短編64「しずかな、ひみつ」 保護猫カフェバー Il Gatto Errante #3
登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)
あらすじ
保護猫を預かるコンセプトカフェバー、「Il Gatto Errante(イル ガット エランテ)」。ある日ココは新しいキャストに出会い、定期診察に同行することになって……。
静かに、ただ強く。それが私の在り方。
誰にも見せない秘めた力は、愛する命を守るためにある。
言葉はなくても、揺るぎない絆が、その真実を証明してくれる。
「おはようございます!」
ココはいつも通り、元気に裏口のドアを開けて店に入ってきた。長い黒髪をツインテールにして、白いブラウスに紺色のパンツにメッセンジャーバッグという、いつものスタイルだ。
控室に入ると、長い黒髪の女性が立っていた。長い黒髪に丸いフレームの眼鏡。体躯は雪解け水に磨かれた氷柱のように細く、触れれば壊れそうな危うさがあった。白いカットソーに透け感のあるグレーのロングスカートが、大人しく清楚な雰囲気を醸し出している。まるで図書館の奥に差し込む静かな光のようだな、とココは感じていた。
「ええと、初めまして……ですよね?」
「はい、新人のココです!」
「初めまして、ココさん。私は愛玩動物飼養管理士のシズカです。よろしくお願いします」
シズカは穏やかにそう言って、深々と頭を下げた。
『うにゃあ』
足元にいるのは、ミヌエットでシルバーのタビー、ベル。彼はシズカに懐いているのか、控室に入ってくると彼女の足元にすりすりとすり寄ってきた。脛に額をこすりつけて、気持ちよさそうに瞳を閉じる。
「しっかり者のお兄さんだと思ってたベルが……シズカさんにはこんなに懐くんですね……」
「ええ、そうみたい。不思議よね」
言って彼女は微笑んだ。その笑顔はどこまでも繊細な絹のようで、それでいて凛とした雰囲気を感じさせていた。
「そういえば今日、11時に出勤して定期検診に同行して欲しいって聞いたんですが、シズカさんはなにか聞いていますか?」
思い出したようにココが言うと、シズカは微笑んでから、口を開いた。
「ええ。レオンから、今日はココと一緒に、ベルを江森病院で定期検診を受診しに連れて行って欲しい、と聞いてるわ」
そう言ってシズカはキャリーバッグを棚から取り出してベルの名前を呼ぶと、彼はとことこと近寄ってきて、自分からキャリーの中に入っていく。
(シズカさん、信頼されてるんだなあ……)
ココは素直な感想を抱いて、バッグの中で寝転がるベルの姿を見ていた。完全に安心している表情が、シズカがいかに信頼されているかが伝わった。
「じゃあ、行きましょうか」
言ってキャリーの持ち手を掴むシズカに、ココは思わず手を伸ばす。
「あ、重いでしょうから、キャリーは私が持ち……」
ひょい。その言葉を遮るように、シズカはその細い腕からは想像もできないほど簡単に、キャリーを持ち上げてしまった。持ち方はまるで地から生えた岩盤のように安定していて、キャリーは彼女の手に羽のように軽々と収まっていた。
「さ、行きましょう」
微笑む彼女に、ココも微笑みを返した。慣れるとこんな上手に持てるようになるんだな、と納得しながら。
「ふむ、特に異常はなさそうだのう」
江森医院の院長である江森 哲也は、穏やかな微笑みをたたえながら言う。
「レントゲンやエコー検査の結果は特に問題なさそうだ。あとは後日、採取した血液検査の結果しだいかのう」
江森はそう言って、優しい微笑みを見せる。その声に答えるように、ベルが『うにゃあっ!』と嬉しそうに鳴いた。
シズカは明らかにほっとした顔で、
「先生、いつもありがとうございます」
と、素直に感謝の気持ちを伝えた。
「なにもなくて良かったですね!」
帰り道、ココは嬉しそうにシズカに話しかける。彼女は微笑みを返した。
「ええ、本当に。これでベルもいっぱい長生きしてくれると、嬉し――」
その言葉を言い切る前に、シズカの瞳から、それまでの清楚で優しい光が一瞬で消え去った。
「――?」
ココはなにが起こったのか分からず、引き寄せられるようにシズカの視線の先を向く。
「ひったくりー!」
路上に転倒した中年女性が手を伸ばして、叫ぶ。手の先には、ハンドバッグを掴んだ黒ずくめの男が、全力で走っていた。しかも、ココたちの方向に。向かってくる。
シズカの動作は、風が水面に描く軌跡のように速い。無言でケージをココに放り投げる。あまりに咄嗟のことでうまく受け取れず、ココは取り落としてしまった。地面に落ちたと思った瞬間、ベルは入口からひらりと飛び出す。いつの間にか、入口が開けられていたのだ。
走る男の正面に、シズカは立っていた。肩幅ほどに開いた足、力の抜けた両手を垂らして。流れを全て受け流す河原の巨石のように、微動だにしなかった。まるで、その場の重力全てを彼女が吸い込んでいるかのように。
「どけ!」
犯人が右手を振り上げて叫びながら、彼女に突っ込んでくる。
「――」
シズカは両手を少しだけ上げたまま、動かない。それに男が殴りかかる。
「どけって言って――」
『にゃあぁん!』
ベルが大きな声で鳴いた。男の意識が明らかにそちらに向く。
スパァン。
その瞬間にココは瞳を閉じてしまう。
恐る恐る目を開くと。
男は、地面に仰向けで組み敷かれてしまっていた。シズカの両手は彼の右手を掴んでいて、まるで手首が鉄の鋳型に嵌め込まれたように動かず、絶望的な重さを生んで動けなくさせている。
「え?」
男はなにが起こったのか分からない。
『うにゃうにゃっ』
ベルが男の胸に飛び乗ると、その爪で顔を、ばりっ、とひっかいた。ひったくり犯は情けない声をあげた。
すぐに警察が来て、犯人は連行されていってしまった。
「シズカさん! 大丈夫ですか?」
「あ、すみません。私、合気道の師範もやっていて……怖いですよね、すみません……」
頬を赤らめて照れ笑いを浮かべるシズカ。
「いや! 凄かったです。ベルとの完璧なコンビネーション!」
ココは両手を胸の前でぶんぶんと上下させながら、興奮気味にそう言った。
「そうかな……ありがとう」
シズカは照れくさそうにそう言って、微笑んだ。
『にゃ、うにゃー?』
ベルが鳴きながらケージに入っていくのを見ながら、私たちは顔を見合わせて笑った。
店に戻ると、12時45分。開店準備はすでに終えたので、シズカとココはカウンターで休憩を取ることにした。
ココは猫たちと遊んでいるが、カウンターで読書に耽るシズカは、いつも通りの静かな佇まいだ。だが、その瞳の奥には、愛するものを守り抜くための、揺るぎない意志の光が宿っていた。ベルは本の隣に鎮座して、店内の静かな秩序を見張る番人のように店内を見回していた。
今日もまた、新しい一日が始まる。
『うにゃあぁ』
ベルがカウンターの上で、小さな誓いのように静かに、だが力強く鳴いていた。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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