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短編18「一夜の逢瀬が初恋になった」

あらすじ

 モテる自分に自信を持っていた紘大は、マッチングアプリで出会ったいろはとの一夜を期待していた。しかし、彼女は彼の薄っぺらさを見抜き、巧みな話術と豊かな経験で彼を翻弄する。

「よし」
 鏡に映る自分の姿を見ながら、櫛で髪を梳く。
 それからメイク道具を取り出して、顔を整えていく。元々縦の長さがあり、鼻筋の通った顔にファンデーションとBBクリームを乗せる。それから眉毛を整えて軽く眉毛を書き足してから、アイライナーで軽く調整。
「うん、今日もイケメン」
 彼は呟いてから、スーツ姿で玄関を出ていった。

 吉澤 紘大よしざわ こうだい、27歳。
 俺は、恋をしたことがない。
 だって、モテるから。
 学生時代はずっと、女性が勝手に群がって来ていた。それは社会に出てからも変わらない。それに加えて、大手上場企業に所属しているという肩書が彼を後押しする。さらに、ジム通いや美容医療での自分磨きも欠かさない。
 モテない理由なんてない、と彼は考えていた。

 紘大は通勤中の電車でいつものマッチングアプリを立ち上げる。連続で表示されるプロフィール写真を、気に入れば右に、気に入らなければ左にスライドする。これが彼の朝の日課だった。
 ……そう。常に新しい逢瀬を求めている。
(……ん?)
 ふと、紘大の動きが止まった。一人の女性のプロフィールが表示されている。
 彼女の写真は、スマートフォンを持った右手をカメラに伸ばし、左手でピースサイン。じゃあこの写真は一体誰が撮ったんだとは思ったが、彼女からはなんとも言えない色気を醸し出していた。
 大きな瞳に、笑顔からこぼれる白い歯。濃いめの茶色の髪に軽くウェーブをかけて、楽しそうに微笑んでいる。白いキャミソールにはレースがあしらわれており、彼女の豊満なバストと胸元をアピールしている。紘大はすぐに右にスライドさせる。それからプロフィールを開く。

 名前は「いろは」。年齢は紘大と同じく27歳。お酒が好きだと書いてある。写真は先程の白いキャミソール姿しか登録されていないが、彼の心に妙に訴えかけてきていた。
(いいね……攻めてみようか)
 紘大はすぐにメッセージを書き始める。それは、シンプルな言葉でいい。紘大のプロフィールには、わざわざフルメイクでスタジオ撮影した最高の写真が登録されている。それを見てもらえれば、きっといつも通りに彼女も食いつくだろうと彼は考えていた。
『今日ひま? 飲みません?』
 紘大はそれだけを送信した。

 昼休みにアプリを確認すると、いろはから返事が返ってきている。紘大はにやりと微笑んで、返事を返す。
『いいよ。19時に駅前で大丈夫?』
 それにすぐに返信が返ってきた。
『おっけー。今日はよろしく』
 あっさりと承認されてしまった。紘大は、思わず笑っていた。
 そうなんだよ。こんなもんなんだよなあ。
 ちょっとイケメンで、ちゃんと自己研磨していたら、女性は勝手に寄ってくる。それが世の中の理なんだ。彼はそう思っていた。

 紘大は19時に、約束していた駅前に立っていた。こちらの外見は伝えている。そのうち彼女が勝手に見つけて、声をかけてくるだろう。それをただ待つだけだと考えていた。
(さて、今夜の逢瀬を楽しみますか……)
 紘大は腕時計を見る。19時を3分ほど過ぎていた。しかし誰も現れない。
 どうしたものかと考えていると不意に、
「ごめん、お待たせ。『コーくん』?」
 と、一人の女性が紘大に声をかける。コーくんというのは、彼がマッチングアプリで使っている名前だ。
 紘大は瞬時に彼女の全身を値踏みする。写真の通り、濃いめの茶色にウェーブがかった胸元までの髪。顔のパーツは彫りが深い印象を受ける。高い鼻は鼻筋が通っており、大きな瞳とぷっくりとした唇が肉感的な美しさを感じさせる。
 羽織ったVネックの白いブラウスは胸元が開いており、デコルテラインと豊かなバストを強調している。白いブラウスの下から、ピンク色の下着が少し透けていた。黒色ベースのドット柄のスカートはタイトなシルエットで、丈が股下15センチほどだろうか。その美脚を惜しげもなく披露していた。

