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短編19「曇りのない視線であなただけを見つめ続けたい」

あらすじ

 引っ込み思案な性格で地味な自分に自信が持てない稚葉は、同じクラスの弘道と勉強を教え合う中で、彼の優しさに惹かれていく。

 私は彼のことになると、目が曇る。
 いや、きっとそうじゃない。レンズ越しに見る彼が、あまりにも輝いて見えるから、そう錯覚してしまうだけだ。私より頭ひとつ高い身長とか誠実そうな笑顔。皆と同じ制服なのに、彼だけはすぐに見つけられる。

 授業が終わった放課後。
 私、杉村 稚葉すぎむら わかばは、クラスメイトの尾嶋 弘道おじま ひろみちと教室でテスト勉強をしていた。
 2人が出会ったのは、今年の始め。高校2年生になって同じクラスになり、馬が合うのかよく話すようになった。とはいえ、2人はプライベートで遊んだりするような関係ではない。今日のように勉強したり、宿題を教え合ったり、とにかく2人きりでいることが苦にならない、そんな関係だった。「稚葉、テスト初日は日本史あったよね」
「そうだよ、弘道くん。忘れてた?」
 稚葉が笑いながら答える。それに弘道も笑顔を返す。こういう普通のやりとりが温かいのだと、稚葉は思っていたのだ。

 ……弘道くんの前だと、自分が自分でいられる気がする。子どもの頃から恥ずかしがり屋の私は、いつしか地味な眼鏡をかけるという選択肢を選んだ。黒髪は2本の三つ編みにして、制服のプリーツスカートの丈も標準のまま。とにかく地味にひっそりと生きていた。弘道くんは、そんな私を全て受け止めてくれていると感じてる。
「じゃあ今日は、日本史を重点的にやろうか。分からないとこ、教え合おう」
 稚葉が言って、笑顔を見せる。それに弘道も笑顔を返す。……のだが、内心彼は鼓動が高鳴っていることに気づいている。

 ……稚葉はいつも、眼鏡の奥の瞳から誠実な真面目さと優しさを溢れ出させている。その瞳を見ていると吸い込まれそうになる。もしかして、僕の心を見抜かれているんじゃないかって、そんなことを思う。身長の高い僕は、昔からいつも「お兄ちゃんらしくしなさい」と言われ続けていた。でも、稚葉は僕をそんな色眼鏡で見ず、対等に接してくれる。それが嬉しかった。

「暑い……」
 不意に稚葉が言って、スカートのポケットからハンカチを取り出す。それから眼鏡を外して机に置いて、顔を軽く拭いた。
「……眼鏡外したところ、初めて見た」
 弘道は少し驚いた顔で稚葉を見つめている。それから稚葉は彼を見つめ返して、それから視線を外して、「あっ」と言いながらまた見つめ返した。彼女の顔はみるみるうちに赤くなり、まるで湯気が出ているかのようだった。
「えっ、あ、あ……や、やめて、恥ずかしい……」
 稚葉は目の前で両手をばたばたと左右に振り、引きつりながらも笑ってみせる。それから慌てて眼鏡をかけ直した。
「いやいや。稚葉は、眼鏡を外した時の笑顔もいいね」
 弘道の声に稚葉は口を開いたままで、固まってしまった。彼も「あっ」と小声で言って、顔を赤らめてしまう。2人は顔を赤らめたままで、ただ見つめ合っていた。

 遅くならない程度に勉強をしてから、稚葉は帰宅した。今日は母親が夜勤なので、自分で食事を作ることにする。自立心旺盛な母親は、稚葉がいつでも独り立ちできるように家事を積極的に叩き込んでいた。

(勉強早く再開したいから、親子丼作って、ちゃちゃっと食べちゃお……)
 稚葉は制服の上からエプロンを締めると、学校帰りに買ってきた食材を取り出す。鶏もも、玉ねぎ、三つ葉。卵は冷蔵庫の買い置きを使う。米を研いで炊飯器のスイッチをオン。それから玉ねぎをくし切りにする。

(眼鏡をしていると、そんなに目が痛くならないんだよね……)
 などと考えながら、半玉分のくし切りを終える。残りはラップして冷蔵庫へ。鶏ももも半パックを一口大に切って、卵は溶いておく。それから玉ねぎと鶏ももを炒めて、溶き卵を入れる。火を止めて予熱を通したころには、ご飯が炊きあがる。器に盛って、フライパンの中身を乗せて、できあがり。
「いただきます!」
 稚葉は両手を合わせて言うと、箸を持って食事を始めた。1人の食事は手慣れたもので、特に不都合はない。昔は母親がいないことを寂しいと思うこともあったが、いまは慣れている。それに、いままさしく仕事を頑張ってくれて、頑張っていることも知っていた。稚葉は、それに感謝しかないと考えている。

(そういえば……)
 ふと、弘道の言葉が蘇る。
『稚葉は、眼鏡を外した時の笑顔もいいね』
 ……不覚にも、私は心をめちゃくちゃに揺さぶられてしまった。自分でも気づいている。彼を異性として意識している自分に。
(でも……)
 ――彼は私のことを、どう思っているんだろうか?

