただお布団の中で過ごす。
その事実は、私の歩という名前に負けてるなと、少しだけ思っていた。
朝になってとりあえず起きると、洗面台で歯を磨いて顔を洗う。タオルで顔を拭く自分を、冷静に見つめる。
(……肌の調子は悪くない。まあ、しばらくメイクしてないからなあ……)
鏡の中の自分を見つめる。毎日起きて、顔を洗ってお布団へ。お昼を作って食べて、お布団へ。夜は……以下略。これは、26歳のうら若き女性の日常としてどうなのか。
こんな毎日に多少の不安は感じている。仕事を辞めて、もう5ヶ月経ってしまった。失業手当があるから生活はできているけど、この期間は無限じゃあない。
就活はしているけど、やりたいことのハードルが高すぎて、私は疲れていた。心が少し拗ねていたのかもしれない。
私は、前職とは完全に異業種であるシステムエンジニアを希望していた。
怠惰な私は、できることは自動化したい。見たいドラマの情報を自動的に収集してくれるとか、スケジュールを自動的に登録してくれたりとか、面倒な手作業を減らしてくれるものを求めている。
自動化……なんと甘美な囁き。
もちろん職業訓練学校に通いながら勉強を続けている。
でも、このトンネルはいつ抜けられるのか……漠然とした不安は、いつもそこにいた。
翌日。職業訓練の委託を受けている民間教育機関での訓練に向かう。場所は最寄りの専門学校で、指定された教室に向かって席につく。
面倒なのでノーメイクだった私は、空いている席に座って開始を待つ。席にあるデスクトップパソコンを起動して、指定されたパスワードを打ち込む。参考書を開いて、前回習ったことを見返していると、講師が教室に入ってきた。
(……むっずう……)
ホワイトボードに書かれた公式を必死にノートに書き写し、プログラミングソフトにコードを打ち込んでいく。
……動かない。どうやって解決したらいいんだろう? 私、いったいなにをしてるんだっけ?
全てが絡み合って、ほぐれなくなり、自分がいまどこに立っているのか分からなくなる。
ふと、隣の席に座る男性を見る。彼はメモを取ってはパソコンのキーボードを叩いてから、深く頷いている。真面目な視線は、彼の誠実な人柄を表していた。
たぶん、年下だなと思う。清潔感の塊みたいな人で、黒髪はぴっちりと切り揃えられて、白い襟付きシャツに紺色のスラックス。オフィスカジュアルの見本のようなその姿は、どこか独立した存在に見えて、私はなんとなく素直な言葉を口にしていた。
「どうしてそんなに、コードがすらすらと書けるんですか?」
男性は不意をつかれて少し驚いた表情を見せて、それから一度軽く咳払いをしてから話し始めた。
「あ、いえ。実は僕、すごく面倒くさがりで。AIが活用できるところは、自動的にコード書いてもらっています」
彼のパソコンの画面を覗き込むと、プログラミングソフトの横にAIのウインドウが開いている。傍からはコードを打ち込んでいるように見えたが、どうやらプロンプトを打ち込んでAIに出力させて、それをコピペしていたらしい。
「あ、いいですね。私も面倒くさがりで。将来はどんなエンジニアを目指しているんですか?」
それに彼は優しく微笑んで、了承を伝える笑顔を見せた。
「分かります、僕も将来的にAIで自動化できることは自動化して、社会問題を解決するベンチャーを立ち上げたいんです。そのために、プログラムとAIをマスターしたいんです」
「社会問題……?」
「昔、不登校だったんです。でもいまは不登校とAIを結びつけて子どもたちの不安をキャッチアップするプロジェクトがあるんです。あとは、僕もいつか直面する高齢化問題とか。そういうのをAIで解決したいんです」
……なんてキラキラした瞳で言う人なんだ。確か昨日見たドラマにこんな人がいたと思う。私はその瞳に吸い込まれると錯覚する。
彼と話していると、なんだか自分が恥ずかしくなってくる。彼は私より何歩も先を歩いている。怠惰を貪る私とは違って、広い世界に挑戦しようとしている。
頼もしい。そういう人が近くにいることが、私には頼もしく、誇らしいことのように思えた。
そんなことを考えていると、訓練時間が終了する。参考書を片付けてから、彼に声をかける。
「今日はありがとうございます。また明日も、よろしくお願いします」
……よし。決めた。
明日の訓練は、ちゃんとメイクをしてこよう。
専門学校を出て、日が暮れる頃に帰宅する。スーパーで買った食材をシンクに置いて、簡単に夕食を作って、手早く済ませる。
それからお布団へ……とは、今日は思わなかった。
机に向かって、参考書を取り出す。今日習ったページを開いて、ノートへ書き写す。ノートパソコンを開いて、コードを打ち込む。
自分に言い聞かせる。AIで自動化できることが増えれば、時間の余裕ができる。
その余裕を、私の怠惰な心を満たすために使うのだ。
大義なんてない。いまはまだ。これだけでいい。
できることから始めよう。
輝かしい未来へ向かって、少しずつ歩き始めるために。
いつか彼に胸を張って、自分の夢を語れるように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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