(ラッキー!)
 紘大は心の中で思わず叫んでいた。今日の逢瀬は楽しいものになりそうな予感だけが、彼を突き動かしていく。とりあえず飲みに行って、12時前に終電を理由にホテルを提案する勝ちパターン。
 紘大はそんなことを考えてから、口を開いた。
「そうです。『いろは』さんですよね? お酒が好きだって書いてましたよね。近くによく行くバーがあるんで、行きましょう」
「……」
 それに彼女は特にリアクションはしない。それどころか、小さくため息をつかれたような気もする。
「……ま、いっかー。案内してもらってもいい?」
 いろはがそう言うのに、紘大は頷いた。

 紘大がよく使うバー。高級木材をふんだんに使ったカウンターや椅子。店内は大人の歓楽街という雰囲気を醸し出している。彼はカウンター席の一番端に彼女を座らせて、その隣に自分が座る。これは彼のテクニックのひとつで、逃げ場をなくして距離を詰め、密着することで親密度を上げるという目的だった。

 とりあえず、ジントニックを頼んで乾杯する。紘大が軽く口をつけると、いろはは、ぐい、と半分ほどまで飲んでいる。勢いの良い人だな……と彼は思っていた。
「ええと……コーくんってモテるよね? その秘訣を教えて?」
 いろはは艶っぽい笑顔で言うと、にやにやと悪戯な顔で紘大を見つめていた。
「いやいや、簡単ですよ。ジム通い、美容医療、あとはメイクですね」
 紘大は笑いながら言って、彼女の言葉を待つ。いろはは冷たい目線で微笑みながら、ゆっくりと口を開く。

「あ、自分に自信ないんだ?」
 ……え?
 紘大は固まってしまった。彼女の言っている言葉の意味が分からない。理解できない。
 彼女はそれをにやにやと見つめながら、カウンターに両手をついた体勢で、親指と人差し指で掴んだ空のグラスをぶらぶらと弄んでいる。
「……チョロい」
 彼女は笑いをこらえながら呟いて、それでもこらえられなくて、くくく、と声を押し殺しながら笑っている。その笑いの意味は、紘大にはまったく分かっていなかった。

「それより……いろはさんって色っぽいですよね。モテるんじゃないですか?」
「マスター、ジントニックのおかわりください」
 いろはは紘大の言葉に答えず、注文する。紘大は話し終えた姿のまま、動かない。いや、動けない。
(なんか変だな……?)
 紘大も少しだけ、状況を理解し始めていた。
 つまり、いままでの経験やテクニックが全然役に立ってない気がする。本能的な感覚だったが、紘大が武器としてきたものがいろはにはまったく通用していない。そんな不安を感じ始めていた。

「いろはさん、好みのタイプとかあるんですか?」
「それ知ってどうするの?」
「じ、じゃあ……パートナーとかいないんですか?」
「内緒に決まってるじゃん」
 ……会話になってない。なにを言ってもそんな調子の塩対応に、紘大は焦りを感じていた。時計を見ると、もう11時過ぎ。そろそろ、決めないと。
「もうすぐ終電なんですけど……いろはさん、どうします?」
 紘大が言うと、いろはは笑い出した。それからマスターにおかわりを頼んでから、
「……そんなに私とセックスしたいの?」
 と、笑いながら言う。
「……」
 紘大は回答に困ってしまった。彼女の言うとおりではあるんだけれども、それを認めるのは敗北感が強すぎる。紘大はなんとか繕おうと、口を開く。
「いろはさんが魅力的だから、そう思うのも自然じゃないですか?」
 語尾はやや荒々しく、強い口調になっていたかもしれない。しかし、いろははそれを気にせず笑いながら、
「でも私、あなたをカッコいいとか、尊敬できそうとか、まったく思ってないのよね」
 と、笑いながら答えた。