 翌日の放課後。稚葉と弘道はまた勉強をしていた。
「今日も日本史やる?」
「そうだな。俺、日本史あんま得意じゃないし……」
 稚葉の提案に弘道が不安そうな顔で言う。稚葉は歴女とまでは言わないが歴史は好きだったが、彼はどうにも苦手なようだ。

「歴史ってさ、いろんなエピソードがあって、そのひとつひとつが楽しいんだ。知ると好きになれる」
 稚葉の言葉に弘道は少し首をかしげて、曖昧に頷く。彼女の言葉はあまり届いていないようだった。
「例えばこれ――眼鏡。16世紀中頃、キリスト教宣教師のフランシスコ・ザビエルが、周防の大名、大内義隆に献上したのが最初なんだって」
「へえ? そうなんだ」
「うん。その後、宣教師フランシスコ・ガブラルが織田信長に近視用の眼鏡を献上したという記録もあって。皆、驚いたと伝えられているのよね。……こういうエピソードを聞いていると、なんだかワクワクしない?」
 稚葉が素直に楽しそうな笑顔で、弘道を見つめる。
「なるほど……確かに面白いエピソードだね。きっと当時の人たちは、いままで見えなかったものが見えるようになるという概念を知った。それは大変な驚きだったろうね」
「そうそう。弘道くんは、覚えが早いよね」
 優しい視線と、優しい笑顔。それに弘道は、充実感を覚えていることに気付く。

 ……いつもの笑顔、眼鏡をとった時の笑顔。笑顔。僕は、彼女の笑顔に救われている。満たされている。きっと、そうだ。

「……あのさ、話変わるけど。僕、稚葉と出会って、稚葉という人間がちゃんと見えるようになって、驚いたんだ」
「……?」
 稚葉が少しだけ不思議そうな表情になって、弘道を見つめ返した。
「眼鏡は稚葉の一部なんだね。眼鏡をかけている時はその奥に真面目さと優しさが見えるし、外した時は素敵な笑顔を見せてくれる。どちらも僕にとっては大切なんだ」
 彼女が困惑しているのが弘道に伝わってくる。頬を紅潮させて、驚いて、困惑している。
「それに、僕はいつも誰かに頼られる存在だったけど、稚葉は対等な1人の人間として見てくれる。……だから、稚葉」

 そこまで言ってから、弘道は口をきゅっと結んで、次の言葉を準備している。徐々に顔が赤くなる。
 稚葉はそれになにもできない。ただ赤面したまま、次の言葉を待つしかできない。そうするしかない。

「――僕は、稚葉の全てを曇りのない目で見つめ続けたい。僕と、付き合ってくれないか」
 どくん、と場の時間が止まったと錯覚する。稚葉は目を見開いて弘道を見ている。弘道は耳まで赤くなり、少し目を細めて、優しい瞳で彼女を見ている。
「ぇ……」
 稚葉がやっとのことで絞り出した言葉は、言語としての形を成していない。ただの漏れた声だ。
 ぼたぼたっ。彼女の瞳から大粒の涙が溢れると、頬を伝ってから机の上に落ちて、小さな水たまりを作る。彼女はとにかく、感激して、動揺して、冷静さを失って、しかし感情は機能していて、言葉にできない喜びを涙で語る。

「……そんなに泣かないで」
 弘道は赤い顔のままで優しく微笑むと、ハンドタオルを取り出して、彼女の涙を拭う。稚葉は困惑と嬉しさをかき混ぜたような顔で、されるがままになっていた。
「ほら、目が曇っちゃう」
 彼は努めて明るい声で言う。それから稚葉の頭に手を乗せると、なでなで、と軽く撫でた。
「……い、いの? 私で……いいの?」
 稚葉は嗚咽をこらえながら、絞り出すように、そして丁寧に、言葉を紡ぐ。弘道はそれに深く頷いてから答える。
「稚葉がいいんだよ。僕は、稚葉の全てを曇りのない目で見つめ続けたい」
「あ……あ、ありがとう。私も、すき……」
 稚葉は途切れ途切れの言葉をなんとか呟いて、赤い顔のままうつむいてしまう。それに弘道はにっこりと笑い返した。それからしばらく、彼女の涙が止まるまで、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
「私、ずっと……ありのままの自分を、好きになれるかどうか、悩んでた」
 しばらくして、稚葉が言った。やっと落ち着いたのか、言葉はちゃんと聞き取れる。
「――うん、きっと。大丈夫」
 それに弘道は満面の笑みを見せて、それに稚葉は頷く。

 彼の言葉で、私は初めて自分のことを好きになれる気がした。
 私たちは、きっと――大丈夫。素直にそう思えた。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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