短編113「おひとりさま! 駅弁天国へようこそ」
あらすじ
激務で心身共に限界を迎えた畑 仁美は自分を見つめ直すため、特急スペーシアの個室で過ごす贅沢なおひとりさまの旅を決行する。浅草駅で買ったお弁当が……。
戦場を駆け抜けた私、畑 仁美は安息の週末を迎える。
いつもの鎧を脱いで、誰も知らない土地で静かに過ごすことで、自分を見つめ直すことができるのだ。
ぱしゅっ。
特急列車の窓を流れる光景を眺めながら、私は缶チューハイのプルタブを開けた。浅草駅を発車した電車はとうきょうスカイツリー駅に到着して、発車したばかりだ。
チューハイをぐいっと一口飲んで、ぷはぁ。
なんで特急や新幹線に乗るときは、こうもお酒が美味しいのだろうか。解放感がアルコールと化学反応を起こしている、この現象に名前をつけたいぐらいだ。
特急スペーシアの車内で私が座る席は、四人用の個室。私は一人なのに、個室席に乗ってみた。浅草駅から鬼怒川温泉駅まで八駅二時間ほど、このスペースは私だけの空間だ。寝転がっても眠っても誰にも怒られない。自分だけの絶対防衛領域なのだ。
顧客の理不尽な要求、上長の的外れな指示、鳴り止まない通知音――。
私の心は、ゴミ箱フォルダに大量のデータを詰め込まれたパソコンみたいに、処理不能な状態に陥っていた。
金曜日の夜にほぼ無意識で、特急電車と土曜日の宿を押さえた私は鬼怒川温泉へ向かっていた、というわけだ。
電車旅に必要なのはもちろん……駅弁!
浅草駅で買ったスペーシアX弁当を取り出す。プラスチック製でスペーシアの車体を模したパッケージはとても良くできている。私はワクワクしながら蓋を開けた。
ほぐし身が盛りだくさんのカニピラフに、エビフライにハンバーグ、それにナポリタンという洋食の定番とも言えるおかずがたっぷりの名物駅弁。まるで駅弁界のアベンジャーズだ。
その壮観な光景に私は思わず、唾液をごくりと飲み込んだ。
電車が北千住駅を出発するタイミングで、私は割り箸を割る。
まずはどれだ……どれが私に食べられたいんだ……?
エビフライにハンバーグがおかず、カニピラフにナポリタンが炭水化物……メンバーが四人のユニットで、ツインボーカルと二人がダンス担当みたいなものだろうか……?
ならば、まずはエビフライ、貴様だ!
ぱくりとかぶりつくと、パン粉のさくっとした歯ごたえが広がり、ぷりっとした肉厚のエビ。口の中でさくさくとぷりぷりのハーモニーが響いて海からのメッセージを伝えてくる。
……考えたら、エビってなんでこんなに美味しいんだろう。こんなにぷりぷりとした歯ごたえで、咀嚼すると炭水化物に絡みついて唾液を搾り取る。もし生まれ変わったら、噛めば噛むほど味の出る人間になりたいものだと、私は考えていた。
電車は春日部に到着して、駅のホームにはたくさんの人が並んでいた。だが彼らが乗ってきたとして、私の個室には関係がない。今日の私は絶対無敵なスペースにいるのだ。
……そういえば、春日部ってなにが有名なんだろう?
私は車内に飛び交うWi-Fiにスマートフォンを接続して、Google先生に聞いてみる。
『春日部で有名なものはいくつかあります。特に有名なのは、桐たんす、羽子板、麦わら帽子などです』
「どれも食べ物とちゃうやないかーい!」
思わずツッコんでしまった。
いや、そんなことしてる場合じゃない。私は駅弁を楽しまなくてはいけないのだ。
「次は誰かな〜?」
缶チューハイを一口飲みながら、私は箸を持った手を伸ばしては止め、迷いに迷っている。ちなみにこれは『迷い箸』と言って食事のマナーとしては良くないことは知っているが、誰も見てないので良しとする。
「キミに決めた!」
言って私はハンバーグを箸で掴む。小ぶりな肉の塊は、持つとしっかりとした重量を伝えてくれる。
肉厚な塊にかぶりつくと、ぐい、と顎を押し返すかのような弾力を返してくる。それに負けじと噛み切ると、口の中でミンチが砕けて、ほろほろと旨味が広がっていく。美味しい油をチューハイで喉に流し込むと、ふはぁ、と、感動にも近い吐息が溢れ出る。極上の瞬間だ。
気づけば特急電車は栃木駅を発車していた。
――空が、高いなあ。
ぼんやりとそんなことを考えていた。
私がいつも見ていた空は、もっと窮屈で、いつも狭小で、それが私の心も閉じ込めていた気がする。
毎日は、いつも狭い。毎日同じ時間に出勤して毎日同じ檻に閉じ込められて、終わったら満員電車で知らない人たちが詰め込まれた箱で家に帰る。
自分が望んだことなのは確かだけど、もっと他の選択肢があったんじゃないかな、と思うときもある。
「そんなことより……」
我に返って、私は弁当箱に視線を戻した。付け合せのポテトを口に放り込みながら、ナポリタンとカニピラフを交互に見つめる。冷静に考えたらどちらも炭水化物じゃないか。おかずがいない。
そういえば私、昔っから計画性がないって周りから言われていたけど、彼らの先見の明には頭が上がらない。
ナンバーワンよりオンリーワンじゃない?