 ……どういう意味だ? 紘大はさすがに、もやもやとした鬱積が積み重なって、感情が揺さぶられる。じゃあ、いまなんでここにいるのか、問い詰めたい。そんな感情が生まれていた。
「いろはさんも、本当はそういう目的なんでしょ。違いますか?」
 紘大が半キレで言うのに、いろははまた笑う。
「じゃ、してみる?」
 笑いながら言ういろはに、紘大は固まった。
 ……あれ?
「ホテル代、あなた持ちでね」
 言いながらいろはは空のグラスを置くと、席を立ち始めた。紘大はよく分からず、とにかく鞄を掴んで会計を済ませて、彼女の後を追いかけた。

 白を基調とした壁に、ブラウンの羽毛布団。大きなベッドが鎮座しているホテルの部屋に、紘大はいろはの後を追いかけるように入った。ドアを閉めると鍵をかけて、鞄を放り出す。
「はあ……」
 いろはは色っぽいため息をつきながら、ベッドに腰掛けた。冷蔵庫を開けてビールを取り出して、一口飲む。紘大は、「それ有料なんだが……」と内心思いながら、隣に腰掛けた。

「いろはさん」
 言って彼女に顔を向ける。しかし彼女は答えない。
 だが、ここで諦めるつもりもない。紘大は手を伸ばすと、彼女の腰を両手で掴む。それにいろはは、テーブルに缶を置く。
 紘大はいろはの顔に自分の顔を近づける。そっと唇を押し付けて、彼女の反応を見る。

 ……彼女は瞳を閉じず、ただ紘大を見つめていた。
(え……っ)
 紘大は本能的に恐怖を覚える。だが、これぐらいで折れる彼ではない。舌を彼女の口に差し入れる。彼女の舌を絡める。いろははそれに呼応し始めて。
 ぢゅ、と強烈な刺激が紘大を捉える。差し込んだ舌が、絡め取られる。まるで吸い込まれそうだ。そう思うほど、彼女の舌の感触は官能的で、深い深淵に入ってしまったと錯覚する。
 彼女の手が紘大の胸に触れる。優しい指が撫でる。紘大も負けじと、いろはの胸に手を伸ばして、服の上から触れる。
 彼女は触れる手を少しずつ下げていき、紘大の腰を撫でて、それからもっと下へ。ズボンの上から優しく指を這わせて、紘大は冷静さをどんどん奪われていく。
 紘大のズボンのベルトは彼女にすぐ外されてしまい、ズボンを脱がされてしまう。

(展開が早い……?)
 それでも紘大は抗う。右手を彼女のスカートに差し入れ、秘所を探ろうとする。それに気付いた彼女は、わざわざ顔を上げてから、紘大に向かって微笑んだ。
 その手で紘大は下半身を露出させられ、そこに彼女の手が伸びて――紘大が覚えているのは、そこまでだった。

(え……?)

 紘大は、我に返ると裸のままで、部屋の天井にあるデザインを見つめていた。目がちかちかする。意識も朦朧としている。

(あれ? いつ始まって、いつ終わった……の?)
 困惑する紘大をよそに、いろはは使用済みのコンドームをくるりと丸めて縛る。ゴミ箱にぽいと放り込みつつ、室内のテレビをつけた。
「え……?」
 紘大は困惑を言葉にして漏らす。本当になにが起こったのか理解できていない。彼女に先導されるままに、しただけだ。

「やっと起きた? まだ終電あるよ」
 彼女の言葉に時計を見る。11時45分……つまり入って30分ほど。それだけ短時間だったのだ。
「いや、その……」
「あなたが悪いわけじゃないんだけど、私は満足できなかったなあ」
「え……」
 いろはの言葉に紘大は返答できない。彼女は笑顔で続けた。

「私、遊郭で働いてたことあるんだよね。毎月150人ぐらいは客を取ってて、それを2年続けてた」
 ……毎月150人だとすると、150人×24ヶ月……?
「そういう経験があるから……まあ、矛盾すると思うんだけど。経験人数ってあまり意味がないと思ってて。筋肉も、アレの長さも、メイクの上手さも、あまり興味がない。それより、思いやりとか、気遣いなんだよねー」
 彼女は微笑んで、また冷蔵庫からビールを出す。それを開けて一口飲んでから、続けた。
「女性をセックスの相手としか思ってない人はだいたいそう。メッセージもそうだけど、グラスが空いたことに気付けるとか、ホテルに入ったらシャワーの確認するとか、そういうの大切だよね」
 言って、いろはは笑い出す。

 ……それ、完全に俺のことじゃないか。相手の都合を確認せず飲みに誘って、彼女のグラスが空いていることも、ホテルに入ってからも。
「あなたみたいに女性と真剣に向き合ったことのない男性は、ほんとチョロい。もし私が、あなたを騙そうとしていたら? 口裏合わせた法外な料金の店に連れ込んだら? セックスの最中に強面が飛び込んできて、金銭を要求する手筈になっている美人局だったら? 考えたこと、ある?」
 いろははけらけらと笑いながら、言う。紘大はなにも反論できない。もちろん、考えたことなんて無かった。

「……でも、俺はいろはさんに魅力を感じている。あなたと真剣に向き合いたい」
 紘大がそこまで言うと、いろはは爆発したように笑った。とにかく笑った。今日聞いた全てより大きな声で、腹を抱えて本気で笑っていた。
「いまのあなたじゃ無理。女性には自分とだけのセックスを求めるくせに、自分は誰とでもセックスするなんて、矛盾してると思わない?」
 言ってからもいろはは笑っている。それに紘大は押し黙ってしまっていた。

「コーくん、伝わってる? さっきも言った通り、あなたは自信がないし、中身もない。だから私を落とせない」
 それに紘大はすぐに答えが思い浮かばない。脳内を探る。なにか切り返せる手段はないかと。
「あ……、そうだ、俺はいろはさんと同じ年齢だ。これからもっと分かりあえるはず」
 しどろもどろに紘大が言うと、それにまた、いろはは盛大に笑い始める。
「年齢なんてマジで信じてるの? 私、9歳サバ読んでるんだけど」
 紘大がぎょっとした目になるのに、いろははひいひいと息を切らせるほど笑ってから、
「外見しか見てないんだね、チョロい」
 と、また笑い始めた。
「……さ、もういいでしょ? そろそろ会計して。出ようよ」
 紘大は言われるままに会計を支払うと、2人はホテルを出た。

 終電が近く、冷たい風が吹き始める頃。2人は外に出て、駅まで歩いていた。
「いろはさん、また会いたい」
 紘大はいろはの腰を抱き寄せて、耳元で囁く。
「やだよ。どうして、一回セックスしただけで次があると思うの? ……あ、でも、お金くれるなら考えようかな」
 彼女はいたずらに笑うと、紘大の腕をすり抜けて、ぴょい、と反対方向へと向かい始める。
「違うんだ。俺は、またあなたに会いたくて――」
「コーくんは電車乗るのね? 私、違う路線だからここで〜」
 彼女は手をひらひらと振りながら、
「今日はありがと。いい男になんなよ。じゃあね」
 と、ひらりと身を翻すと夜道に消えていく。まるで風のように存在感を感じさせず、溶け込むように消えて行った。

「……」
 紘大は立ち尽くしていた。心の中になにか熱いものが生まれているのが分かる。彼女にまた会いたい。もっと知りたい。今更、そんな気持ちが吹き出してきていることに気づいていた。
(俺は……)
 こんな気持ちになったのは初めてだった。
 また会いたいとか、知りたいとか。もっと知りたいと思える人なんて、初めてだ。
(もし俺が、いい男になれたら……)
 彼は静かに呟いて、自分の拳を見つめて。それから夜の闇を見つめて、また自分の拳に視線を向ける。
「……やるしかない。いい男になる」
 夜の風が頬を撫でる。紘大はそれに身を任せて、ただ夜闇を見つめていた。


最後までお読みいただきありがとうございました。
もし気に入っていただけましたら、スキを頂けると励みになります。
また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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