私の脳裏に、ふとそんな言葉がよぎった。駅弁のすべては、みんな主役だ。この中で誰が一番だなんて争うこともしない。
ならば――交互に食べる。
まずは、カニの身をたっぷりと乗せたピラフを一口、ぱくり。カニの旨味がじゅわっと広がり、味の染み込んだ米粒たちが口内で踊る。世界が潮に包みこまれていくという最高の贅沢だ。
チューハイで流し込んでから、次はナポリタン。
定番のケチャップ味が麺に絡みつく……いや、もはや同化していると言って良いほど、味と食感が一体化している。すでに運命共同体だ。ぷつりと麺を噛み切ると、ケチャップが溶け出して混ざり合っていく。
おいおい美味すぎるよ。こんな素晴らしい食べ物を発明した人は、もはやプロジェクトXに出るべきじゃないのか。地上の星だよ。
電車が新鹿沼駅を出る頃、私はすっかりと火照って、内から溢れる熱さに身を委ねていた。
ソファに背中をすっかりと預けて、幸せになった口の中の情熱は私のすべてを包みこんでいく。
頭から湯気が出ていると錯覚する。呼吸をすると体内に溜まった熱が放出されていくと思えた。
そこで私は、とても恐ろしく、まるで無邪気に世界を滅ぼしてしまうかのような素朴なアイデアを思いついてしまう。
――同時に食べたらどうなるんだろう?
カニとトマトソースは相性が良いし、米と麺も言わずもがな。もし、この二つを同時に口の中に入れてしまったら、一体なにが起こるのか――。
ぱくり、とピラフを一口。あえて咀嚼せず、そこへナポリタンを一口投入する。
――!
重力がなくなったと錯覚する。
私のすぐそばを、津波が風と共に通り抜けていった。
どこまでも続く地平線、振り向けば朝日の輝く稜線が見えた。
いまこの瞬間、すべてが一つになり、身体を貫いてどこかに消えていってしまった。
「――はあっ」
中から溢れる激情と激しくなる心臓のドラムに、私は思わず上半身を屈めてしまって、危うくテーブルに頭をぶつけてしまうところだった。
すべての意識を、咀嚼と呼吸だけに捧げる。いまの私はそれ以外になにもできない存在。私は今、ピラフとナポリタンの奴隷だ。全身の細胞が、この快楽を求めている。
電車が下今市駅を発車していたが、それに私は気づかない。
ただ、いま起こっていることに理解ができない。もう、美味しいとかマリアージュとか、そんな言葉で片付けないで欲しい。
ただただ、私の意識は、ピラフとナポリタンに奪われてしまっていた。
「持って行かれた……!」
そう呟くことしか、できなかった。
全身の力を奪われながらも、右手の箸は休まない。ピラフ、ナポリタン、ピラフ、ウインナー、ナポリタン……どこまでも永遠に続くダンスパーティ。私の右手の箸は身体が疲れ切っても踊り続けなくてはいけない、本能に操られるマリオネットのように止まらない。
私は動きを止めることはなかった――。
――意識を取り戻すと、電車は東武ワールドスクウェアに停車したところだった。遠くに入場門らしきものが見えている。
気づけばお弁当は空っぽ。すべて食べきってしまっていた。プラスチック製の弁当箱は結構よくできていて、持ち帰って小物入れにでもしよう、などとぼんやりとした頭で考えていた。
そういえば私、なにしてるんだっけ……?
確か鬼怒川温泉でゆっくり休むつもりだったけど、まだ温泉に着いてもいない。
ゆっくりと電車が発車するのを感じながら、チューハイの最後の一口を飲み干した。
「――ま、いいか。お弁当美味しかったし」
私は鬼怒川温泉駅のホームに到着する電車の中で、多幸感に包まれていた。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
もし気に入っていただけましたら、スキやチップの応援やコメントを頂けると励みになります。
また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
作者のひとこと
『スペーシアX弁当』は事前予約が必要なので、ご注意ください。
#短編小説 #小説 #ライトノベル #創作 #スキしてみて #鬼怒川温泉 #特急スペーシア #アベンジャーズ #ポケモン #世界に一つだけの花 #プロジェクトX #鋼の錬金術師
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。
いただいたチップは資料の購入費用、取材費などの活動費として有益に使わせていただきます。